150年に1人の逸材 大橋 秀行(ヨネクラ)② ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2015/11/13
さて、今日はピックアップを書き連ねる前に少しだけ…
明後日の15日ですね、刈谷市あいおいホールで興行があるんですけど。
ミゲル・オカンポ(緑)vs坂本 慎介(タキザワ)
…って試合がありまして、60Kg契約の4回戦。
このミゲル・オカンポなんですが、15日がデビュー戦。
緑ジムで横文字…となると、どうしてもオケロ・ピーター(緑)を思い出してしまう。
日本のジム所属選手として初めてヘビー級の世界メジャータイトルに挑んだピーター。
日本のファンの夢を背負って戦ったウガンダ出身のボクサーです。
4回戦でデビューなんで、輸入ボクサーって訳ではないとは思うんですがね…。
どうしても気になってしまうんですよ。
ま、そんな話は置いときましょう。
予定通り、大橋 秀行(ヨネクラ)のピックアップです!
“日本ボクシング発祥の地”横浜で生まれ育った大橋。
11歳から競技を開始し、アマチュア時代から有名選手となります。
兄の大橋 克行(カワイ)もプロボクサー。
日本王座挑戦経験もある元日本バンタム級1位。
嘘か本当か、そんな兄でさえプロデビュー前の秀行に敵わず、自信を喪失して引退したなんて
逸話があったりします。
横浜高校へ進学し、2年時にはモスキート級(現在のプロで言うミニマム級)でインターハイ優勝。
ボクシング部主将を務めます。
その後、専修大学へ進学。
ロサンゼルスオリンピック選考会を兼ねた全日本選手権で黒岩守に敗れます。
この黒岩守、ロサンゼルス、ソウルの2度オリンピックに出場し、
ソウルではあと1勝でメダル獲得まで行ったトップアマ。
アマチュア界のミニマム級日本最強選手。
プロ転向はせず、アマチュアで競技人生を終えています。
プロ時代同様、アマの頃から名選手と対戦してたんですね。
プロ転向は20歳。
五輪選考に残れなかったことから…と思われがちですが、実はそうじゃなかった。
彼がプロ転向したきっかけは名嘉真 竪安(三迫)というボクサー。
高校2年時の試合で名嘉真に判定負けを喫し、高校選手権の準決勝で再度対峙した際も、
際どい判定で名嘉真に敗れた大橋。
頭の中は名嘉真でいっぱいになっていたと言います。
そして高校最後の名嘉真との対戦…ここで大橋は大差判定勝ちで名嘉真に土をつけます。
この勝利で緊張の糸が切れ、目標を見失っていたと…。
そして、名嘉真がプロ転向したことをきっかけに自分もプロ転向を決意。
しかし当の名嘉真は、プロ8戦目の不幸な事故により、脳障害を負い引退していました。
大橋のデビュー直前のことです。
プロ転向当初からボクシング界の期待を背負っていた大橋。
先にデビューしていた具志堅 用高(協栄)の“100年を越える逸材”より凄いという意味で
“150年に1人の逸材”として売り出されます。
デビュー戦の相手は相方 将克(西遠)。この時には既に中日本新人王を獲得していた選手。
並みではない相手…だったはずが…。
数々のホープの相手を務めることで有名だった相方兄弟の片割れを、
1RKOで期待通りのデビュー戦を飾ります。
その後、既に14戦を戦っている長内 秀人(協栄)を8R判定で破り、
3戦目ではWBC世界ライトフライ級に挑戦したばかりの倉持 正(角海老宝石)を1RKOに葬ります。
わずか3戦で世界ランカークラスを破ってしまうわけです。
4戦目では国内軽量級屈指のハードパンチャーで、のちに早山 進と名前を変え、
日本王座を獲得する田中 正人(金子)を3RKO。
井上がナルバレスを倒した時に、“世界王者が噛ませ犬に見えた”という記事が踊りましたが、
まさにこの大橋がそんな状態。
強すぎて、国内の実力者たちが弱く見えてしまう。
そうして5戦目には海外のホープを呼び寄せます。
対するはキム・ボンジュン(韓)。
この選手も、のちにWBA世界ミニマム級のベルトを5度にわたって防衛する実力者なんですが…。
当時はまだ一介のホープでしかなかった。
大橋のこれまでの圧倒的な勝ち方に、大橋がいつでも世界王者になれると信じ込んでいるような報道は、
ボンジュンを噛ませ犬扱い。
試合ではタフネスを武器に頭からガツガツと突進する典型的なコリアンファイターのボンジュンに、
まだまだプロの水に慣れていない大橋が判定をさらわれるという結果に…。
あとあとになってみれば、ボンジュンも世界王者になるわけですから別に番狂わせでもなんでもなかった。
大橋に対する過大評価と、ボンジュンに対する過小評価が重なっただけのこと。
なんにせよ、大橋は格下(と見られていた)相手に敗北してしまいした。
しかし休む間もなく、3ヶ月後には初のタイトルマッチに挑みます。
日本王者の野島 嘉章(ピストン堀口)に挑んだ試合。
150cmそこそこでハイクオリティなアウトボクシングを身上とする野島。
体格負けすることも多く、ミニマム級がもっと早くできていれば…と言われることも多い選手でした。
際どい反則も含めテクニシャンと言うにふさわしい曲者王者を、10R判定で破ります。
ここまでわずか1年と4カ月。
デビューしたての大橋は1敗を含みながら、日本の頂点に立つことになるのです。
その日本王座をすぐさま返上。
半年後の7戦目。
階段を何段飛ばししたかわからないほどのスピードで初の世界挑戦に挑みます。
狙うはWBC世界ライトフライ級のベルト。
最終的に15度の防衛を達成し、レジェンドとなるチャン・ジョング(韓)。
この試合、大橋の単発の左フックが面白いように王者に当たる。
その代わり、アッパーを面白いようにもらってしまう。
ガードしていてもその隙間に放り込んでくる、ガードで押さえてもその上から思い切り叩きつけてくる王者。
1~3Rまで当たる左フックに頼り切り、ほぼ右を出せない大橋。
右を出したところを狙われていると感じたのか…左フックが当たることからそこに賭けたのか…。
大橋の左フックとジョングのアッパー、どちらが立っていられるかの勝負になります。
ジョングはアッパーを中心に攻めながら、アッパーに気を取られた大橋にフックやストレートをヒット。
かたや大橋は当たるパンチが左フックしかない状態。
当たるパンチともらうパンチの絶対量が違います。
4Rに入り、ようやく大橋の右フックが2発ヒットしますが、
この時のジョング、首が捩じ切れそうなほどのもらい方です。
それでもジョングは撃ち返し、撃ち返し…
あんなの絶対効いてるハズなのに、一切表に出さない。
まるでそんなパンチもらっていないかのように攻め立てるジョング…。
逆に大橋はボディを効かされてしまいます。
5Rには蓄積したダメージで踏ん張りが効かなかったのか、
タイミングのいいパンチで尻もちをつくようにダウンを喫します。
立ち上がるものの、防戦一方になったところで、レフリーが試合を止め、TKO負け。
この時、大橋21歳。
駆け引きでもタフさでも技術でも、伝説の世界王者に遠く及ばない敗戦を喫します。
ここから、ジョングとの2戦目、後楽園ホールの伝説的勝利など…
濃すぎて胃もたれしそうな彼のチャンピオンズロードの最も濃い部分がスタートします。
…そのあたりはまた明日。
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