スーパーライト級世界王座連続防衛回数ランキング(記録関連) ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2017/01/21
さて、先日に引き続き、本日も階級別連続防衛数ランキング。
本日はスーパーライト級。
日本から出たこの階級の王者…。
藤 猛(リキ)、浜田 剛史(帝拳)、平仲 明信(沖縄)など…剛腕が立ち並ぶ。
日本からは敷居の高いこの階級、世界の猛者たちの連続防衛記録を覗いてみます。
※WBA以前、NBA時代は除く。
スーパーライト級世界王座連続防衛回数トップ10
135~140ポンド (61.235~63.503kg)
かつてはジュニアウェルター級と呼ばれた階級。
初代世界王者は1922年のピンキー・ミッチェル(米)。
ただしこれは人気投票で選ばれたもの。
一時期消滅するものの1959年6月に復活。
ジュニア階級論争の真っただ中にあったこの階級ですが
その後の様々な名王者により権威が創られました。
第1位 12度防衛 第21代WBC世界スーパーライト級王者
世界のトップスターからマイク・タイソン(米)が消え去った後、
ボクシング界のトップスターとして活躍したのがこの男。
スーパーフェザー級王座を9度防衛、ライト級ではWBA/WBC統一王者となり、
3階級目として王座を獲得したのがこのスーパーライト級。
歴代連続防衛記録を塗り替え…各階級で大きな功績を残しての3階級制覇を達成。
スーパーフェザー級時代に一度下していたロジャー・メイウェザー(米)が、
2階級目としてWBCの王座に君臨していたスーパーライト級。
2度目の戦いでもメイウェザーを圧倒してWBC世界スーパーライト級王座を獲得。
3度目の防衛戦ではメルドリック・テーラー(米)との王座統一戦。
あわや敗北の最終ラウンド、テーラーをリングに沈めてTKO勝利。
試合終了まで残り2秒、レフリーが再開を許せばテーラーの勝利だった状況。
このストップは議論を呼び、レフリーのリチャード・スティールが非難にさらされました。
「Are You OK ?」と2度確認したが反応しなかった…
その是非は未だに議論に上がることがありますが、名レフリーとして名を残すスティールの
歴史に残るレフリングの一つです。
防衛ロードの最中には13万人を動員したグレッグ・ホーゲン(米)とのビッグマッチを制し、
ウェルター級王者に君臨していた、パーネル・ウィテカー(米)とのキャッチウェイト、
ノンタイトル戦に勝利するなど、栄光の頂点を極める。
最後はフランキー・ランドール(米)に人生初のダウンを奪われ敗北。
ただし、リマッチでは雪辱して王座を再獲得。
2期目の王座は、新時代のスーパースター、オスカー・デラホーヤ(米)に敗れて陥落。
3度目の返り咲きを狙ったミゲール・アンヘル・ゴンサレス(メキシコ)への挑戦では引分け。
さらに、ウェルター級を獲得したデラホーヤに、4階級制覇を賭けてアタックするも初のKO負けで念願ならず。
コンスタンチン・チューに挑んだスーパーライト級王座への返り咲きもならず…。
晩年は引退と復帰を繰り返したものの、全盛期のその栄光は決してすたれることのないレジェンド。
第2位 10度防衛 第10代WBA世界スーパーライト級王者
アントニオ・セルバンテス(コロンビア)
ロベルト・デュラン(パナマ)にも匹敵すると言われた猛者。
66戦を積み重ねてようやく叶えた世界挑戦、ニコリノ・ローチェの前に涙を飲む。
しかしそれから10ヶ月、再チャレンジのチャンスが与えられると
アルフォンソ・フレーザー(パナマ)を10Rで仕留めて王座を獲得。
以降10度の防衛を飾った中では、フレーザーとの再戦、ローチェへのリベンジを叶えている。
また、日本からはライオン 古山(笹崎)、門田 恭明(三迫)、
バトルホーク 風間(奈良池田)の3名がセルバンテスに屈している。
