触沢 公男(Kimio Furesawa)

触沢 公男(Kimio Furesawa)(東洋)
 
 

本名:不明
生年月日:1950年1月9日
国籍:日本
戦績:37戦24勝(8KO)8敗5分
 
 

【獲得タイトル】
なし
 
 

【戦歴】
1969/01/09 ○4R判定 (採点不明) 山本 春之(リキ)
1969/02/26 △4R判定 (採点不明) 塚本 政美(笹崎)
1969/04/11 ○4RKO 山口 昭彦(東拳)
1969/05/19 ●4R判定 (採点不明) 大島 伸太郎(横浜協栄)
1969/08/30 ○4R判定 (採点不明) 川神 正国(田辺)
1969/09/18 ○4R判定 (採点不明) 川又 信行(ピストン堀口)
1969/10/02 ○4R判定 (採点不明) 中山 末成(ヨネクラ)
1969/10/16 ○4R判定 (採点不明) 留岡 偲(金子)
1969/11/05 ○4R判定 (採点不明) 大沢 真治(水戸)
1970/01/11 △6R判定 (採点不明) 千 満(横浜協栄)
1970/02/19 △6R判定 (採点不明) 城 隼人(丸山)
1970/05/03 ●4R負傷判定 (採点不明) 城 隼人(丸山)
1970/09/20 ○6R判定 (採点不明) 深井 正(笹崎)
1970/12/30 ○6R判定 (採点不明) 平沼 恒夫(東拳)
1971/06/23 ○6R判定 (採点不明) 土屋 直通(パルン)
1972/02/03 ○6R判定 (採点不明) カミカゼ 島田(AO)
1972/08/05 ○2RKO 岩本 昭夫(木村)
1972/08/31 ○4RKO レンジャー 細井(ヨネクラ)
1972/12/01 ○10R判定 (採点不明) ピーター・ノブレ(比)
1973/01/26 △10R判定 (採点不明) カタリーノ・フローレス(比)
1973/03/30 ○10R判定 (採点不明) カタリーノ・フローレス(比)
1973/05/11 △10R判定 1-1(47-47、48-46、47-48) 中田 三喜雄(船橋)
1973/09/18 ●10R判定 0-3(46-49、46-48、46-48) 下里 賢一(東洋)
1974/07/18 ●10R判定 (採点不明) ビーバー 梶本(松田)
1975/05/19 ○10R判定 (採点不明) 浦崎 幸也(山上)
1975/06/20 ○3RKO 米山 豊秋(沖縄帝拳)
1975/08/23 ○3RKO 須賀 義治(松田)
1975/10/31 ○10R判定 (採点不明) ビーバー 梶本(松田)
1975/12/17 ○10R判定 (採点不明) フレディ・モラン(ベネズエラ)
1976/03/16 ●10R判定 (採点不明) ファースリソン・シンファノン(タイ)
1976/04/24 ●10R判定 (採点不明) キム・ハクヨン(韓)
1976/06/05 ○9RKO ハリケーン 宮川(熊本)
1976/09/07 ○10R判定 3-0(48-46、49-46、48-47) 神田 裕幸(アベ)
1976/12/14 ○8RKO 小熊 正二(新日本木村)
1977/03/08 ○6RKO ホセ・ルイス・クルス(メキシコ)

■WBC世界フライ級タイトルマッチ
1977/06/15 ●15R判定 0-3(138-148、139-149、140-149) ミゲル・カント(メキシコ)
※WBC世界フライ級王座挑戦

■WBA世界フライ級タイトルマッチ
1978/01/02 ●7RTKO グティ・エスパダス(メキシコ)
※WBA世界フライ級王座挑戦
 
 

【補足情報】
・岩手県岩手郡葛巻町田部字正路出身。
・中、高校時代はバスケットボール部。背が低いためレギュラーになれず、体重制の
 ボクシングに魅力を感じた。高卒後上京して競技開始。
・タツミジムよりデビューし、深井 正戦よりジム名称がミカドジムへ変更、ビーバー 梶本戦より
 東洋ジムへと移籍した。移籍の理由は下里 賢一戦で相手コーナーの小島会長の適切な
 アドバイスに感心したことから。
・1970年のある日、路上で伝道師に出会い、熱心なクリスチャンになった。
・WBC世界フライ級王座を2度獲得する大熊 正二と対戦し、8RKOで勝利している。この勝利は
 永遠の語り草になるといわれる大番狂わせだった。
 
 

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