ライトフライ級日本王座連続防衛回数ランキング(記録関連) ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2018/07/27
さて、本日は日本王座連続防衛回数ランキング。
日本王座となると、書きたいことが多すぎてえらいことになってしまうので…
3位までの選手を大きく取り上げる方針で…書きたいけど…収集がつかないので我慢!
というわけでミニマム級をやってからだいぶ期間が開いてしまいましたが、
ようやくライトフライ級…
ライトフライ級日本王座連続防衛回数トップ10
第1位 16度防衛 初代日本ライトフライ級王者
身長149cm…小さなファイター天龍。実際には145cm程度だったとも言われる。
14戦9勝(6KO)2敗3分とフライ級では体格負けすることもあったよう。
そんな折に、渡りに船…ライトフライ級が新設されることに。
日本ライトフライ級王座決定戦で渡辺 功(熊谷)を激しいダウンの欧州の末に下し、日本王座を獲得。
するとすぐさま舞い込んだのが、WBA世界ライトフライ級挑戦者決定戦。
パナマに乗り込んで、ハイメ・リオス(パナマ)と挑戦者の座を争うも、
4Rで試合は突如終わり、リオスの勝利が宣言されたという。
リオスはリゴベルト・マルカーノ(ベネズエラ)との王座決定戦も制し、初代WBA世界ライトフライ級王者に。
挑戦者決定戦を不服として抗議していた天龍は、その甲斐あってリオスの初防衛戦の対戦相手に…。
リオスとの挑戦者決定戦に敗北した後、ノンタイトル1戦と日本王座の防衛を2度達成していた天龍。
2度目のパナマに乗り込むが…今回は圧倒されての判定負け…
1-2と割れたのが不思議なほどだったという。
その後国内戦線に戻り、8度目の防衛を飾った頃、
ノンタイトルでスーパーアマエリートからプロに転身した中島 成雄(ヨネクラ)に敗北。
さらに10度の防衛を飾ったあと、ノンタイトルで1度勝利していたキム・ソンジュン(韓)の
OPBF東洋太平洋ライトフライ級王座に挑戦。
この試合は3RKOではじき返されている。
喫してしまった二つの黒星で世界戦線からは後退を余儀なくされた天龍だったが…。
地道に防衛を重ね続けると…
1勝1敗となっていたキム・ソンジュンがネトルノイ・ソーウォラシン(タイ)から
WBC世界ライトフライ級王座をを奪ったことでチャンス到来。
敵地韓国での世界挑戦がほぼまとまる…が、
ここでこの世界戦をさらっていったのが、かつて天龍を破った中島 成雄。
国内での世界挑戦を手中に収め、見事判定で世界王者に輝く。
かたや、地道に待ち続けた世界戦が白紙となった天龍は、
中島が世界王者となった直後の日本タイトルマッチ。
一度勝っていたはずの友利 正(三迫)に敗北して王座を陥落。
約5年間での16度防衛…アンタッチャブルな記録を残して、グローブを壁に吊るした。
日本王者になって以降、負けた相手はすべて世界王者。
輝かしい記録は、あと一歩世界に届かなかった男が、
もがきながらチャンスを待ち続けた記録だったりもする。
第2位 6度防衛 第25代日本ライトフライ級王者
名門日章学園で主将を務め、期待のホープとしてプロデビュー。
10戦9勝(5KO)1敗と大野 恵介(江坂)に喫した負けはあるものの、順調に登って日本王座初挑戦。
戸高 秀樹(緑)が返上した王座を村松 竜二(石川)との王座決定戦を制して獲得。
ここからノンタイトル5試合を挟んでの日本王座6度防衛。
飛び抜けたスピードとフットワークを駆使し、
「ディフェンスマスター」の異名とともに、世界を期待されるように…。
日本王座を返上し2年、世界へ向けての準備期間を終えると、日本王座時代より一階級上の
歴史に名を残す超強豪王者、ポンサクレック・シンワンチャー(タイ)に挑戦。
ポンサクの強打をほぼ空転させる驚きの試合を見せるが、攻撃に手が回らず判定負け。
さらに1年後にはもう一階級上げ、全ての試合でKO勝利のパーフェクトレコードを
誇っていたアレクサンドル・ムニョス(ベネズエラ)に挑戦すると
やはりここでもムニョスの強打をほとんど空転させて、KO記録を止めるが…
攻撃に至らずに判定で2度目の挑戦失敗。
3度目の世界挑戦を目指すも前哨戦で名城 信男(六島)に敗北。
ここで一旦、本田のボクシングロードは幕を下ろす。
しかし2年後、復帰を決めた本田は茨の道を覚悟でリングに上がる。
強敵との戦いを重ねながら、もう一度の世界挑戦を目指す。
