ヘビー級世界王座連続防衛回数ランキング(記録関連) ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2017/06/05

ヘビー級世界王座連続防衛回数ランキング(記録関連) ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2017/06/05
 
 

 

さてさて、本日で最後となる階級別連続防衛記録ランキング。

しょっぱなにNBA時代の記録を入れ忘れた為、WBA創設以降のランキングになってしまうという大ポカ。
そして、思った以上の大変さに途中中断するヘタレっぷりをさらしながら、
ようやくヘビー級まで辿り着きました。

時代を彩るビッグスターたちの羅列。
世界最強の男たちが残した記録を洗ってみます。
 
 

※WBA以前、NBA時代は除く。
 

ヘビー級世界王座連続防衛回数トップ10
 
 

200ポンド~ (90.719kg~)
日本からはウガンダ産まれのオケロ・ピーター(緑)が唯一、世界ヘビー級へ挑戦。
日本ヘビー級では選手不足の為、久々に復活したヘビー級ランキングもほぼ空位。
しかし、国内の覇権を争うヘビー級戦線の歴史も魅力的ではあり…
かつてオケロ・ピーターが市川 次郎(ヨネクラ)から奪われた衝撃のダウンシーンは
未だ忘れることのできない名場面だったりする。
 
 

 

第1位 18度防衛 第17代IBF世界ヘビー級王者

ウラジミール・クリチコ(ウクライナ)
 

アトランタ五輪スーパーヘビー級金メダリスト。
トップアマとしてプロ転向し、兄のビタリ・クリチコとともに大型化したヘビー級の時代の覇権を握った。
ギリシャ彫刻のような肉体を誇り、ホームリングとしたドイツでは絶大な人気を誇ったものの…

巨大な肉体を優位に使い、クリンチが頻発する戦いは、ヘビー級の中心だった米国では人気が出ず…。
クリチコ兄弟がヘビー級に君臨した時代は、冬の時代とも言われている。

ウクライナ国籍だが、産まれはカザフスタン。兄の産まれはキルギスタン。
これは出生後に両国が独立したことによるもの。
軍人だった父の赴任地で産まれたことで、兄とは出生国が分かれている。

20歳でプロ転向後、超ハイペースでリングに上がって勝ち星を重ねたが、
25戦目で格下のロス・ビュリティー(米)にまさかのTKO負け。
遠回りを余儀なくされ、初の世界挑戦を迎えたのは36戦目。

兄のビタリ・クリチコからWBO王座を奪っていた技巧派のクリス・バード(米)に大差判定で王座を獲得する。
この王座は5度防衛するが、6度目の防衛戦ではコーリー・サンダース(南ア)に一撃でリングに沈められ陥落。
1年後には返り咲きを狙うも、クリス・バードの従兄でもあるレイモン・ブリュースター(米)にまたもTKO負け。
この時期は頻繁にアゴの脆さが指摘された。

ここから2年間かけてキャリアを立て直し、IBF/IBO王座を獲得していたクリス・バードとの再戦に挑む。
この試合を7RTKOで獲得して以降、クリチコ時代が到来する。

3度目の防衛戦でレイモン・ブリュースター(米)へのリベンジを叶え、
4度目の防衛戦ではスルタン・イブラギモフ(ロシア)からWBO王座を吸収。
10度目の防衛戦でデビッド・ヘイ(英)に勝ってWBAスーパー王座も獲得。

さらに延々と防衛を重ねて、最初に獲得したIBFは18度、WBOは13度、WBAは8度の防衛を記録。
最後はタイソン・ヒューリー(英)に判定で敗北して終焉。

その後、ヒューリーが試合を行わず、王座を剥奪されたことでクリチコがまとめ上げた王座は分裂。
そして群雄割拠の時代が到来。

クリチコはIBFのベルトを手に入れたアンソニー・ジョシュア(英)と対決。
この試合にはWBAスーパー王座、IBO王座も賭けられ、新時代の到来か、未だクリチコ時代なのか…
時代を賭けた対決に挑み…世界中が震撼する大激戦の中で敗北。

ヘビー級の中心をジョシュアに明け渡す形となっている。
 
 
 

第2位 17度防衛 第8代WBC世界ヘビー級王者

ラリー・ホームズ(米)

「誰も愛してくれなくたっていい…家族さえいれば」
モハメド・アリの次の時代を守った名王者の引退時のセリフ。

国境、スポーツの枠を超えた一大ヒーローとなったアリの次の時代を築き上げた名王者だったが、人気はイマひとつ。
アリのコピーと揶揄され、また同時期は破格の大スターが中量級に集中した「黄金のミドル」と呼ばれる時代。

ホームズは不人気王者としてその名を残しているが…
前の時代のアリ、次の時代のタイソン…超のつくスーパースターに挟まれてしまったことも、影響していると考えられる。
 

モハメド・アリのスパーリングパートナーとして腕を磨き、プロのリングで26連勝。
WBC世界ヘビー級挑戦者決定戦で、超強打者として名高いアーニー・シェーバース(米)を圧倒。
さらにアリのライバルとして超人気ボクサーだったケン・ノートン(米)と15Rの大激戦を制して王座を獲得。

ホームズvsノートンは激戦と言う意味では、僕がこれまで見た全試合の中の頂点。
ここから7度の防衛を重ねると、突如復帰したアリと対戦。
衰えきったアリを滅多撃ちにしたこの試合は、アリ時代の終わりを観衆にはっきりと示した試合として有名。

「アリに言ったんだ、愛していると。そしたら”それなのに俺を殴るのか?”って返されたんだ」
「これがあのアリか?早く倒してやりたい…しかし気がつけば力を抜いている自分がいた。」
「今晩戦ったアリは、我々の記憶に残る偉大なアリとは別人だった。
 リングの上でこれほど悲しく切ない思いをしたことはない。」

かつてのスパーリングパートナーであり、憧れだったアリとの対戦では、ホームズの数多くの名言が産まれています。
 

その後、数々の強豪と対戦しながらもビッグマッチと呼ばれるのは
ホワイトホープと呼ばれたジェリー・クーニー(米)との対戦くらい。
かつてアリを倒したレオン・スピンクス(米)ティム・ウィザースプーン(米)との激戦はありましたが…
それでもビッグマッチにならないほど、当時のホームズの強さはズバ抜けていました。

WBC王座の連続防衛は17度を数え…18度目の防衛戦はグレッグ・ペイジ(米)。
しかしファイトマネーの額に納得できなかったホームズは、
ジョー・フレージャー(米)の息子マービス・フレイジャー(米)との対戦を選択。

WBCのベルトをゴミ箱に投げ捨てるパフォーマンスもあり、結局王座を剥奪されます。
その後は認定されていたIBF初代王座を防衛…。
ロッキー・マルシアノ(米)に並ぶ49連勝を賭けた試合で…マイケル・スピンクス(米)に敗北。

スピンクスはライトヘビー級から初めてヘビー級を制した快挙で”ヒストリーメイカー”と呼ばれる大金星。
その後、スピンクスとの再戦も落としたホームズは一時引退。
アリがホームズに敗れたのと同じように、次の時代の覇者であるタイソンの前に挑戦者として復帰して圧倒的に敗北。
時代をタイソンに受け渡す…。

その後、時を経てまたカムバックしたホームズ。
衰えきっていたホームズでしたが、挑戦者として世界戦の舞台に辿り着き、激戦を演じるなど存在を誇示。
かつての最強が衰えながらも必死に拳を繰り出す姿は、彼の全盛期以上に美しい姿だったりします。

最後の試合は2002年。
引退試合として行われた試合では、かつてのライバルや、当時のスター選手たちが集結し
かつて時代の主役として戦った男に相応しい最後を飾っています。
 
 

第3位 14度防衛 第18代WBO世界ヘビー級王者

ウラジミール・クリチコ(ウクライナ)(2期目)
 

1位にもランクされているウラジミール・クリチコのWBO王座が3位にランクイン。

IBFのベルトを3度防衛していたクリチコに舞い込んだ王座統一戦のチャンス。
相手はシャノン・ブリッグス(米)から王座を奪い、古豪のイベンダー・ホリフィールド(米)を相手に
初防衛を飾っていたスルタン・イブラギモフ(ロシア)。
この試合を大差判定で勝ち抜いたクリチコは…以降WBAのベルトまで吸収し、巨大化したヘビー級のシンボルへとなっていく。
 
