川上 林成(Shigemasa Kawakami)

川上 林成(Shigemasa Kawakami)(新和)

 

本名:川上 林成
生年月日:1939年8月29日
国籍:日本
戦績:27戦25勝(12KO)2敗

 

【獲得タイトル】
1956年度インターハイウエルター級優勝(アマチュア)
1957年度インターハイ・ウエルター級優勝(アマチュア)
1958年度全日本選手権ライトウエルター級優勝(アマチュア)
1959年度全日本選手権ウエルター級優勝(アマチュア)
1960年度全日本選手権ウエルター級優勝(アマチュア)
第3代OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)スーパーウェルター級王座

 

【戦歴】
1961/08/03 ○3RKO スティーブ・トニー(比)
1961/10/26 ○10R判定 (採点不明) 小坂 純也(神戸)
1961/12/07 ○10R判定 (採点不明) タニー・フローレス(比)
1962/04/07 ○3RKO ロベルト・クルス(比)
1962/06/04 ○5R棄権 新井 浩源(中外)
1962/07/22 ●9RKO サマート・ソンデン(タイ)
1962/10/14 ○7R棄権 ジェリー・コブラペート(米)
1962/11/11 ○10R判定 3-0(50-43、50-45、50-47) キッド・ラジョ(ニカラグア)
1962/12/17 ○10R判定 3-0(50-40、50-40、50-42) 金田 森男(帝拳)
1963/02/23 ○6RTKO ジミー・パトリック(米)
1963/03/29 ○1RKO アントニオ・コリア(メキシコ)

■OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)スーパーライト級タイトルマッチ
1963/07/03 ●6RKO バート・ソモジオ(比)
※OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)スーパーライト級王座挑戦

1963/09/01 ○1RTKO 篠沢 佐久次(笹崎)
1963/10/23 ○10R判定 3-0(50-39、50-38、50-38) カール・ペニャロサ(比)

■OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)スーパーウェルター級タイトルマッチ
1963/11/17 ○2RKO ケオワン・ヨントラキット(タイ)
※OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)スーパーウェルター級王座獲得

1963/12/25 ○4RKO 早川 信也(中村)
1964/02/05 ○10R判定 3-0(48-46、49-44、47-44) サマート・ソンデン(タイ)
1964/02/23 ○4RKO ルイス・サンタマリア(メキシコ)

■OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)スーパーウェルター級タイトルマッチ
1964/05/31 ○12R判定 3-0(60-48、60-48、60-48) イ・ギョンサン(韓)
※OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)スーパーウェルター級王座防衛①

1964/08/30 ○10R判定 3-0(50-42、49-43、49-44) チャン・ビョンオ(韓)
1964/10/18 ○10R判定 3-0(50-37、50-38、50-37) イ・ギョンサン(韓)

■OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)スーパーウェルター級タイトルマッチ
1965/01/31 ○12R判定 (採点不明) カン・ギュスン(韓)
※OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)スーパーウェルター級王座防衛②(のちに返上)

1965/03/21 ○10R判定 2-1(46-48、46-45、47-46) 篠沢 佐久次(笹崎)
1965/06/28 ○7RTKO 藤田 洋光(塚原)
1965/08/01 ○5RKO 前溝 隆男(不二)
1965/11/07 ○10R判定 3-0(50-46、50-46、50-45) キム・デクパル(韓)
1965/12/19 ○10R判定 3-0(50-41、50-40、50-40) イ・アンサノ(韓)

 

【補足情報】
・高知県室戸市出身。
・1961/11/27に川上 林成vs淡路 伸一(新和)をメインとして尾道市向島中学校で行われた興行は
 5試合の4回戦、エキシビション(メインを含む)が3試合だったが、関 光徳(新和)中村 剛(新和)
 太郎浦 一(新和)ら16人全員が新和ジムのボクサーであった。コミッションはこの興行を
 記録から抹消した。
・アマチュア戦績:78戦76勝(36KO)2敗。明治大学主将として59連勝の
 記録を作る。メルボルン五輪の代表に選ばれながら、「五輪のメダルなんて魅力に
 思わない。旅費の一部選手負担は理屈に合わない」と、代表を辞退するなど、新風と話題を
 巻き起こし続けたボクシング界の異端児でもあった。
・サマート・ソンデン第1戦は、日本初のパーセンテージ興行として行われ話題を呼んだが、
 指の負傷を理由に9R開始のゴング後、出ようとせずカウントアウトされた。各ジム会長から
 「他の選手への影響が大きい」と、非難が集中、マスコミからも厳しく批判され、
 コミッションからは棄権の手続きを怠ったとして2カ月の出場停止の処分を受けた。
・バート・ソモジオ戦前には世界スーパーライト級1位にランクされ、世界戦交渉が開始されたが
 ソモジオ戦の敗北で白紙となり、その後チャンスをつかめぬまま引退。引退後は
 新和川上ジムで会長を務めた。

 

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