名護 明彦(白井・具志堅S)、サーシャ・バクティン(協栄)に敗北しながらも
日本王座再挑戦のチャンスをつかむが、中広 大悟(広島三栄)に敗北。
さらに階級を上げて、マルコム・ツニャカオ(比)のOPBF東洋太平洋バンタム級に挑むも5RTKOで敗れ、
今度こそ本当にリングを後にした。
第3位 5度防衛 第30代日本ライトフライ級王者
22歳でプロデビュー。
6回戦時代に2度の敗北を喫するが、国内の強豪相手に地元静岡を中心に11連勝を飾って
OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者だった山口 真吾(渡嘉敷)に挑戦。
食い下がったものの、判定で敗北し王座は獲得成らず。
その5カ月後、北海道を拠点とした日本王者の畠山 昌人(協栄札幌赤坂)に挑戦。
連続で巡ってきたチャンス…これをしっかりとモノにして、地元静岡にベルトを持ち帰る。
ここから戎岡 淳一(明石)との引分防衛を含みつつ王座を5度防衛。
しかし、世界挑戦に失敗した直後の嘉陽 宗嗣(白井・具志堅S)に判定で敗れてベルトを明け渡す。
ここから1年のブランクを開けて2戦するもいずれも敗北。
最終戦、8回戦の7Rで意地のダウンを奪うものの、判定を逃し引退した。
第3位 5度防衛 第31代日本ライトフライ級王者
増田 信晃からベルトを奪った嘉陽もまた5度防衛で増田と並ぶ。
沖縄のアマチュアから白井・具志堅Sという、
今となっては沖縄ボクサーの王道ともなったルートでプロデビュー。
デビュー11連勝を飾り、増田と同じくOPBF東洋太平洋ライトフライ級王者の山口 真吾(渡嘉敷)に挑戦。
この試合は判定で落とすものの、再起を飾ると、山口から升田 貴久(三迫)に移っていた同じベルトに再挑戦。
明確な判定で王座を獲得し、1度防衛ののち、王座を返上して世界挑戦。
巡ってきたビッグチャンス、
相手はWBC世界ライトフライ級暫定王者ワンディー・シンワンチャー(タイ)。
計量超過で王座剥奪となったワンディー、減量失敗の大チャンスとも思われたが…
試合はワンディーの勝利で王座は空位…千載一遇のチャンスを逃してしまう。
ここで再起に狙ったのが日本王座。
歴代3位の5連続防衛を記録していた増田 信晃からダウンを奪い、見事判定で王座を奪取。
この王座の防衛ロードでは増田に並ぶ、5回の防衛を記録するものの、うち3度は引分け。
いずれも負傷判定によるものだった。
6度目の防衛戦ではのちに世界王者となる宮崎 亮(井岡)に、またも流血戦を展開し、
10R負傷判定で敗れて陥落。
その後、3戦を戦うもののそのままリングを離れている。
第5位 4度防衛 第29代日本ライトフライ級王者 畠山 昌人(協栄札幌赤坂)
第5位 4度防衛 第34代日本ライトフライ級王者 黒田 雅之(川崎新田)
第5位 4度防衛 第40代日本ライトフライ級王者 久田 哲也(ハラダ)
第8位 3度防衛 第4代日本ライトフライ級王者 伊波 政春(協栄河合)
第8位 3度防衛 第22代日本ライトフライ級王者 山口 圭司(グリーンツダ)
第8位 3度防衛 第37代日本ライトフライ級王者 木村 悠(帝拳)
特筆すべきは畠山 昌人、増田 信晃、嘉陽 宗嗣と3人が
7年間に渡って王座に君臨した2000年代。
この3人の時代が終わると、日本王座を獲得した選手達が
次々と世界に飛び出していく日本ボクシングの黄金時代を迎えます。
今や軽量級の中心には必ず日本人ボクサーの姿がありますが…。
その礎は、こういったボクサー達が紡いだ歴史にもあるのではないか…
ついつい、そんな考えを巡らせてしまいます。
さて、気になるのは現日本王者の久田…。
次の防衛戦で久田が勝利すれば…歴代3位に繰り上がり
全ての団体の世界ランキング上位にランクインしている久田。
拳 四朗とは対戦が一度は決まりながら、拳 四朗の世界挑戦の為に試合が流れた経緯もあり…。
世界挑戦が決まれば王座は返上される可能性もありまります。
また、次に勝ってランクが上がれば、指名挑戦を待つポジションに立つことも考えられ、
そうなればこれも返上も考えられなくもなく…果たして、久田の連続防衛記録、どこまで続くのか。
陣営はまだまだ…と発言してはいますが…。
ここもまた、付属要素ながら注目してみると面白いかもしれません。
※記録は2018/7/27時点
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