 

さて…4位以降はこんな感じ。

 

第4位 10度防衛 第6代WBA世界ヘビー級王者 モハメド・アリ(米)(3期目)
第4位 10度防衛 第5代WBC世界ヘビー級王者 モハメド・アリ(米)(2期目)
第6位 9度防衛 第12代WBC世界ヘビー級王者 マイク・タイソン(米)
第6位 9度防衛 第20代WBC世界ヘビー級王者 レノックス・ルイス(英)(2期目)
第6位 9度防衛 第27代WBC世界ヘビー級王者 ビタリ・クリチコ(ウクライナ)(2期目)
第9位 8度防衛 第17代WBA世界ヘビー級王者 マイク・タイソン(米)
第9位 8度防衛 WBA世界ヘビー級スーパー王者 ウラジミール・クリチコ(ウクライナ)
 
 
 

アリが10度防衛したWBAとWBCの両王座が4位にランクイン。

ボクシング、スポーツの枠を超えた、ボクシング史上最高のヒーローであるアリ。
「絶対に勝てない」と言われた試合を幾度も勝利して、その名声を高めていった。

ローマ五輪金メダリストとしてカシアス・クレイの名でプロデビュー。
その後、ネーション・オブ・イスラムへの信仰を表明し、リングネームをモハメド・アリとする。
元世界ライトヘビー級王者のアーチー・ムーア(米)との対戦時に、4RKO予告を行い、その通りに4Rにムーアをリングに沈める。

ヘビー級ランカーとしてトップクラスの評価は得ていたアリだったが、世界初挑戦の相手、
ソニー・リストン(米)との対戦時は、圧倒的不利予想。
それを覆して王座を獲得すると、正式に名前をモハメド・アリへと改名。

しかし、ベトナム戦争への徴兵を拒否したことで王座を剥奪されてしまう。
アメリカ社会への批判的な言動や、徴兵拒否で社会の敵とさえみなされたアリ。
過激すぎるその存在から、彼は悪役…のハズだった。

その後、ベトナム戦争反対の機運が高まると、一気に形勢が逆転。
当初からベトナム戦争に批判的だったアリの存在は、逆に社会のヒーローへと昇華する。

王座剥奪以降、ブランクを強いられ、ジョー・フレージャーとの対決に敗北。
カシアス・クレイ時代から明らかに衰えた姿に、ジョージ・フォアマン(米)との対戦時は
アリの王座復活を予想する人間は少数だった。

キンシャサの奇跡と名付けられた伝説の試合、ロープ・ア・ドープで大逆転KOを演じ、
その名声をさらに高めると、この王座を10度防衛。
全盛期を奪われながらのこの記録は他の記録とは単純比較できない。

ラバーマッチとなったジョー・フレージャーとの”スリラー・イン・マニラ”と呼ばれる名勝負や、
ケン・ノートンとのラバーマッチ、アーニー・シェーバースをも制し
3年以上に渡ってヘビー級の頂点に君臨。

しかし、モントリオール五輪ライトヘビー級金メダリストのレオン・スピンクスに、
まさかの敗北で王座を陥落。
連続防衛記録はここで途切れるが、リマッチではきっちり勝利して王座を奪い返す。

この試合を最後に引退するが…2年後に電撃復帰し、アリの次の時代に君臨していたラリー・ホームズと対戦。
圧倒的に敗北し、さらにトレバー・バービック(カナダ)にも敗戦。
ここで本当にリングを後にしている。
 
 

6位には3名が記録した9度防衛。

まずはマイク・タイソンのWBC王座。

ニューヨーク州ブルックリン区ブラウンズビル。
最悪とも言われる治安の悪い地域で、最悪の悪ガキだったタイソン。
少年院でボクシングと出会うと、名匠カス・ダマトのもとでその才能を開花させる。

プロデビューから破竹の連勝を続けるも、世界王座を獲得する前にダマトが死去。
以降後を引き継いだケビン・ルーニーのもとでWBC王座を獲得。

世界初挑戦時に戦ったトレバー・バービックが、2Rに倒された際、
なんとか立ちあがろうとリングをのたうちまわる姿は圧巻。
タイソンの圧倒的さとともに、王者の意地を感じるシーン。

初防衛戦ではジェームズ・スミス(米)からWBA王座を吸収。
さらに3度目の防衛戦でトニー・タッカー(米)からIBF王座を吸収して三団体統一。

その圧倒的強さは、かつての名王者、ラリー・ホームズを担ぎ出さなくてはならないほど。
それさえ簡単に葬り去ったタイソン。
彼の時代はいつまでも続くかに思われたが…

7度目の防衛を飾ったあと、チーフトレーナーのケビン・ルーニーを突如回顧。
すると、タイソンのボクシングが突如壊れ始める。

10度目の防衛戦となったジェームス・ダグラス(米)との試合。
バブルに沸く日本で開催されたこの試合で…衝撃の陥落。

その後、無冠の帝王と呼ばれたドノバン・ラドック(カナダ)との名勝負を最後にレイプ事件で収監。
釈放後、WBC王座に返り咲き、さらにWBA王座を統一するものの…全盛期の姿は取り戻せず、
イベンダー・ホリフィールドに陥落し、さらには再戦でホリフィールドの耳を噛みちぎって反則負け。

そこからまた1年半のブランクを空け…
最後のビックマッチとなったレノックス・ルイスへの挑戦。
8RKOで敗れ去り…その後は年に1度のペースで試合をするも3戦で2敗。

「もうこれ以上、ボクシングを侮辱したくない」と発言してリングを後にした。
 
 

9度防衛の2人目がレノックス・ルイス。

90年代ヘビー級の最強と言われるボクサー。
ソウル五輪のスーパーヘビー級金メダリスト。

カナダ代表だったが、イギリスに帰化してデビュー。
さらにジャマイカルーツを強調し、母国が3つ持っていると発言しているが…。
それが影響してか、いずれの国のファンも「自国のボクサー」という意識が薄かったようで
人気が強さに比例しなかった選手の一人。

22連勝でEBU欧州、BBBofC英国、コモンウェルス英連邦の英国における主要地域タイトルを独占し
五輪決勝で破っている相手、リディック・ボウ(英)の持つWBC王座への挑戦権を獲得。

しかし、ボウが対戦を拒否したことで、戦わずしてWBC世界ヘビー級王者に認定される。
この王座は3度防衛するも、オリバー・マッコール(米)との4度目の防衛戦で、一撃に沈んで2RTKO負け。

2年半後、レイプ事件から復活したマイク・タイソンがWBC王座を剥奪されると、
空位となったその王座をオリバー・マッコールとのリマッチで争うこととなる。
しかし…この試合ではコカイン中毒に陥っていたマッコールが突然泣き出し試合を放棄。

またもパッとしない形で王座を獲得することとなる。
ここからこの王座を防衛し続けたルイス。

5度目の防衛戦では自身のWBC王座とイベンダー・ホリフィールドが保持していたWBA/IBF王座を賭けて統一戦。
ここでは引分けで両者防衛となるものの、リマッチとなった次戦できっちり勝利して3団体を統一。
しかし、WBC王座10度目の防衛戦となったハシーム・ラクマン(米)との試合。

マッコールに敗北した時と同様、5Rに衝撃の一撃で敗北。
この2試合は力量差がありながら逆転KOを食らった試合として、「ルイスの大ポカ」とも言われている。

次の試合では、衰えながらも人気を博すマイク・タイソンとの戦い。
8RKOで勝利して、名実ともにヘビー級最強を証明。
さらに、次の時代を制するクリチコ兄弟の兄の方、ビタリ・クリチコを破って王者のまま引退。

負けた相手には必ずリベンジし、ルイスに勝ち越した選手はおらず…

90年代ヘビー級を語るとき、人気はタイソン、実力はルイス、
時代を牽引したのはホリフィールド…なんて言われたりします。
 
 

さて、9度防衛の3人目は、ビタリ・クリチコ。

3団体統一、18度防衛の弟には実績では上回られるものの、
実力では弟以上に評価されることの多い兄のビタリ。

キックボクシングで4度世界王者に輝いた実績を持ち、24歳でボクシングに転向。
アマチュアで競技開始し、いきなり世界選手権で銀メダルを獲得する。

さらに翌年にはプロ転向し、以降24連勝でWBO王座にアタック。
ハービー・ハイド(米)を2Rで沈めて王座を獲得。
こちらは2度防衛するも、3度目の防衛戦で超スピードを誇るクリス・バードに敗北して陥落。
バードには弟のウラジミールが雪辱し、王座を受け継いでいる。

