子供の泣き顔 ヘスス・ロハス(ベネズエラ) ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2015/11/07

子供の泣き顔 ヘスス・ロハス(ベネズエラ) ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2015/11/07
 
 
 

さてさて、前回はヘスス・ロハス(ベネズエラ)が世界戦で転んでは
世界ランカーの強豪たちを退け、何度も何度も世界戦に挑む…そんなロハス冬の時代を書きました。

今日は彼の数えること6度目の世界戦からです。
 
 

WBAラテンアメリカ王者として挑戦した世界戦。
相手は…ヨックタイ・シスオー(タイ)からベルトを奪っていた日本の飯田 覚士(緑)

本来、ロハスがかつて下したピューマ 渡久地(協栄)が飯田に挑戦する予定でしたが、
渡久地に脳梗塞の疑いがあるとされ、試合はキャンセル。
ロハスにチャンスが巡ってきた形。

この試合、5Rで飯田の肩が脱臼。
大差判定勝ちで9年半ぶりに世界のベルトを巻くこととなります。
脱臼で失ったベルトを脱臼で取り返す…人生何が起こるか解らないもんです。

世界中の世界ランカー達を倒しまわって、世界戦に駒を進めては敗れて再スタート…
これを繰り返すこと3度目。
ようやく、ようやくベルトを獲り返すわけです。
 

防衛戦では飯田の後輩、戸高秀樹(緑)を相手に4R負傷判定。
偶然のバッティングでロハスが目の上をカットしてしまい、
4R終了前のストップだった為、規定で引き分けに。
ただし、ここまでポイントリードしていたのはロハス。

即座にリターンマッチが組まれることになりますが、
もしこの戸高戦のストップが数分遅れて、負傷判定でロハスが勝っていれば…。
リターンマッチは無かったことになっていたかもしれません。
戦ってる本人たちにポイントが解れば、ロハス陣営は何としても1~2分持たせたかもしれません。
 

戸高との再戦…ロハスは2Rでダウンを奪われます。
日本のリングで初めてのダウン…しかしこの後盛り返し、僅差判定まで持ち込みますが、
逆転で判定をモノにするところまでは行かず…。
半年強でベルトを失います。
 

再起戦ではまたも来日。
わずか3戦で日本王座に挑戦した日本のホープ、石原 英康(松田)を破ります。

その後、2戦を順調に連勝。
わずか2年で再挑戦にこぎつけます。
 

わずか2年と言ってもロハスさん、37歳。
日本なら強制引退の年齢です。
超のつく大ベテランとなったロハスさん。

対するはセレス小林(国際)
10年以上前に戦った、レパード 玉熊(国際)が育てた選手です。
…長くやるって凄いですね。
9度目の日本のリングで、師弟と相まみえるわけです。

この試合でも小林の足を踏み、際どいポイントを拾い…。
曲者ぶりを如何なく発揮しますが、結果は1-2の判定負け…。
あと一歩のところだったんです。
 

実は僕のリアルタイムはこのあたりから…。
この試合が僕をボクシングの深みに導いた試合だったりします。

それまでは民放で流れる世界戦だけ見て、日本人勝ったー、負けたー…ってやってたんですが、
この試合、ぶきっちょに見える小林と薄汚いロハスの戦法…。
かっこいい要素なんてどこにも無かった。

それでも両者必死に勝ちにいって…小林が勝った瞬間ね、いつもみたくやったー!
日本人勝ったー!…で終わるはずだったんです。
それが、ロハスの顔がTVに映し出されてね…。
まるで子供が泣き出す直前のような…そんな顔で…。
1試合の勝った負けたで何でこんな顔するんだろう…と。

戦績を振り返ってみれば当然ですよね。
1度世界挑戦に失敗すると、運が良くなければ2年~3年近く遠回り…
その間に何人か世界ランカーを倒してランキングを維持しなければならない。
自分を世界トップレベルのクオリティで維持し続けなければならないんです。

世界初挑戦から最後の世界挑戦まで、12年に及ぶ歳月、ロハスはそのクオリティを維持し続けました。
選手寿命が短かった当時のボクシングでは、
トップレベルの選手でも30歳前後で引退する選手が最も多いと言われました。
国内チャンプに届かないような選手の平均引退年齢は25歳とも…。

