日本ボクシング界 暗黒の時代② ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2015/11/23

日本ボクシング界 暗黒の時代② ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2015/11/23
 
 
 

さて、一昨日は21連敗を振り返ろうということで、6敗目まで紹介たところで僕が嫌倒れ。
ジワジワとボディを効かされたような感じでした。

が、途中でやめる訳にもいかず…。
というわけで、本日はサクサク行きます!6敗目から!
 

【6戦目】
1988年7月9日 WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ
ヒルベルト・ローマン(メキシコ) 5RTKO 内田 好之(上福岡)

渡辺 二郎(大阪帝拳)からベルトを奪ったヒルベルト・ローマン。
同時期のWBA王者、カオサイ・ギャラクシー(タイ)が人気王者だったので、
陰に隠れがちですが、彼も名王者の1人。

超絶なテクニックと追い込まれたときに見せる強打で撃ち抜いて高いKO率を誇っていた駆け引き上手。
2度目の王座陥落後、3度目の挑戦を前に事故死したというニュースは、
日本のボクシングファンにも衝撃を与えました。

そんなローマンはこの頃、6度防衛した王座を手放したものの返り咲きを果たして第二次政権期。
そのローマン第二次政権の初防衛戦に挑んだのが内田。
2度目の日本王座挑戦で見事タイトルを獲得し、即世界挑戦に駒を進めて来ました。
21勝のうち19KOは軽量級では破格の数字。
とんでもないパンチャーとして期待されていた選手。

内田の自慢の豪打はこの試合でも爆発。
軽く伸ばしたような左で4Rにローマンからダウンを奪います。

国内2本目のベルトか…と誰もが期待したラウンド終盤、
追い詰められた王者にとんでもないアッパーをもらってしまいます。
ダメージを引きずった5R開始直後、今度は王者の左でダウン。
再開後は全力の右ストレート、カウンターの左フックをもらい2度目のダウン。
なんとか立ち上がるものの、レフリーの判断はストップ…。
5RTKOに沈みました。

テクニックを駆使した天才肌のローマンが見せた野獣のような姿。
そんなローマンを見れるのは日本国内の試合ではこの一度きりなんですね。
テクニシャン…パンチがなく手数で積み上げたKOなんて言われてますが
メキシコで戦ってる初期の頃はハードパンチャーとして恐れられてるんです。
世界戦で勝つために戦略を貫くローマンしか知らない日本のファンには衝撃ですが、
実はこの獰猛な姿が本来の姿だったりします。
 

王者からダウンを奪ったことでも大健闘の内田。
戦績から言っても、試合内容から言っても、まだまだチャンスがありそうだったんですが、
結局、この試合を最後に引退しています。
 

【7戦目】
1988年9月4日 WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ
ヒルベルト・ローマン(メキシコ) 12R判定 3-0(119-108、117-109、115-111) 畑中 清詞(松田)

ヒルベルト・ローマン、2度目の防衛戦。
これで渡辺、内田、畑中と、ローマンは日本3試合目。

畑中は名古屋から初となる世界王者を目指して初挑戦。
プロ入り後全勝でローマンに挑みます。
…が試合開始直後の1Rにダウン。
ダウンから立ち上がった直後にはローブローで悶絶。
さらに3Rにもローブローで悶絶…。

もちろんローマンに減点が課されますが、試合は老獪な技術に翻弄されての大差判定負け。
ローブローのインターバルではリング中央で、椅子に座らされた畑中。
一世一代の晴れ舞台で自分があの立場になったらと考えると、いったいどんな顔すりゃいいかゾッとします…。
さぞ悔しい思いをしたことでしょう…。

結局この敗戦で世界王座まで2年半の遠回りをすることとなります。
 
 

【8戦目】
1988年10月16日 WBA世界スーパーバンタム級タイトルマッチ
フアン・ホセ・エストラーダ(メキシコ) 11RTKO 六車 卓也(大阪帝拳)

この21連敗(21連続世界挑戦失敗)の1つ目で不可解な引分となってから8カ月。
階級を上げ、2階級制覇を目指してエストラーダに挑んだのがこの試合。
まさに殴り合いと言うべき壮絶な試合、六車が先に力尽きたというのがぴったりの表現。

この試合で六車は引退。
日本の人気王者が1人リングを去ることとなりました。
 
 

【9戦目】
1988年11月12日 WBC世界フライ級タイトルマッチ
キム・ヨンガン(韓) 12R判定 3-0(118-107、118-107、118-107) エミール 松島(洛翠)

のちにレパード 玉熊の初挑戦を退けることとなるキム・ヨンガンに、
フィリピンからの輸入ボクサー、エミール 松島が挑んだ試合。
敵地韓国での開催、頭からくるヨンガンに自分の距離を作れず終始圧倒された松島が判定負け。

この挑戦をきっかけに負けが混んだ松島は二度と世界戦線に浮上することはありませんでした。
 
 

【番外編】
1988年11月13日 WBC世界ミニマム級タイトルマッチ
ナパ・キャットワンチャイ(タイ) 12R判定 2-0(115-112、115-112、113-113) 井岡 弘樹(グリーンツダ)

疑惑のゴングで井岡が防衛した前戦のリマッチ。
前回は負けに等しい引分でなんとかベルトを守った井岡。
タイでは日本大使館前で抗議デモが起こるなどちょっとした騒ぎになり、ナパ陣営はWBCへ提訴。
WBCはナパの提訴を認め、ダイレクトリマッチとなりました。

9Rには投げで、12Rには後頭部への打撃でそれぞれ1点ずつナパが減点されます。
それでもナパの2-0の判定勝ち。
前回同様、試合内容ではナパが圧倒していました。

さて、これで国内から世界のベルトが無くなってしまった日本。
気付けば世界戦9連敗。
これはマズいとボクシング界がピリピリしてきます。
 
 

【10戦目】
1989年2月12日 WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ
ユ・ミョンウ(韓) 10RTKO 小見山 カツミ(ハラダ)

WBA世界ライトフライ級の伝説的王者、ユ・ミョンウに敵地で挑戦した小見山。
ミョンウは既に10度王座を防衛。
この頃は韓国でしか防衛戦を行わなかったミョンウ。
この王者に挑戦しようと思うと、当時は敵地に乗り込むしか無かったんですね。

結果は10RTKO負け。ポイントでも獲れたラウンドは1Rのみと…。
圧倒的大差をつけられ地力負け。

結局小見山の世界挑戦はこの1試合のみ。
再度世界を目指したものの、ロッキー・リン(ロッキー)や井岡 弘樹との挑戦者争いに敗れ、
二度とチャンスが巡ってくることはありませんでした。
 
 
 

はい、という訳で、本日も限界…。
 
 
 

残りは明日へ持ち越し!!!!
 
 

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