リカルド・ロペス…来日 大橋 秀行(ヨネクラ)⑤ ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2015/11/19

リカルド・ロペス…来日 大橋 秀行(ヨネクラ)⑤ ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2015/11/19
 
 
 

さて、前回は3度目の世界挑戦でようやくベルトを巻いた大橋 秀行(ヨネクラ)
伝説の後楽園ホール、バンザイコール。
そんなところまででした。
 
 

初防衛戦に迎えたのは、ナパ・キャットワンチャイ(タイ)
当時唯一の日本人世界王者だった井岡 弘樹(グリーンツダ)からベルトを奪い、
日本国内に世界のベルト0という暗黒の歴史を刻みつけた選手。
日本ボクシング界の復讐とでも言うべきがこの試合。

この時期、国内に1本しかない世界のベルト。
たった一人でボクシング界を背負っていたのがこの時期の大橋。
ここで敗れれば、またベルト0本…悪夢の再来です。

この試合の2R、左右のフックでグラつかせ、
ショートストレートのカウンターでダウンを奪った大橋。
以降は大橋がいつ倒すかという一方的な展開。
しかし、ナパは最後まで粘り切り、勝負は大差判定勝ち。

日本ボクシング界の宿敵に圧倒的な勝利を収めます。
 

そして2度目の防衛戦、挑戦者に選んだのは世界的に評価の高かったリカルド・ロペス(メキシコ)
しかし、この頃はまだ国内でのロペスの実力は未知数。

かたやナパに圧勝した大橋。
国内では大橋最強説が支配。
ロペスが来日するまでは…。

公開スパーの対戦相手を務めたのは大橋と対戦経験もある日本ランカー桜井 靖高(多寿満)
ロペスの出すパンチ全てを喰らい続け、14オンス、ヘッドギアありでダウンしてしまう。
コメントでは「パンチが見えない」としきりに繰り返し…。

予備動作が少なすぎて、「来る」と気付いた時には既にパンチをもらっている。
何日経とうがその繰り返し…。

マスコミ、関係者が騒然となります。
とんでもない挑戦者を引き当てた…と。
 

試合が始まると大橋のパンチは当たっても単発。
2Rには綺麗にワンツーを喰らいダウン。
5Rにはワンツーから相撃ちの左フックでダウンし、立ち上がれず…。
完膚なきまでに叩きのめされ敗北。

試合後、悔しそうな表情を見せる大橋。
引退については「ちょっと解らない」と繰り返し…。
ただ一言、「世界は広かった…」と。

その後、ロペスは同王座を22度防衛。ライトフライ級も制し、無敗のまま引退。
まさにアンタッチャブルレコードを記録し、伝説へと昇華していきます。

そんなロペスが語ったところによると、大橋から最後のダウンを奪った左フック。
これが相撃ちだったんですが、この時に大橋からもらったパンチが人生で最も効いたそうで…。
 

それはさておき、3度目の挑戦でようやく手に入れたベルトを奪われた大橋。
周りからは、引退の二文字がささやかれます。
それに反抗するように半年で再起。

この時点ではリカルド・ロペスとの再戦を目指していたようです。
 

半年ぶりの試合では、ジュリアス・プラナス(比)に7RKO勝ち。
もう少し早く倒せてもおかしくなかった試合でしたが、試合勘が戻るまで少し時間がかかったようです。
最後は世界を獲った左のボディブローで沈めました。

その後は、もう1試合挟んだ後、
いずれもIBFのベルトに世界挑戦経験があるファン・インキュ(韓)ジョー・コンスタンチン(比)を破ります。
 

ここで持ち上がったのがWBA世界ミニマム級王者、チェ・ヒヨン(韓)への挑戦。
14戦無敗王者の挑戦者として2年ぶりに世界戦のリングに戻ることとなります。

チェ・ヒヨンは頭から突撃するように突っ込んできて
インファイトを展開するスタイルの、ザ・コリアンファイター。
韓国アマチュアのエリート街道を突っ走り、プロになっても無敗で世界を獲った選手です。