“ロベルト・デュランを破った男”エステバン・デ・ヘスス(プエルトリコ)もまた
セルバンテスに涙を飲んだ一人。
11度目の防衛戦では”バイブルオブボクシング”と言われたウィルフレド・ベニテス(プエルトリコ)の前に陥落。
しかし、その1年後には同じ王座に返り咲き、2期目は6度防衛。
こちらは歴代7位にランクされる連続防衛数。
最後は”シンシナティの荒鷲”アーロン・プライヤーに、この階級の盟主の座を明け渡す。
第3位 9度防衛 第6代WBC世界スーパーライト級王者
セルバンテスがWBA王座に君臨していた時期、WBC王座に君臨して双璧をなしたのがこの男。
技巧派らしく、セルバンテスと比較すると地味な存在だった。
アマチュアで世界軍人選手権を制してプロ入り。
デビュー戦では敗れてしまうものの、初期の2敗をキープして連戦連勝、欧州王者として世界挑戦を叶えた。
初挑戦でペドロ・アディグ(比)から王座を奪い取ると9度防衛。
しかし欧州から出なかった為、日本まで届いた情報は少ない。
当時の欧州の情報は米経由の情報が多く、ハオ・エンリケ(亜)やエベラルド・コスタ・アセベド(ブラジル)から
王座を守った際は、取り上げられることがあったようですが…。
日本人にとってはベールに包まれたまま…
最後は減量苦で王座を返上するが…2度と世界戦に挑むことはなく、
世界王座獲得以降無敗のまま引退している。
さて、4位以下はこんな感じ。
第4位 8度防衛 第13代WBA世界スーパーライト級王者 アーロン・プライヤー(米)
第5位 7度防衛 第10代WBC世界スーパーライト級王者 セーンサック・ムアンスリン(タイ)(2期目)
第5位 7度防衛 第21代WBC世界スーパーライト級王者 コンスタンチン・チュー(豪)
第7位 6度防衛 第12代WBA世界スーパーライト級王者 アントニオ・セルバンテス(コロンビア)(2期目)
第7位 6度防衛 第23代WBA世界スーパーライト級王者 フアン・マルティン・コッジ(亜)(2期目)
第7位 6度防衛 第13代WBO世界スーパーライト級王者 ミゲール・コット(プエルトリコ)
第10位 5度防衛 第8代WBA世界スーパーライト級王者 ニコリノ・ローチェ(亜)
第10位 5度防衛 第35代WBA世界スーパーライト級王者 アミール・カーン(英)
第10位 5度防衛 第12代WBC世界スーパーライト級王者 ソウル・マンビー(米)
第10位 5度防衛 第33代WBC世界スーパーライト級王者 ダニー・ガルシア(米)
第10位 5度防衛 第12代IBF世界スーパーライト級王者 コンスタンチン・チュー(豪)
第10位 5度防衛 第15代IBF世界スーパーライト級王者 ザブ・ジュダー(米)(2期目)
第10位 5度防衛 第7代WBO世界スーパーライト級王者 ジョバンニ・パリージ(伊)
4位の8度防衛にアーロン・プライヤー。
“シンシナティの荒鷲”プライヤーが4位。
アマチュアではトーマス・ハーンズ(米)さえ破るなど優秀な成績を収め、
モントリオール五輪には補欠として帯同。
トップアマの一員としてプロの世界へやってきた。
連戦連勝で一気に世界挑戦。
名王者、アントニオ・セルバンテスの牙城を崩して王座を獲得。
ロベルト・デュランやシュガー・レイ・レナード(米)などのスーパースターとの対戦が
何度も浮上し、あと一歩までいくものの、結局ビッグマッチは成立せず。
亀田 昭雄(協栄)にはダウンを奪われながら逆転のTKOで王座を防衛。
その後、ニカラグアの英雄、アレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)と対戦。
この試合で逆転のTKO勝利を飾るものの、セコンドの不正疑惑が噴出。
アルゲリョとはトレーナーを変えた後に再戦を行い、ここできっちりと勝利。
二人のビッグスターがこの試合を最後にそろって引退した。
