伊波 政春(Masaharu Inami)

伊波 政春(Masaharu Inami)(KTT)

 

本名:伊波 政春(いは・まさはる)
生年月日:1958年8月15日
国籍:日本
戦績:25戦19勝(4KO)5敗1分

 

【獲得タイトル】
1977年度全日本ライトフライ級新人王
第4代日本ライトフライ級王座

 

【戦歴】
1977/07/19 ○4R判定 (採点不明) 君島 昇(鈴木)
1977/08/24 ○3RKO 及川 朋春(ヨネクラ)
1977/10/20 ○4R判定 (採点不明) 金城 清史郎(三迫)
1977/11/21 ○4R判定 (採点不明) 大草 繁(新日本宇都宮)

■1977年度東日本ライトフライ級新人王決勝
1977/12/26 ○5RKO 槍田 茂(センターS)

■1977年度全日本ライトフライ級新人王決定戦
1978/02/22 ○6R判定 (採点不明) 稲吉 邦夫(疋田)
※全日本新人王獲得

1978/04/27 ○8R判定 (採点不明) 当真 嗣正(京浜)
1978/11/07 △10R判定 (採点不明) 藤 勝(不二)
1979/03/23 ○10RKO 湯口 恵介(角海老)
1979/06/05 ○3RKO 堀籠 信雄(石丸)
1979/07/11 ○10R判定 3-0(49-45、50-42、49-47) フェニックス 谷口(平和)

■日本ライトフライ級タイトルマッチ
1979/08/28 ●10RKO 天龍 数典(内野)
※日本ライトフライ級王座挑戦

1980/01/29 ○10R判定 2-0(98-97、97-97、98-97) ピューマ 光矢(興真)
1980/07/23 ○8R判定 (採点不明) モンコル・キャットショランク(タイ)

■日本ライトフライ級王座決定戦
1980/11/27 ○10R判定 3-0(99-97、99-97、98-96) 友利 正(三迫)
※日本ライトフライ級王座獲得

■日本ライトフライ級タイトルマッチ
1981/03/11 ○10R判定 3-0(99-95、98-97、99-97) 多田 浩幸(協栄)
※日本ライトフライ級王座防衛①

■日本ライトフライ級タイトルマッチ
1981/05/24 ○10R判定 3-0(100-97、100-97、100-96) フェニックス 谷口(平和)
※日本ライトフライ級王座防衛②

■日本ライトフライ級タイトルマッチ
1981/08/03 ○10R判定 3-0(100-94、100-94、100-95) ピューマ 光矢(興真)
※日本ライトフライ級王座防衛③(のちに返上)

1981/12/01 ○10R判定 3-0(98-97、98-96、98-96) 船木 和義(内野)
1981/12/24 ○10R判定 3-0(99-96、100-96、99-96) 佐藤 勝美(内野)

■WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ
1982/07/07 ●8RKO 渡嘉敷 勝男(協栄)
※WBA世界ライトフライ級王座挑戦

1982/12/24 ○10R判定 3-0(100-89、100-90、100-91) 勝間 和雄(神林)

■WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ
1983/06/11 ●2RTKO チャン・ジョング(韓)
※WBC世界ライトフライ級王座挑戦

1984/07/13 ●9RKO チャン・テイル(韓)
1984/10/25 ●3RKO 西川 浩二(三迫)

 

【補足情報】
・沖縄県石川市(現:うるま市)出身。
・リングネームの漢字表記は本名と同じだが、本名は”イハ”であり、
 読み方を”イナミ”と変えてリングネームとした。
・1983/12/12に予定されていた協栄 トーレス(協栄)との日本ライトフライ級王座決定戦で
 リミット超過を犯し、試合が中止された。また、西川 浩二戦でもリミット超過と
 なっている。
・協栄河合所属としてデビュー、渡嘉敷 勝男戦より東海カワイ所属、
 チャン・テイル戦よりKTT所属となっている。
・1985年発行の「日本ボクサー辞典」内の有力ボクサー500選に選出されている。

 

※当ブログでは情報を求めています。
 誤った情報、追記すべき内容等ありましたら精査の上反映させていただきますので
 コメントいただけますと幸いです。

 

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コメント

  1. ファンです より:

    こちらの補足情報に関して。
    ・ヘルマン・トーレス(グリーンツダ)との日本ライトフライ級王座決定戦でリミット超過を犯し、試合が中止された。

    (1)中止となった試合日は、1983/12/12でしたね。

    (2)よって、トーレスは当時、ツダではなく、協栄トーレスのリングネームで戦う協栄ジム所属の選手でした。

    (3)ここが本題です。
    「1985別冊ボクマガ冬季号」の137ページ
    「伊波は12ポンド(約5.4kg!)の体重オーバーで中止」との記述が有ります。
     最近日本タイトルで1.8kg超過の失態を犯した選手がいましたが、その3倍。恐らく過去群を抜く最高超過だと思います。

    (4)更に、最後の試合
    西川浩二(三迫)戦も体重超過でしたね。

    以上、キャリア晩年は可也やらかした選手でしたが、
    ネガばかりの情報も良く無いので、
    (5)日本王者時の防衛戦で「のちの世界王者友利 正(三迫)に勝利した」という好実績も、補足の中に載せていただきたいです。

  2. seki より:

    ファンですさん

    ありがとうございます。
    補足に記載させていただきました。
    またお気づきありましたらお知らせください。

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