レパード 玉熊(Leopard Tamakuma)

レパード 玉熊(Leopard Tamakuma)(国際)

 

本名:玉熊 幸人
生年月日:1964年1月25日
国籍:日本
戦績:33戦27勝(13KO)5敗1分

 

【獲得タイトル】
全日本ライトフライ級新人王
1986年度フジテレビ杯A級賞金トーナメントフライ級優勝
第33代日本フライ級王座
第28代WBA世界フライ級王座

 

【戦歴】
1983/05/21 ○4R判定 (採点不明) 三沢 拓人(柏)
1983/07/08 ○4R判定 (採点不明) 関 猛(内野)
1983/09/27 ○4R判定 (採点不明) 大胡 幸喜(銚子)
1983/11/10 ○4R判定 (採点不明) 横沢 健二(三迫)
1983/12/17 ○6R判定 (採点不明) 渡真利 誠司(キング)

■1983年度全日本ライトフライ級新人王決定戦
1984/02/22 ○6R判定 (採点不明) 小山 和久(中日)
※全日本新人王獲得

1984/05/03 ●8R判定 0-2(77-78、76-77、78-78) 正木 高浩(三迫)
1984/07/30 ○6RKO 谷内 均(平和)
1984/10/12 ○7R判定 (採点不明) 吉元 勝(菊地)
1984/12/17 ●10RKO 喜友名 朝博(協栄)
1985/03/28 ●8R判定 0-2(採点不明) 横沢 健二(三迫)
1985/06/18 ○7RKO 角田 豊(ビクトリー)
1985/08/22 ○8R判定 3-0(80-73、80-73、80-73) 中村 欣也(三迫)
1985/10/27 ○4RTKO 松本 友男(小山ヨネクラ)
1986/02/27 ○10R判定 3-0(100-96、100-94、100-97) 船木 一良(内野)
1986/05/22 ○3RKO 高橋 正之(新日本木村)
1986/07/23 ○6R判定 3-0(59-56、60-54、60-55) 中島 俊一(ヨネクラ)

■1986年度フジテレビ杯A級賞金トーナメントフライ級決勝
1986/09/25 ○8R判定 3-0(80-73、80-74、80-74) 名嘉真 堅徳(三迫)
※A級トーナメントフライ級優勝

1986/11/27 ○7RKO 田中 正人(金子)

■日本フライ級タイトルマッチ
1987/02/26 ○10R判定 3-0(99-96、98-96、97-96) 西川 浩二(三迫)
※日本フライ級王座獲得

■日本フライ級タイトルマッチ
1987/05/28 ○10R判定 3-0(99-94、99-94、100-94) 西川 浩二(三迫)
※日本フライ級王座防衛①

1987/07/20 ○4RKO ペッチチャイナート・ドーンチェディー(タイ)

■日本フライ級タイトルマッチ
1987/09/21 ○7RKO 松島 鉄美(山神)
※日本フライ級王座防衛②

1987/11/30 ○7RTKO エリセール・バウチスタ(比)

■日本フライ級タイトルマッチ
1988/02/25 ○10R判定 3-0(99-95、100-95、99-93) 愛川 俊雄(京浜)
※日本フライ級王座防衛③

■日本フライ級タイトルマッチ
1988/06/05 ○4RKO 徳島 尚(グリーンツダ)
※日本フライ級王座防衛④(のちに返上)

■WBA世界フライ級タイトルマッチ
1989/03/05 ●12R判定 0-3(113-115、113-115、113-115) キム・ヨンガン(韓)
※WBA世界フライ級王座挑戦

1989/07/08 ○3RKO ポーンモンコル・チョビクル(タイ)
1989/11/11 ○3RKO レックス・ラピソ(比)
1990/05/10 ○10RKO フラッシュ・コロニア(比)

■WBA世界フライ級タイトルマッチ
1990/07/29 ○10RTKO イ・ヨルウ(韓)
※WBA世界フライ級王座獲得

■WBA世界フライ級タイトルマッチ
1990/12/26 △12R判定 1-0(117-114、114-114、115-115) ヘスス・ロハス(ベネズエラ)
※WBA世界フライ級王座防衛①

■WBA世界フライ級タイトルマッチ
1991/03/14 ●12R判定 0-3(113-117、111-118、112-116) エルビス・アルバレス(コロンビア)
※WBA世界フライ級王座陥落

 

【補足情報】
・アマチュア戦績:40戦33勝(2KO)7敗。アマチュア時代にはのちにIBF世界バンタム級王者と
 なる新垣 諭(奈良池田)に敗北している。1981年度高校ライト・フライ級1位。
・本名「玉熊幸人」として国際ジムよりプロデビュー。ランカーになるとリングネームを付ける
 国際ジムの慣例により正木 高浩戦よりリングネームを「レパード 玉熊」に変更。
・WBC世界フライ級王座陥落後、網膜はく離が判明し、現役を引退した。
・引退後は国際ジムでトレーナーを行っていたが、のちにレパード玉熊ジムを開設。
 トレーナーとしてはWBA世界スーパーフライ級王者セレス 小林らを育てた。

 

※当ブログでは情報を求めています。
 誤った情報、追記すべき内容等ありましたら精査の上反映させていただきますので
 コメントいただけますと幸いです。

 

索引に戻る
索引-れ-に戻る
索引-L-に戻る

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました