日本ボクシング界 暗黒の時代① ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2015/11/21

日本ボクシング界 暗黒の時代① ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2015/11/21
 
 
 

前回までピックアップで、日本人の元世界王者、
レパード 玉熊(国際)大橋 秀行(ヨネクラ)を取り上げましたが、
この2人、ちょうど同じ時期に世界王者になってるんですね。

日本に世界のベルトがない時代を終わらせたのが大橋 秀行。
その直後に、レパード 玉熊がベルトを獲り、大橋がリカルド・ロペス(メキシコ)に敗れた後、
日本国内に唯一となってしまったベルトをヘスス・ロハス(ベネズエラ)から守ったのがレパード 玉熊。

もし玉熊がロハスにベルトを奪われてしまっていたら…
暗黒の時代が終焉した直後にまた、国内から世界のベルトが消えうせることになるので
大橋が成し得た日本の暗黒時代の終焉っていう偉業が、少し曖昧になっちゃってたかもしれません。

25年を経て振り返ってみると、レパード 玉熊によってあの偉業は霞むことなく、
今なおボクシングファンにとって残り続けているんだな…と感じます。
 

ところで、世界王者が何人もいる日本ボクシング黄金時代とも言える今、
暗黒時代って言われてもピンと来ないかもしれません。

ボクシングファンとして、この冬の時代を見て見ぬふりしたいのもあるんですが、
この時代の辛さを当時になりきって実感できれば、きっと大橋の偉業の感動ももっと大きくなるはず…と。
YouTube見て泣けるんじゃないか…と。

そんな感じで…今回はこの暗黒の時代に起こった、日本人世界挑戦21連続失敗…
これを振り返っちゃいましょう!
 
 

 

【1戦目】
1988年1月17日 WBA世界バンタム級タイトルマッチ
ウィルフレド・バスケス(プエルトリコ) 12R引分 1-1(115-115、114-116、117-112) 六車卓也(大阪帝拳)

この頃ベルトを持っているのは井岡弘樹(グリーンツダ)ただ一人。
初代WBC世界ミニマム級王者として19歳の少年が世界のベルトを抱えていました。

日本に2本目のベルトを…と王者に挑んだのが王座返り咲きを狙う六車 卓也。
この試合、物議をかもしだす判定。
内容は六車が勝利したと思えるような内容なんですが、5P差でバスケスに付けたジャッジが…。
この点数をつけたのが女性ジャッジのパトリシア・ジャーマン。
「六車は手数とアグレッシブな点では勝っていたが、顔が腫れすぎ。
 私はボクサーの腫れあがった顔は好きではない、だからバスケスに付けた」

…彼女にまずルールを教えるか、採点基準に”face”を付け加えておくべきではないでしょうか…。
That’s Boxing…と言われればそうなんですが…これはあまりにも…。

日本の暗黒時代…こんなところから始まるわけです。
 

【2戦目】
1988年1月31日 WBC世界フライ級タイトルマッチ
ソット・チタラダ(タイ) 7R棄権 神代 英明(グリーンツダ)

この神代って選手…7戦全勝で8戦目に世界に挑んだんですが…
7勝のレコードの中にタイトル獲得者が一人もいない。
しかもこのタイトルマッチに敗れて引退しちゃってるんで、通産で8試合だけなんです。
後から、ロクな実績もないなんて叩かれてましたが…

僕はね、世界戦のチャンスがあればやった方がいいと思いますよ。
噛ませ犬の構図になっちゃったとしてもね、噛ませ犬は、たまに噛むから。
とにかく選手に(無謀とも思える)チャンスを多く作ってた当時のグリーンツダジムは
政治力うんぬんて言われたりもしたんですけど、僕はアリだと思う。

対するソット・チタラダは世界戦8戦目。圧倒的に経験も実績も違います。
当然世界挑戦するだけでも凄いことですし、世界王者相手に7Rまで戦うことも凄いこと。
早い段階でカットを負ってしまった神代。

この試合、実はソットは本調子ではなかったとも言われています。
飛び抜けた実力を持ちながら、不摂生から調子に波のあったソット。
カットさえなければ…と思える内容で敗退。

神代さん、現在、神拳ジムの会長さんをされてるんですね。
 

【3戦目】
1988年2月5日 WBA世界ウェルター級タイトルマッチ
マーロン・スターリング(米) 12R判定 3-0(117-112、118-110、117-114) 尾崎 富士雄(帝拳)

続いては敵地に乗り込んでの名勝負、尾崎富士雄。
今では人気タレントになっている赤井 英和(グリーンツダ)に全日本新人王で敗れた選手です。

ライト級とウェルター級の国内王座をそれぞれ2度ずつ獲得。
国内ではシャイアン 山本(国際)友成 光(新日本木村)田端 信之(コーエイ小田原)に黒星をつけられています。

赤井に関しては、リング上での事故で引退していた為、リベンジできませんでしたが、
赤井以外の負けた相手すべてにリベンジを果たし、国内に敵なしとしてベルトを返上。
世界挑戦を実現させます。

しかし層の厚いウェルター級。
日本に王者を呼ぼうったってそう簡単には行きません。
いざ、敵地アメリカ アトランティックシティへ…

対するは第15代WBA世界ウェルター級王者 マーロン・スターリング。

マジックマンの異名を持つ老獪なテクニシャン。
前に前に突進する尾崎を、交わし、翻弄し、カウンターを入れ…。
判定で散った尾崎でしたが、現地のファンはスターリングにブーイング…。

映像を見る限り、地元判定だとかではなさそうです。
ブーイングはアグレッシブさが光った尾崎に対し、撃ち合わずにかわした王者に向けられたものに思えます。
反面、尾崎のボクシングはアメリカでも認められたようで…。
ニューヨークタイムスにはスターリングの勝ちを疑問視する内容も掲載されました。

しかし敗北は敗北。
尾崎の世界初挑戦は、無情にも王座獲得には至りませんでした。
 
 

【4戦目】
1988年4月24日 WBA世界ミニマム級タイトルマッチ
レオ・ガメス(ベネズエラ) 3RTKO 横沢 健二(三迫)

横沢はこのとき10勝(3KO)7敗2分。
空位となった日本王座を決定戦で獲得。
1度も防衛せずに返上し、世界王座に挑むこととなります。

レパード 玉熊に勝つなどしているものの、まだこの頃は玉熊も世界獲得前。
日本国内でほとんど無名に近く、ミスマッチとしてマスコミに叩かれます。

対するレオ・ガメスはのちの4階級制覇王者。
日本ボクシング界の有力選手達と名勝負を繰り広げた90年代日本ボクシング界の宿敵。

この頃はまだ、1つ目のベルトであるWBA世界ミニマム級を獲得した直後。
ちょうどこの試合が初来日になるんですね。

試合の結果は3RTKOでガメスの圧勝。
最軽量級とは思えぬ強打で、横沢の折れた前歯がガメスのグローブに突き刺さっていたそうです。
 
 

【番外編】
1988年6月5日 WBC世界ミニマム級タイトルマッチ
井岡 弘樹(グリーンツダ) 12R判定引分 1-1(113-113、113-114、115-113) ナパ・キャットワンチャイ(タイ)

日本唯一の世界王座の椅子を守る井岡と、わずか7戦目で世界王座に挑んできたナパの試合。
ナパは5戦目でWBCストロー級インターナショナル初代王座を獲得。
1度防衛後、世界戦へ挑んで来ました。

この試合、初回にダウンを奪うものの、その後のラウンドを圧倒される井岡。
最終ラウンドには、ダウン寸前まで追い詰められた井岡。
救ったのは30秒早いゴング…。
ダウンしていれば判定で落としていた試合でした。

日本ボクシングもそういったダーティーなことがおおっぴらに行われていた時代があったんですね。
とにもかくにも何とか王座を防衛。
日本唯一のベルトは守られることとなったのです。
 

【5戦目】
1988年6月27日 WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ
チャン・ジョング(韓) 8RTKO 大橋 秀行(ヨネクラ)

以前紹介しました、大橋の世界初挑戦ですね。
詳しくは大橋 秀行の回で…
 
 

 

…ちょっとね、もうしんどい。
長くなってきてますんで、ここからは明日!!!
なんか日本人の負け試合ばっかり調べてたらなんだかもやもやしてきた!!
寝る!!
 
 

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