ビタリ自身はここから3年間の遠回りを強いられ、レノックス・ルイスのWBC王座へ挑戦。
しかし、6Rで敗北してチャンスをフイに…。
 

ルイスがビタリとの試合を最後に引退すると、その王座決定戦のチャンスを獲得。
カーク・ジョンソン(カナダ)との挑戦者決定戦に勝利、さらにコーリー・サンダース(南ア)との
王座決定戦を制して2度目のヘビー級王座を獲得。

この王座は1度防衛後、ハシーム・ラクマンとの王座統一戦が、ビタリの前十字靱帯断裂で中止。
政治活動を行うため、引退を表明し、リングから遠ざかる。

市長選に落選し、なんとか市議会議員に当選して政治家に転身するも
2008年に突如復帰し、いきなりサミュエル・ピーター(ナイジェリア)のWBC王座に挑戦。
これを8R棄権で制して、IBFとWBOでベルトを巻いていたを築いていた弟とともに、
ヘビー級史上初の兄弟同時王者が誕生する。

この王座を5年間、9度に渡り防衛。
政治活動でもウクライナの第3政党党首となっていたビタリは、ここで引退。

2011年には弟のウラジミールがWBA王座も吸収しており、
ビタリが王座を返上する2013年12月まで4団体の王座を兄弟で独占した。

なお、引退後の2014年にはキエフ市長に当選している。
 

8度防衛には、マイク・タイソンがWBC王座を9度防衛した際、初防衛戦で吸収したWBA王座。
さらに、ウラジミール・クリチコが3本目のベルトとして吸収したWBAスーパー王座が並びます。
 
 

6名でトップ10を独占することとなったヘビー級連続防衛ランキング。
ヘビー級王者は世界に1人だけ…他の階級に比べ統一戦が行われやすいことが背景にありますが…
 

米国中心だったヘビー級も、欧州勢の侵行でワールドワイドに…
しかし、積み上がった記録を見ると、まだまだ米国で築かれた歴史には及ばない現実も。
 
 

アジアでの最多防衛はルスラン・チャガエフ(ウズベキスタン)が記録したWBA王座の2度と
オレグ・マスカエフ(カザフスタン)のWBC王座の2度。

南米ではルイス・オルティス(キューバ)が記録しているWBA暫定の1度。
アフリカではサミュエル・ピーターのWBC王座の1度。
オセアニアからはジョセフ・パーカー(ニュージーランド)がWBOで初めてヘビー級を制したばかり。
直近で防衛を飾って、現在進行形の1度防衛が最高記録。

まだまだこれから、歴史が積み上げられるところだったりします。
 
 

現在のヘビー級は群雄割拠。
防衛数最多はデオンテイ・ワイルダー(米)の5度ですが、拳の怪我で少し間が空いているところ。

タイソン・ヒューリーがウラジミール・クリチコに勝利した後、自由奔放に過ごした結果
王座は次々に剥奪されて分裂。

IBFを獲得していたアンソニー・ジョシュアが、クリチコとの対戦でWBAスーパー王座を獲得し一歩リード。
WBO王座にはジョセフ・パーカーが君臨。

ここから、どうベルトがまとめられていくのか…かなり面白い展開が待ち受けているはずです。
 
 
 

…とまぁ、ここまで長々とやってきましたが。
実績豊かな選手ばかり取り上げたハズなのに、実は知らなかった選手がいたり…。

なかなか勉強になりました。
いろんな不備のあったこの企画ですが…。
見ていくうちに様々な選手を調べることとなり、そうするといろんなことに興味をひかれて…
気がつけば大量の時間を消費。

内容にも粗が目立ちますが、なんとかやりきりました。
そんなこんなにお付き合いいただき、ありがとうございました。
 
 
 

もう…二度とやりたくない…。
けど…楽しかった。

率直な感想です…。
 

※記録は2017/6/5時点
 
 

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