リゴベルト・マルカーノ(Rigoberto Marcano)

リゴベルト・マルカーノ(Rigoberto Marcano)(ベネズエラ)
 
 

本名:リゴベルト・マルカーノ
生年月日:1950年2月11日
国籍:ベネズエラ
戦績:25戦20勝(12KO)5敗
 
 

【獲得タイトル】
ベネズエラライトフライ級王座
 
 

【戦歴】
1973/11/10 ○2RKO レオニダス・リンコネス(ベネズエラ)
1973/12/07 ○1RKO ヘスス・テヘドール(コロンビア)
1974/03/26 ●4R判定 (採点不明) レミヒオ・スルバラン(ベネズエラ)
1974/06/01 ○4R判定 (採点不明) レミヒオ・スルバラン(ベネズエラ)
1975/01/20 ○4RKO レミヒオ・スルバラン(ベネズエラ)
1975/02/03 ○6RTKO デシデリオ・レカレイ(ドミニカ共和国)
1975/03/18 ○1RKO ネストール・エレーラ(コロンビア)

■WBA世界ライトフライ級挑戦者決定戦
1975/06/21 ○12R判定 2-1(116-113、114-115、116-114) ホン・カヒナ(ニカラグア)
※WBA世界ライトフライ級挑戦権獲得

■WBA世界ライトフライ級王座決定戦
1975/08/23 ●15R判定 0-3(141-148、143-147、141-148) ハイメ・リオス(パナマ)
※WBA世界ライトフライ級王座挑戦

1975/11/22 ○4RTKO マウリシオ・ブイトラゴ(ニカラグア)
1976/01/31 ○10R判定 (採点不明) セルヒオ・オマール・ビリョータ(チリ)
1976/04/03 ○1RTKO エリセオ・パディーリャ(コロンビア)
1976/06/13 ○8RKO エンリー・ディアス(コロンビア)
1976/08/29 ○10R判定 (採点不明) フレディ・モラン(ベネズエラ)
1977/02/20 ○10R判定 3-0(採点不明) サムエル・マチョロ(メキシコ)
1977/03/19 ○5RTKO フアニト・エレーラ(コロンビア)
1977/04/30 ○10R判定 (採点不明) ラウル・バルデス(メキシコ)

■WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ
1977/05/22 ●15R判定 1-2(69-70、67-75、72-68) 具志堅 用高(協栄)
※WBA世界ライトフライ級王座挑戦

■ベネズエラライトフライ級王座決定戦
1977/09/10 ○7RKO レミヒオ・スルバラン(ベネズエラ)
※ベネズエラライトフライ級王座獲得(のちに返上)

1977/11/05 ○9RKO ペドロ・カンポベルデ(エクアドル)
1978/11/04 ○10RKO ホセ・ガジェゴス(メキシコ)

■WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ
1979/01/07 ●7RKO 具志堅 用高(協栄)
※WBA世界ライトフライ級王座挑戦

1980/03/08 ●10R判定 (採点不明) グスタボ・バジャス(亜)
1980/07/04 ○7R反則 イスマエル・トーレス(ベネズエラ)
1980/08/01 ○10R判定 3-0(採点不明) ウンベルト・マヨルガ(ニカラグア)
 
 

 
 

 

【補足情報】
・ベネズエラ-スリア州出身。同国-アラグア州マラカイを拠点に活動。
・レミヒオ・スルバラン1戦目はBoxRecでは判定勝利となっているが、実際には僅差の
 判定負けだったとされる。また、BoxRecに掲載されているドウグラス・ペーニャ(ベネズエラ)戦は
 実際には無かった可能性が高い。
・佐伯泰英が手がけたノンフィクション小説「狂気に生き」では、ハイメ・リオス戦と
 具志堅 用高2戦目に薬物を盛られたと語っている。作品の中では、具志堅 用高2戦目の薬物について
 複数の日本人関係者がそれを認める形になっている。
関 光徳(新和)のファンだった。
・日本語表記ではリゴベルト・マルカノと表記されることもある。
 
 

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