案の定、頭からガンガン来る王者に大橋も手を焼きますが、
“伝家の宝刀”左ボディを効かせて主導権を握ります。

強烈なボディをもらって、うかつに距離を詰めれなくなったヒヨン。
中間距離では本来のボクシングができず、大橋に支配され…強打をまともにもらいます。

前に出ても、離れても試合を支配され、手詰まりになるヒヨン。
いつ倒れてもおかしくないような強打を喰らいながら、強靭な撃たれ強さを発揮。
手数だけは落とさず、12Rを戦い抜きます。

結果、大差の判定で、大橋は2度目の世界王座を獲得します。
 

3度目の挑戦でようやく世界を獲り、ベルトを獲られても再起して獲り返す。
この頃には何度も復活してくるその姿に、世間は彼のことを不死鳥と呼ぶようになっていました。
 

次の試合、チャナ・ポーパオイン(タイ)に大差の判定で敗れ、
王座陥落となってしまう大橋ですが、またもや再起しようとします。

しかし、それを阻んだのは、眼疾でした。
この時代、目をやられたボクサーが選択できる道は引退しかなく、
それは大橋もまた、例外ではありませんでした。
 
 

引退後、こんな名言を残しています。

「自分が誇れるのは世界チャンピオンになったことじゃなくて、何度負けても立ち上がってきたこと。」

何度も再起したっていうのもそうなんですが、大橋の敗戦は10カウントってないんです。
何度倒されても倒されても立ち上がり、最終的にはレフリーに止められる。
負けっぷりもほんとに凄い選手だった。
不死鳥と言われる所以です。
 

名嘉真 竪安(三迫)に敗れた高校時代、チャン・ジョング(韓)に2度敗れた世界獲得前…
いずれも彼の目の前には強敵がいて、その強敵を追い続けた結果、世界王者まで昇り詰めた大橋。
しかし、それでもまだ自分より強い敵が現れ…

強敵と出会い成長していった大橋にとって、
すこぶる強敵と出会っていないように見えた亀田 興毅(亀田)はもったいなく思えたんでしょうね。
だから興毅の引退のとき、出会ったころを振り返って、実力を認めつつも
「あの時から強い選手とやっていれば……」とコメントしたんでしょう。

そして、井上 尚弥(大橋)八重樫 東(大橋)…彼ら大橋ジムの選手が強敵と戦ってきたのは、
大橋会長自身が強敵との試合の中で強くなっていった実感があるから…なんでしょう。
井上の「強い相手としか戦わない」という契約…大橋会長が相手だったからこそ成立したんだと思います。
そう考えると、いい師弟ですよね。
 
 

ちなみに、大橋と2度の死闘を演じたジョング、現在は韓国でケジャン専門店を経営しています。
大橋は韓国に行くと必ず寄るんだとか。
ジョングはボクシング殿堂入り直前の来日時、大橋を「今では兄弟」と語っていました。

ジョングとは生涯の友人になりたいと語っていた大橋さん、なんかすっごいいい話ですよね。
…ジョングに倒された時の、あの鬼の形相が嘘のよう。
 
 

眼疾で引退した際、ボクシングへの情熱を断ち切ろうと激太りした大橋さん。
ボクシングができない体になろうとしたんですね。
今ではすっかりコミカルな風貌になってしまっていますが、現役時代は結構な男前。
「ボクシングをやめたら花屋になりたい」なんてキザなセリフが似合ってました。

ピンと来ない方、一度現役時代と現在の写真、見てみてください。
えぇぇぇぇぇぇ!!!??ってなりますから。
 

ま、そんなこんなで大橋 秀行のお話はおしまい。
 
 

…長かったぁぁぁぁ。
 
 

【カテゴリ別】
2015年選手紹介一覧に戻る

選手紹介一覧に戻る

カテゴリ別記事一覧に戻る
 
 

【日付別】
【記事一覧】2015年11月に戻る

【記事一覧】2015年~2016年に戻る

【記事一覧】に戻る
 
 
 

各選手の戦績はこちら。
ボクシング選手名鑑
 

コメント

タイトルとURLをコピーしました