それだけ過酷なスポーツで世界ランカーとして生き残り続け、2階級を制覇した。
ボクシング史に残るような活躍かと言われればそうでもないのかもしれませんが、
僕のようなボクシングファンの中に残り続ける名選手でした。

汚い反則だって、減点されたり反則負けになる可能性も出てきます。
一度注意を受ければ使いにくくなります。

相手と向き合いパンチを交錯させながら、レフェリーの目線、ジャッジの死角に注意を払って、
気付かれないタイミングでやらないといけない。
タイミングが悪ければ命を失うようなパンチが飛んでくる中、様々なことに気を払って行っているわけです。
簡単にできるようなものじゃないですよね…。
練習の中で積み上げていったものなのか、もしくは広い視野という才能を持っていたのか…。

僕は彼はとっても強い選手だと思うんですね。
弱くて反則を繰り返したわけじゃなく、ただひたすら勝つためにどうすべきかの選択をしていた。
9試合戦った世界戦、すべてが敵地での開催なんです。
チャンスがあればどこにでも乗り込み、不利な環境でもとにかくベルトを奪う為に戦った。

南米での試合映像を見るとね、僕らが知ってるロハスはそこにいないんです。
ミドルレンジから飛び込むようにして撃つロングアッパーを武器に、爽快なKOを奪うロハスがいるんです。
敵地に乗り込んで、何がなんでも勝たなければいけない…
彼が日本のリングで試合巧者となったのは、ベルトや勝利を心の底から望んだから。
勝たなければ男手1人で育てる3人の子供の生活がままならなかったから…なんじゃないかと思うんです。

事実がどうなのかは解りません…もしかしたらただ性格悪いのかもしれないんですけど。
でも、そうじゃなくって、この選手はただ勝ちたいんだけなんだ…って思ってた方が、彼の試合を熱く見れる。
そっちの方が楽しいです。

ダウンを奪った戸高でさえ、最後は薄氷の判定勝利。
彼に完全に勝ち切った選手は、20年近くにおよぶ彼のレコードの中で
セーン・ソープルンチット(タイ)くらいではないでしょうか。
 

結局セレス小林戦後、2年ほどリングを遠ざかりましたが再起。
NABO北米王座を賭けた試合で敗北し、40歳で引退しました。
この試合をもし獲ってれば、もう1度世界戦線に絡んできたかもしれません。

この敗北からさらにもう1度となるなら、次の世界戦は42歳か43歳か…。
ジョージ・フォアマン(米)が45歳で世界のベルトを獲ったことが伝説となってます。
過去にいないことはないですが、伝説になるってことはとんでもないことってことですよね。

ボクサーとしての限界ギリギリまで現役を続けたロハス…。
世界のベルトを2度も獲って、でも世界戦では勝ったり負けたり…
彼が目指したものは最強の証明ではなかったはず。

一部の国を除いた外国人選手にとって、来日するってことは実は凄く儲かったりします。
為替レートの意味もありますし、ランキングやベルトを持ってればその額は大きくなりますし…。
9度も来日して不利な敵地で戦ったってことは、ある意味、飯を食う為に戦ってたのかもしれません。

だからこそ、ベルトに執着し、勝利に執着した。
ボクシングがダメだったら他のことすればいいや…なんて思ってないんですよね。
 

彼が敗北した時に見せる子供が泣き出す時のような表情は、
ほんとにボクシングだけしかない人間…そんな感じがするんです。

僕は、最も好きなボクサーの名前を聞かれると、必ずロハスの名前を上げます。
そして、ロイヤル 小林(国際)の名言も合わせて…

「正々堂々、スポーツマンシップは夢物語。勝つために何でもするのがプロ」

↑レパード 玉熊の回でも書いてましたね。
 でも好きな言葉なんで何度でも書きます。
 

爽快なKOも、華麗なアウトボクシングも好きです。
でも、負けられない、勝ちたい…そんな両者の思いが入り混じって、もみくちゃになるドロ試合も大好きです。

ん~…伝わるかなぁ…。
伝わればいいなぁ…。

楽しめない試合なんて、そうそうないんじゃないかと思うんですよ。
それが言いたかった。
 
 

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