高校6冠 粟生 隆寛(帝拳) ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2016/01/17
最近、サウスポーのボクサーってよく聞きますよね?
山中 慎介(帝拳)なんかもサウスポー。
近年までサウスポーって少数派だった。
15%…なんて数字もあります。
現状はもっと増えているような気がしますが…。
それでもやはり少数派。
それは何故か…。
かつてサウスポーは対戦を避けられてたんです。
サウスポー対策って言葉があるくらい、対サウスポーと対オーソドックスでは戦い方が変わってくる。
だから実力如何にかかわらず、やりにくさで敗北してしまうオーソドックスが多数。
実は古い時代から、左利きでもオーソドックスのスタイルを作り上げることが多かった。
マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)、ジョー・フーレジャー(米)、
オスカー・デラホーヤ(米)なんかがいい例ですね。
でも、これは裏を返せばサウスポーって超有利。
…というのも、スパーリングパートナーさえ不足するサウスポー。
サウスポーの選手自身はオーソドックスとやり慣れているのに対して
オーソドックスはサウスポーとはなかなかやり慣れていない。
その経験の差…っていうのはなかなか埋めがたいもので。
古い時代の南米では、「サウスポーは卑怯」なんて考え方もありました。
実はマイク・タイソン(米)がスイッチボクサーだった…って知ってます?
タイソンにボクシングを叩きこんだカス・ダマトが、サウスポーのステップを一切禁じた為、
オーソドックスとして認識されていますが、たまにサウスポーにスイッチしてダマトを怒らせていたそうです。
サウスポーと戦いたい奴なんか誰もいない!…と。
近年になってようやく、サウスポーも増えて、サウスポーだから試合が組みにくいってことは無くなった。
それでも、やっぱりその文化というか風習と言うか…そういうものは残ってて。
やっぱりサウスポーは少数派なんですね。
逆に右利きがサウスポーになる例もあります。
コンバーテッドサウスポーって奴ですね。
日本拳法出身の渡辺 二郎(大阪帝拳)はいい例ですね。
日本拳法自体が、右利きは右手を前に出す構え。
ボクシングにもそのまま適用し、本来相手を裁くリードを相手を斬り落とす武器として使って行った。
ひっかけるような右フックでKOの山を築きました。
サウスポーが有利って認識で、右利きが最初からサウスポースタイルで構えた例が川島 郭志(ヨネクラ)。
幼少の頃から父親からボクシングの手ほどきを受けていた川島は、
父の考えのもと、コンパーデットサウスポーとして育てられます。
さて、前置きが長くなりましたが、今回のピックアップ。
WBCのフェザー級、スーパーフェザー級の2階級を制覇し、ライト級で3階級目を狙う粟生 隆寛(帝拳)です。
彼もまた、すぐれたコンパーデッドサウスポー。
3歳の頃から父にボクシングを学び、父から左構えを教え込まれました。
川島と同じパターンですね。
幼少からボクシングを学び、アマチュアボクシングで実績を残してプロ転向した…
そんな選手として1980年代の代表格の一人、大橋 秀行(ヨネクラ)が言うには、
幼いころからボクシングをやっていると、避けるタイミングが体に染み付く…と。
最近のアマチュアで結果を残す選手って、ほんとに幼少からボクシングをしてる選手が多くって…。
そんな選手がプロになって実績を残すケースがとても多い。
今回ピックアップする粟生はその代表的な選手です。
アマチュア戦績は79戦76勝 (27KO・RSC) 3敗。
高校ではボクシングの名門として名高い習志野高校へ進学。
当時、史上初となる高校6冠を達成します。
最後の負けから59連勝中でアマチュアから身を引き、高校卒業と共に成り物入りで帝拳ジムに入門。
デビュー戦は4回戦(4Rの試合)からスタートし、4勝して6回戦を戦う資格を得るのが普通ですが、
粟生のデビューは6回戦から…アマチュアで実績を残した選手に許される特権です。
デビューから2年間で、周囲の期待通り連勝街道を突き進み、6戦6勝(5KO)で挑んだ
7戦目のマリオ・ロドリゲス(メキシコ)戦でフルマークの判定勝利。
日本ランクを手に入れます。
次の試合では元日本ランカーの宮田 芳憲(角海老宝石)に判定勝利。
さらにその次はムン・ジェチュン(韓)にスリップ気味のダウンを奪われた末、逆転KOの1RKO勝利。
確実に世界を獲ってくれるだろう…と期待のホープが世界に届かず消えていくのもよくある話。
不安を覚えるファン。
あれれ…って感じの10戦目で迎えたのが、
元WBAラテンアメリカバンタム級王者リカルド・カリージョ(ベネズエラ)。
初のタイトル経験者です。
この試合でなんと3度のダウンを奪い、フルマークに近い圧倒的な判定でクリア。
彼を見守るファンたちはホッと胸をなでおろします。
ここからカリージョ戦を含めて、地域タイトル戦レベルの相手に4連勝。
WBC世界フェザー級15位にランクされます。
次の試合は梅津 宏治(ワタナベ)との日本タイトルマッチ。
雑草vsエリート、ベテランvsスーパールーキー…と解りやすい構図を描いたこの試合。
チケットは完売し、通常の日本タイトルマッチと比べても大きな注目を集めます。
世界王者となった粟生を思い浮かべて振り返れば、粟生が圧勝してもおかしくない試合なんですが、
当時はいくらアマエリートとは言え、まだまだその強さは未知数だった粟生。
13戦13勝ながら、日本ランカーとの対戦がなしだったんですね。
そのあたりが梅津有利の評も少なからずあった理由かと思います。
しかし、そんな評価も覆し、ファイター型の梅津を封じての判定勝利。
日本フェザー級王座を獲得します。
その後2度の防衛をいずれも3-0の判定でクリア…世界への最後の砦に挑みます。
日本王座にはチャンピオンカーニバルというものがありまして…。
毎年12月~3月頃に各階級で開催される日本タイトルマッチ。
日本王者とランク1位、もしくはそれに準ずる選手(世界ランカー等)が戦う、一大イベント。
これまで数多くの名勝負を産み出してきています。
そんなチャンピオンカーニバル、粟生が出場した2008年のフェザー級のカードは超目玉カードとなります。
賭けられたベルトは日本王座とOPBF東洋太平洋王座。
併せてWBA世界フェザー級挑戦者決定戦となった試合。
相手は28戦27勝1分で、粟生が現れるまで国内敵なしと目されていた榎 洋之(角海老宝石)。
OPBF東洋太平洋王座の初防衛戦で強豪のナデル・フセイン(豪)を撃破し、
世界挑戦の列に並びながら順番待ちを続けて来た榎。
この試合に勝てば、待ちに待った世界挑戦が実現します。
国内頂上決戦となったこの試合は1ヶ月以上前にチケットが売り切れ。
日本タイトルマッチとしてはかなりの盛り上がりを見せます。
先にペースを握ったのは粟生。
世界挑戦目前のまま待たされ続けた強豪を翻弄していきます。
距離を取りながらアウトボックスし、ほぼ勝ちに近いポイント差をつけて後半に突入します。
しかし後半10R、形成が逆転。
粟生は基本的にカウンターパンチャーで待ちのボクシング。
…そこを突かれます。
執拗な手数で追い上げる榎。
後半の3つのラウンドを根こそぎ持っていかれた粟生。
ジャッジ3名全員がドローとつける引分で、雌雄は決せず。
WBA世界フェザー級の挑戦権は榎の物となってしまいます。
しかし、前半の見事なアウトボクシングで世界レベルの実力を充分に見せつけた粟生。
日本王座を返上し、WBCのベルトへ挑むチャンスをつかみます。
…と、今日はここまで。
次回は衝撃的な世界初挑戦から。
粟生…が世界戦線へ飛び出していきます。
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