関 光徳(Mitsunori Seki)

関 光徳(Mitsunori Seki)(新和)

 

本名:関 光徳
生年月日:1941年1月4日
国籍:日本
戦績:73戦61勝(35KO)11敗1分

 

【獲得タイトル】
第6代OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)フェザー級王座

 

【戦歴】
1958/12/02 ●4R判定 (採点不明) 富永 正男(鈴木)
1958/12/17 ○4R判定 (採点不明) 大豆生田 申二(東拳)
1959/01/04 ○1R棄権 阿部 恵秀(AO)
1959/01/13 ○4R判定 (採点不明) 栗原 隆(東拳)
1959/02/10 ○2RKO 白井 敏美(笹崎)
1959/02/24 ○4R判定 (採点不明) 日向 利行(日東)
1959/03/11 ○4R判定 (採点不明) 原田 節夫(極東)
1959/03/31 ○6R判定 (採点不明) 本多 誠一(青木)
1959/05/18 ○1RKO 田川 和夫(中村)
1959/06/18 ●6R判定 (採点不明) 田口 久(カワイ)
1959/07/30 ○6R判定 (採点不明) 土屋 清之助(京浜)
1959/10/21 ○6R判定 (採点不明) 田口 久(カワイ)
1959/11/25 △6R判定 (採点不明) 牧 昭男(中外)
1959/12/23 ○7RKO 森田 道夫(青木)
1960/01/10 ○10RKO ワンチャイ・パヤクソボン(タイ)
1960/02/17 ○8R判定 (採点不明) 神林 政信(国際)
1960/03/09 ○4RKO 堀内 勝(松田)
1960/04/27 ○2RKO クノイ・ピチチャイ(タイ)
1960/06/16 ○10R判定 3-0(50-44、49-48、48-46) レオ・エスピノサ(比)
1960/10/26 ○5RKO ドミー・ウルスア(比)
1961/01/04 ○10R判定 3-0(48-47、48-47、49-48) チャチャイ・ラエムファバー(タイ)
1961/03/11 ○2RKO 古川 義克(国民)
1961/03/22 ○2R棄権 堀内 勝(松田)
1961/04/26 ○10R判定 3-0(50-40、49-40、49-41) 小川 政男(日倶)

■NBA(WBA前身)世界フライ級タイトルマッチ
1961/06/27 ●15R判定 1-2(139-147、138-147、145-144) ポーン・キングピッチ(タイ)
※NBA(WBA前身)世界フライ級王座挑戦

1961/08/31 ●5RKO ホセ・メデル(メキシコ)
1961/11/16 ○10R判定 3-0(50-40、50-41、50-41) 大沢 拳二(三鷹)
1962/01/11 ○3R棄権 アントニオ・コリア(メキシコ)
1962/02/01 ○10R判定 3-0(50-41、50-44、50-42) 小口 章(青木)
1962/03/01 ○5RKO 中村 勝三(笹崎)
1962/03/31 ○10R判定 (採点不明) ロニー・ジョーンズ(米)
1962/04/24 ●10R判定 0-2(45-45、44-45、44-45) チャチャイ・ラエムファバー(タイ)
1962/05/20 ○4RKO タニー・カンポ(比)
1962/06/18 ○10R判定 (採点不明) ジーン・アラゴン(比)
1962/07/15 ○5RKO 村上 忠彦(中外)

■OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級タイトルマッチ
1962/09/12 ○12R判定 3-0(60-50、60-50、60-50) ベランド・チャルムーン(タイ)
※OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級王座獲得

1962/11/25 ○2RKO オムノイ・ラムファバー(タイ)

■OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級タイトルマッチ
1963/01/02 ○4RKO ベランド・チャルムーン(タイ)
※OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級王座防衛①

1963/02/24 ○2RKO 池島 久生(東拳)
1963/03/24 ○7RKO イ・グァンチュ(韓)

■OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級タイトルマッチ
1963/05/01 ○4RKO ジェット・バリー(比)
※OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級王座防衛②

1963/06/02 ○1RKO ジノ・ムリー(米)
1963/06/16 ○7RKO 小口 章(青木)
1963/07/14 ○10R判定 3-0(48-43、48-45、48-45) ドミー・バラハジャ(比)
1963/08/23 ○10R判定 3-0(50-39、50-39、50-39) パ・アラナス(比)
1963/09/15 ○6RKO エミール・デ・レオン(比)

■OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級タイトルマッチ
1963/10/30 ○3RKO シリノイ・ルプクラクリス(タイ)
※OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級王座防衛③

■OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級タイトルマッチ
1963/12/31 ○12R判定 3-0(58-55、59-56、56-55) ソ・ガンイル(韓)
※OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級王座防衛④

■WBA/WBC世界フェザー級タイトルマッチ
1964/03/01 ●6RTKO シュガー・ラモス(キューバ)
※WBA世界フェザー級王座挑戦
※WBC世界フェザー級王座挑戦

1964/04/26 ●10R判定 0-3(47-49、45-48、46-48) 小林 弘(中村)

■OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級タイトルマッチ
1964/07/12 ○12R判定 3-0(60-56、58-55、59-57) ジョニー・ハミト(比)
※OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級王座防衛⑤

1964/10/25 ○3RTKO イ・ヘンジェ(韓)
1964/11/22 ○2RKO スパット・ラエムファパー(タイ)

■OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級タイトルマッチ
1964/12/31 ○12R判定 3-0(60-53、60-53、60-52) ロヘリオ・トロンガリ(比)
※OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級王座防衛⑥

1965/02/21 ○5RKO 塩山 重雄(鈴木)
1965/04/11 ○6RKO ドミー・フロライン(比)

■OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級タイトルマッチ
1965/05/30 ○9RKO アナタデス・シチラン(タイ)
※OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級王座防衛⑦

1965/08/29 ○4R棄権 菊地 万蔵(田辺)
1965/09/26 ○10R判定 3-0(50-47、50-47、49-45) シュガー・ケン・カレオン(比)
1965/10/31 ●10R判定 0-2(48-48、46-48、48-49) ビセンテ・デラド(亜)

■OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級タイトルマッチ
1966/01/02 ○8RKO フランシスコ・バルグ(比)
※OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級王座防衛⑧

1966/02/20 ○2RKO 河合 哲郎(河合)

■OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級タイトルマッチ
1966/04/17 ○8RKO カーリト・キッド(比)
※OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級王座防衛⑨

■WBA/WBC世界フェザー級タイトルマッチ
1966/08/07 ●15R判定 0-3(138-146、143-145、141-145) ビセンテ・サルディバル(メキシコ)
※WBA世界フェザー級王座挑戦
※WBC世界フェザー級王座挑戦

■OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級タイトルマッチ
1966/11/27 ○2RKO オーランド・メディナ(比)
※OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級王座防衛⑩

■WBA/WBC世界フェザー級タイトルマッチ
1967/01/29 ●7RTKO ビセンテ・サルディバル(メキシコ)
※WBA世界フェザー級王座挑戦
※WBC世界フェザー級王座挑戦

1967/04/05 ○7RKO ジェシー・デル・バーレ(比)

■OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級タイトルマッチ
1967/06/28 ○12R判定 2-0(58-55、59-58、57-57) ジョニー・ハミト(比)
※OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級王座防衛⑪

1967/08/23 ○10R判定 3-0(50-44、50-46、50-43) ロイ・アモロング(比)

■OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級タイトルマッチ
1967/10/11 ○12R判定 3-0(59-51、60-54、59-56) サリマン・イチアヌチット(タイ)
※OBF(OPBF東洋太平洋前身)東洋フェザー級王座防衛⑫

1967/11/11 ○5RKO 山本 耕市(日東)
1967/11/22 ○10R判定 3-0(50-42、49-42、49-43) イ・ジョンボク(韓)

■WBC世界フェザー級王座決定戦
1968/01/23 ●9RTKO ハワード・ウィンストン(英)
※WBC世界フェザー級王座挑戦

 

【補足情報】
・東京都北区西ヶ原出身。
・弟の関 正勝(東海)もプロボクサー。
・1961年11月27日に川上 林成(新和)vs淡路 伸一(新和)をメインとして尾道市向島中学校で
 行われた興行は5試合の4回戦、エキシビション(メインを含む)が3試合だったが、関 光徳含む、
 中村 剛(新和)太郎浦 一(新和)ら16人全員が新和ジムのボクサーであった。コミッションは
 この興行を記録から抹消した。
・引退後は新和ジムを継承しセキジム、横浜光ジムと名称変更し、会長を務めていた。
・2008/06/06、クモ膜下出血により死去。67歳没。

 

※当ブログでは情報を求めています。
 誤った情報、追記すべき内容等ありましたら精査の上反映させていただきますので
 コメントいただけますと幸いです。

 

索引に戻る
索引-せ-に戻る
索引-M-に戻る

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました