徳島 尚(Hisashi Tokushima)

徳島 尚(Hisashi Tokushima)(新日本サイトー)

 

本名:徳島 尚
生年月日:1968年3月27日
国籍:日本
戦績:33戦26勝(11KO)6敗1分

 

【獲得タイトル】
1986年度西日本ライトフライ級新人王
第6代日本ミニマム級王座
第22代OPBF東洋太平洋フライ級王座

 

【戦歴】
1985/10/08 ○1RKO 都築 正祥(常滑)
1985/10/29 ○4R判定 (採点不明) 藤田 隆宣(木下)
1985/11/27 ○4R判定 (採点不明) 宮崎 宗久(進光)
1985/12/26 ●4R判定 (採点不明) 茂野 和也(楠)
1986/03/06 ○3RTKO 東保 佳秀(鶴崎)
1986/06/02 ○4R判定 (採点不明) 川島 光夫(レンゴー)
1986/09/07 ○4R判定 (採点不明) 宇戸 浩(アポロ)

■1986年度西日本ライトフライ級新人王決勝
1986/09/28 ○1RKO 辻野 俊彦(大星)
※西日本新人王獲得

■1986年度西日本・中日本ライトフライ級新人王対抗戦
1986/10/26 ○2RKO 都築 正祥(常滑)

■1986年度全日本ライトフライ級新人王西軍代表決定戦
1986/12/06 ○6R判定 (採点不明) 中村 誠(福岡帝拳)

■1986年度全日本ライトフライ級新人王決定戦
1987/02/21 ●6R判定 0-2(58-58、58-59、58-59) 木村 健一(帝拳)
※全日本新人王敗退

1987/04/28 ○1RKO 小間 俊克(松田)
1987/07/08 ○5RKO 小間 俊克(松田)
1987/10/18 ○3RTKO 辻野 俊彦(大星)

■日本フライ級挑戦者決定戦
1988/04/09 ○10R判定 3-0(98-97、98-95、97-96) 高橋 正之(新日本木村)
※日本フライ級挑戦権獲得

■日本フライ級タイトルマッチ
1988/06/05 ●5RTKO レパード 玉熊(国際)
※日本フライ級王座挑戦

■日本ミニマム級タイトルマッチ
1988/11/13 ○10R判定 2-0(96-96、98-95、99-96) ミサイル 工藤(大分)
※日本ミニマム級王座獲得

■日本ミニマム級タイトルマッチ
1988/12/18 ○10R判定 2-1(99-96、97-96、97-98) 掛橋 秀和(木下)
※日本ミニマム級王座防衛①(のちに返上)

1989/05/01 ○4RKO ジョエル・レビリャ(比)
1989/09/06 △10R判定 1-0(95-95、95-93、94-94) 松岡 洋介(黒潮)

■WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ
1990/01/14 ●7RTKO ユ・ミョンウ(韓)
※WBA世界ライトフライ級王座挑戦

1990/04/09 ○10R判定 3-0(97-94、99-96、97-94) サントス・デンガラジャ(インドネシア)
1990/07/16 ○10R判定 3-0(98-92、97-93、96-94) カージ・チャートバンデット(タイ)
1990/11/24 ○10R判定 3-0(99-91、100-90、100-90) サミー・タイソン(比)
1991/01/17 ○10R判定 3-0(97-93、98-92、98-92) ジョエル・レビリャ(比)
1991/10/11 ○6RTKO ニノ・アノサ(比)

■OPBF東洋太平洋フライ級タイトルマッチ
1992/04/24 ○12R判定 2-1(117-115、113-118、117-112) バハール・ウディン(インドネシア)
※OPBF東洋太平洋フライ級王座獲得(のちに返上)

1992/06/15 ○6R判定 (採点不明) フレッド・ティペト(比)
1992/12/05 ○3RKO ロニー・ロメロ(比)
1993/03/28 ○10R判定 2-0(97-97、98-96、97-96) ノリト・カバト(比)
1993/08/14 ●10R判定 0-3(93-98、93-98、93-99) 飯田 覚士(緑)
1995/05/09 ○4RKO 金沢 賢治(ファイティング原田)
1995/12/12 ●10R判定 0-3(96-98、96-98、96-98) 平野 公夫(ワタナベ)

 

【補足情報】
・大阪府大阪市西淀川区出身。
・中学校1年の時、父親と共に東京都府中市へ移住。中学校卒業後、川崎市のジムに
 入門したが、数か月後、大阪市のグリーンツダジムに移る。
・同門の山根 禎英(グリーンツダ)エディ・タウンゼント(米)、徳島の三人で写った写真を
 お守りとしていた。ボクシングのノンフィクション小説「遠いリング」に
 日本ミニマム級王座獲得までの道のりが描かれている。
・グリーンツダ所属としてデビューし、ノリト・カバト戦を小倉高橋所属として戦い、
 飯田 覚士戦を再びグリーンツダ所属として戦った後、金沢 賢治戦より新日本サイトー所属。
・引退後は徳島スポーツボクシングジムを開いている。

 

※当ブログでは情報を求めています。
 誤った情報、追記すべき内容等ありましたら精査の上反映させていただきますので
 コメントいただけますと幸いです。

 

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コメント

  1. Y工業(株) より:

    ■1986年度ライトフライ級新人王トーナメント
    ・都築 正祥(西日本・中日本対抗戦)
    ・中村 誠(西軍代表決定戦)

    ■1990/11/24 対戦者名の修正をお願いします。
    (誤)サニー・タイソン
    (正)サミー・タイソン Sammy Tyson

    ■所属ジム
    ・デビュー戦~1992/06/15 Fred Tepait 戦 グリーンツダ

    ・ロニー・ロメロ 戦~ノリト・カバト 戦 小倉高橋
     ※プロモートは引続きグリーンツダが担当。
      公式ランキング表ではグリーンツダのまま。

    ・飯田 覚士 戦 グリーンツダ(復帰)
    ・金沢 賢治 戦~平野 公夫 戦 新日本サイトー

    • seki より:

      Y工業(株)様

      教えていただきありがとうございます。
      以下以外に関しては修正いたしました。

      以下に関しましては、別途確認を行いますので、その旨、
      補足に記載しております。

       ・ロニー・ロメロ 戦~ノリト・カバト 戦 小倉高橋
        ※プロモートは引続きグリーンツダが担当。
         公式ランキング表ではグリーンツダのまま。

      今しばらくお待ちください。

      • seki より:

        Y工業(株)様

        資料より、小倉高橋へ正式に移籍したのは1993年3月と考えられます。
        ロニー・ロメロ戦については正式な所属はグリーンツダのまま、
        小倉高橋のプロモートで戦っているようです。

        <<抜粋>>
        ワールドボクシング 1993年4月号 リングサイドニュース「短信」

         フライ級の徳島尚がようやく正式にJBCにジム移籍届を提出。グリーンツダジムから小倉高橋ジムへ。

        ボクシングマガジンではロニー・ロメロ戦について以下のように記述されています。

        ジム移籍後初勝利を飾った徳島には世界タイトル再挑戦の計画が持ち上がっている。移籍と言ってもグリーンツダジムから小倉高橋ジムに所属を変えただけにすぎず、徳島はこれまで通り大阪でトレーニングをこなして今回の試合に備えた。したがって正確には小倉高橋ジム扱いというべきなのかもしれない。徳島のこうした動きは、実はすべて近い将来の小倉での世界挑戦を前提にしてのことなのである。(以下略)

        所属を変えたとは明記されていますが、正式な移籍届が翌年3月であることから
        厳密にはグリーンツダ所属となるかと思います。

        考え方次第で、どちらの表記としても問題ないかとは思いますが
        今回はここまで確認できたため、厳密なところでロニー・ロメロ戦は
        グリーンツダ所属として扱いたいと思います。

  2. Y工業(株) より:

    詳細情報ありがとうございます。
    レンタル移籍のようなものですね。

    【戦歴】の修正をお願いします。
    (誤)聡志(緑)
    (正)飯田 覚士(緑)

    • seki より:

      Y工業(株)様

      教えていただいてありがとうございます。
      修正中のタイプミスでした。
      失礼いたしました。

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