ちなみに、この王座は事実上は返上ながら、記録上は指名試合を拒否したことによる剥奪となっている。
5位には7度防衛で2名。
まずはセーンサック・ムアンスリンの2期目。
ムエタイの世界王者となり、アマチュアボクシングでは東南アジア競技大会で優勝。
プロ転向すると世界最速の3戦目での世界王座獲得。
何もかもが規格外だった。
最初の王座は2度目の防衛戦でゴング後も過激を緩めることなく、反則負けで王座陥落。
許されたリマッチで、再度王座を獲得すると、そこから7度の王座防衛。
日本にも因縁深く、ムエタイ時代にはキックボクサーの玉城 良光の内臓を破裂させたが…
これが現在ではキックによるものとされているものの、当時はパンチで…とも言われたらしい。
真実ははっきりしていない。
ガッツ 石松(ヨネクラ)の世界挑戦を受けた際には、試合前後に風俗を梯子し、
試合中にはうがい用の水を飲み干しおかわりするなど、ぶっ飛んだ伝説も多く持つ。
最後はキム・サンヒョン(韓)に驚きのアップセットで敗北して王座陥落。
2人目はコンスタンチン・チュー。
ソビエトのトップアマとして活躍。
1991年には世界選手権で優勝しアマ王者に…。
ソビエト崩壊後、オーストラリアに移り住んでプロデビュー。
ジェイク・ロドリゲス(プエルトリコ)から王座を奪い取り、5度の防衛を積み重ねる。
いよいよビッグマッチが見えてきた6度目の防衛戦。
勝てばオスカー・デラホーヤとの対戦となったビンス・フィリップス戦。
チュー優位の予想が立つ中、驚きのアップセットでマットに沈む。
この5度の防衛も10位にランクイン。
その後、ディオベリス・ウルタド(キューバ)との王座決定戦を制してWBC世界スーパーライト級暫定王座を獲得。
さらに2階級制覇を狙い3度目の挑戦となるミゲール・アンヘル・ゴンサレスとの決定戦を制して正規王座を獲得。
晩年のフリオ・セサール・チャベスの返り咲きを阻み、シャンバ・ミッチェル(米)から
WBA世界スーパー王座を、ザブ・ジュダーからIBF王座を奪い去り、3団体を統一。
WBCの王座の防衛テープを7度まで伸ばすものの、
怪我の長期ブランクの間にWBC、WBAのベルトを相次いで剥奪されてしまう。
残ったIBFの王座は、ブランク中に暫定王者となっていたシャンバ・ミッチェルを下して防衛。
しかし次戦、リッキー・ハットン(英)の前に敗れ去り、さらには脳内出血が見つかり引退。
リングを後にした。
7位には3名が6度防衛で並ぶ。
まずはフアン・マルチン・コッジ。
ラディゴ(鞭)と呼ばれたアルゼンチンの英雄。
フリオ・セサール・チャベスが対抗王座に君臨し続ける時期、WBA王座に君臨した男。
1度目の王座獲得時は平仲 明信を下すなど、2度の防衛を記録するがロレト・ガルサ(米)の技巧の前に陥落。
しかし、2年半後の世界再挑戦、平仲を下して世界王者になっていた
モーリス・イースト(比)を8RTKOに下して王座を再奪取。
国内最強の名を欲しいままにした吉野 弘幸(野口)に世界の壁を見せつけるなど5度の防衛。
その中にはエデル・ゴンサレス(コロンビア)との試合で露骨過ぎる程の
地元びいきなレフリングもありましたが…。
倒れたコッジを抱き起こし、投げ入れられたタオルを捨ててしまい…
世界最悪のレフリングとさえ言われた試合です。
実はこれに近いレフリングの試合が、昨年オーストラリアで…オマリ・キムウェリ(豪)vsランディ・ペタルコリン(比)。
多少の反則や地元判定は許容できますが、レフリーのあからさまな不正は僕はちょっと受け付けない。
それは命の問題ですから。
話を戻して、ゴンサレスとの試合をさばいたレフリーは追放され、コッジとゴンサレスは再戦。
この試合ではコッジがゴンサレスを圧倒して決着。
しかしチャベスを倒した男、フランキー・ランドールの前に敗れ去る。
6度の防衛記録を残して王座を陥落しました。
この後、来日して坂本 博之(角海老宝石)を判定に破るなど再浮上したコッジ。
フランキー・ランドールと再戦し、これを制して2度目の王座返り咲きを果たす。
しかし、ラバーマッチとなった初防衛戦で、ランドールに2度目の敗北。
以降、世界戦線からは遠ざかった。
そして、現在も世界の第一線に立つミゲール・コット(プエルトリコ)がこの位置。
シドニー五輪にはプエルトリコ代表として出場したオリンピアン。
米国でデビューするとニューヨークの人気者に…。
ケルソン・ピント(ブラジル)から王座を奪うとランドール・ベイリー(米)や
デマーカス・コーリー(米)などの人気者を立て続けに破って防衛。
さらにはシドニー五輪で敗北したモハメド・アブドゥラエフ(ウズベキスタン)に
リベンジの勝利を飾る。
リカルド・トーレス(コロンビア)とは激しい打撃戦を制し、
ポール・マリナッジ(米)の挑戦も退けて6度防衛。
複数階級制覇に向けて王座を返上…ウェルター級へ進出していきました。
ミドルまで4階級を制覇し、重ねた敗北はマニー・パッキャオ(比)、フロイド・メイウェザーJr(米)
そしてサウル・アルバレス(メキシコ)など、時代を象徴する選手ばかり…。
米国を席巻するスーパースターの一人でもあります。
さらに、2位にもランクされるアントニオ・セルバンテスの2期目がここにランクイン。
さて、10位には5度防衛で7名が名を連ねる。
一人目はニコリノ・ローチェ。
「イントカブレ(触らせない)」と表現された卓越した技術の持ち主。
数々の強豪を倒して辿り着いた世界1位の座。
指名挑戦者として藤 猛に挑み、見事王座を獲得。
防衛ロードでもアントニオ・セルバンテスの世界初挑戦を討ち砕くなど、
骨太な相手と戦い続ける。
6度目の防衛戦でアルフォンソ・フレーザーに敗北し王座陥落。
二人目はアミール・カーン。
アテネ五輪銀メダリスト。
アマチュアの伝説、キューバのマリオ・キンデランに引導を渡した男としても名高い。
アンドレアス・コテルニク(ウクライナ)を圧倒して王座を獲得。
4度防衛すると、5度目の防衛戦ではサブ・ジュダー(米)との王座統一戦。
5RKOで勝利して3団体の王座統一に成功。
次戦ではラモン・ピーターソン(米)からダウンを奪いながら2度減点されて敗北。
この試合ではピーターソンの薬物使用が認められ、WBAの王座陥落は免れる。
しかし、ダニー・ガルシアとのWBA/WBC王座統一戦で倒され、今度こそ陥落。
その後は話題となるカードを重ねながら、昨年ミドル級王者のサウル・アルバレスにアタック。
一撃での失神KO負けは記憶に新しいところ。
階級的に無理をしすぎた感のあった試合、まだまだウェルター~スーパーウェルターで復活が期待できる選手です。
3人目にソウル・マンビー(米)。
セーンサック・ムアンスリンから王座を奪取していたキム・サンヒョンに挑戦。
この時、26勝12敗5分…平凡な戦績ながら、この試合で世界王座を獲得すると、
エステバン・デ・ヘススに引導を渡し、アーロン・プライヤーにスプリットまで迫った
ゲーリー・ヒントン(米)を下すなど5度の防衛を記録。
最後はリロイ・ヘイリー(米)に際どい判定で王座を明け渡しました。
4人目はダニー・ガルシア。
エリック・モラレス(メキシコ)からWBC王座を奪うと、初防衛戦はいきなり統一戦。
WBA王者のアミール・カーンを4Rで沈めてみせる。
さらにモラレスとの再戦を制すると、1階級上で3団体を統一したサブ・ジュダーをも退け、
WBC暫定王者になっていたルーカス・マティセー(亜)も打ち破る。
5度目の防衛戦こそ議論を呼ぶ判定で勝ち残ってしまったものの、WBC5度目の防衛以降は、
IBF王者だったラモン・ピーターソンとキャッチウェイトで
ノンタイトルを行い勝利するなど、その勢いは止まらず。
王座を返上して、現在はWBC世界ウェルター級王者として君臨しています。
5人目のコンスタンチン・チューは2期目が7位にランクインしており、
そちらで紹介済み。
6人目にはザブ・ジュダー。
世界を席巻したスピードスター。
1期目のIBF世界王座獲得は暫定王座。
そちらは剥奪されるも、1年後に得た正規王座決定戦で勝利して2度目の王座を獲得。
5度の防衛後、コンスタンチン・チューに敗れて陥落。
この試合では早いストップに大荒れのジュダー、納得いかずに大暴れ…。
その後、デマーカス・コーリー(米)を破ってWBO世界スーパーライト級を獲得。
こちらは1度防衛後に返上。
階級をウェルターに上げて、コーリー・スピンクス(米)に挑戦。
1度は敗北するものの、2度目の対戦で勝利してWBA/WBC/IBFと3つの王座を強奪。
しかし、初防衛戦でカルロス・バルドミール(亜)にまさかの敗北。
以降、フロイド・メイウェザーJr(米)やミゲール・コット(プエルトリコ)にも敗れて3連敗。
さらにIBF世界ウェルター級王座決定戦でジョシュア・クロッティ(ガーナ)にも敗北。
しかし、ルーカス・マティセとの挑戦者決定戦に勝ち残って再浮上すると、
カイザー・マブザ(南ア)との王座決定戦を制してIBF世界スーパーライト級王座を3度目の獲得。
こちらの王座はアミール・カーンに追われ、その後ダニー・ガルシアへの挑戦も実らず。
かつてはスーパースターの一人でしたが、徐々にその存在感は薄れ…
まだまだ現役だったものの、昨年11月に家庭内暴力で監収。
現在も刑務所と思われます。
…果たして復活はあるのか。
さて、最後の7人目はジョバンニ・パリージ。
ソウル五輪金メダリストとしてプロ転向。
わずかに躓きはあったものの順調にWBO世界ライト級王座を獲得。
2度目の防衛後、2階級制覇を目指してスーパーライト級へやってきます。
WBC王者だったフリオ・セサール・チャベスに挑戦するも大差判定負け。
しかし、その後WBO王座を獲得して2階級制覇。
この王座を5度防衛して返上。
3階級制覇を狙ってWBO世界ウェルター級に君臨していたダニエル・サントス(プエルトリコ)に挑む。
この試合は4Rで沈んでしまったパリージ。
そのまま3年のブランクを刻んでしまい…その後、世界戦線に絡むことはありませんでした。
トップ10は以上。
この階級も、比較的少ない防衛数でトップ10に入ってくる。
米国中心にビッグマッチが成立しやすくなってくる階級。
最近のスターたちも名を連ねはしますが、早々に王座を返上したり、剥奪されたり…
また、統一戦で王座を失うパターンも多くあります。
そしてこのトップ10…ほとんどがトップアマからの転向組。
叩き上げ…と言われる選手が少数派となってきます。
トップに輝くチャベス、全ての階級でその名を刻みつける3階級制覇は流石です。
日本人では藤 猛、浜田 剛史の1度が最高記録。
この階級で防衛を重ねた王者っていないんですね。
アフリカからはビビアン・ハリス(ガイアナ)が3度防衛で最高記録。
現役王者ではWBO/WBCの二つのベルトを持つテレンス・クロフォード(米)が
WBOを4度防衛中…あと1度でトップ10入りしてきます。
この階級では頭一つ抜けている…みなさん共通認識ではないでしょうか。
さらに、先日エドゥアールト・トロヤノフスキ(ロシア)から
衝撃の1RTKOで王座を奪ったジュリアス・インドンゴ(ナミビア)…
まさに新星登場のような衝撃。
なかなか面白くなってきています。
さて、次回はウェルター級。
中量級戦線に絡んだ選手がごっそり…。
てな訳でまた次回。
※記録は2017/1/21時点
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ボクシング選手名鑑
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