変身!玉熊 幸人→レパード 玉熊 レパード 玉熊(国際)② ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2015/10/31
さて、昨日はA級ランカーになったレパード 玉熊(国際)が国内レベルで全く通用しなかった…
ってところまで書きました。
世界まではまるで遠い状況なんですが、ここで状況を一変させる手段を取ります。
それが、階級変更。
ジュニアフライ級(現在のライトフライ級)からフライ級へ階級を上げ、減量苦を緩和。
するとこれが大当たり!
階級変更後は破竹の8連勝を飾り、A級ライセンスのボクサーたちで行うA級トーナメントを一気に制覇。
優勝者に与えられる日本王座挑戦権を獲得します。
日本タイトルマッチでは、3度防衛中の西川 浩二(三迫)に判定勝ちを収め、日本王座を獲得。
この試合、ベルトを獲得するために玉熊が案じた策略が語り草になっています。
腹筋を鍛えに鍛えて鉄壁のボディを作り上げ、試合中に相手のボディでわざと「ウッ」と唸る。
そうして相手の攻撃をボディに集中させ、顔を撃たせないようにしたと…。
判定負けを喫した王者は「アイツ今頃、血の小便をしてますよ!」と吐き捨てたものの、
当の玉熊はピンピンしていた…という。
勝ちたかったんですね…というかここまで3敗してますんで、
ここで勝たなきゃその先なんて見える状況じゃなかったんだと思います。
日本王座戴冠までの8連勝中、KOは4つ。
KO率50%なんて軽量級ではとんでもない数字なんです。
階級変更までたった1KOだけだった玉熊。
単純に階級が上がったからパワーが上がった…とも言えるんですが、
玉熊の場合はパワーより回転が上がったという方が正解。
パンチがないことを自覚していた玉熊は早くて細かいパンチで勝負してたんです。
減量苦が軽減されてスタミナが持つようになり、細かい連打がこれまで以上に続くことになった。
一気にKO率も上がり、判定も落とさなくなったんですね。
ライトフライ級のリミットが108ポンド(48.988Kg)
フライ級のリミットが112ポンド (50.802Kg)
わずか2Kgに満たない差なんですが、この差がとんでもなく大きい。
最近、複数階級制覇が増えて、なんだか階級差が軽く見られてるようにも思えますが
たった1階級の違いでこれだけ変わるのかってのが、レパード 玉熊の戦績からありありと見て取れます。
本来の階級と違う階級で世界を獲得するのがどれほど難しいか…察していただければいいなと思います。
玉熊も、減量苦から解放されたわけではないでしょうが、間違いなく軽減はされたはずです。
日本中が知ってるレパード 玉熊はこの階級変更によって生まれたわけですね。
まさに別人のような活躍をしていきます。
その後日本タイトルは4度防衛。
間に外国人選手と2戦挟んでますが、これも格下ではなく、それぞれの国内で実績のある選手。
うち一人はタイ王者のペッチチャイナート・ドーンチェディー(タイ)を4RKO。
この選手…連敗中ではあるんですが、直近で勝っていたのは、のちに
第31代/第34代WBA世界バンタム級王者となるダオルン・チョーシリワット(タイ)。
玉熊戦で3連敗となってしまったペッチチャイナートは、次の試合でダオルンと再戦し、またも勝利。
のちの世界王者に2戦2勝…そんな強豪選手を玉熊は10分少々でリングに沈めたことになります。
もう一人は、OPBF東洋太平洋王座を判定で逃した直後のエリセール・バウチスタ(比)。
こちらは7RTKOで勝利。
ちなみにバウチスタが戦ったOPBF東洋太平洋フライ級タイトルマッチは、
松村 謙二(JA加古川)(のちの松村 謙一)を相手に実質バウチスタが勝っていた…とも言われた試合。
上記のとおり、日本タイトル獲得後、国内外の強敵を相手に6戦全勝4KO。
世界戦に名乗りを上げます。
相手はキム・ヨンガン(韓)。当時のレコードは18戦全勝。
ロス五輪直前の国内選考に敗れてプロ転向したアマエリート。
無敗のWBC世界フライ級王者です。
実はこの時日本人世界王者0人。
井岡 弘樹(グリーンツダ)が世界陥落してから大橋 秀行(ヨネクラ)が世界を獲るまで、
日本人は世界タイトルマッチ21連敗を喫しますが、この試合はその真っ只中。
世界のベルトを求めるボクシングファンの熱は凄まじく、試合中、解説が聞こえなくなるほどの大熱狂。
僕はね、この時代のボクシングファンが一番熱いんじゃないかと思うんです。
リアルタイムじゃないんですけど、当時の記事とか読むとね、記者の熱が全然違う。
パンチの強さ?テクニック?そんなことよりベルトを獲ってくれ!!!勝ってくれ!!と…。
このあたりは書ききれないのでね、またちょっと後々に日本ボクシングの暗黒時代を書くときにでも…。
世界初挑戦ではあと1R取ってれば引分…という際どい判定で敗北。
1Rでね、相手の飛び込みざまに右フックを合わせて
ヨンガンがリングに手をついたんですが、スリップの判定。
相手はパンチをあわされた後、玉熊の足に躓いててね…これレフリーがよく見てたな…と。
ダウンと取ってもおかしくないタイミングだったんで、これがダウンになってれば…なんて。
そんなタラレバを考えてしまうほど、それはそれは際どい試合でした。
その後、一時引退を考えるも、すぐに再起。
あれだけ際どい試合をすれば、世界再挑戦のチャンスは必ず巡ってくると…。
それまでに一番大事なのは転ばないこと。
のちにOPBF東洋太平洋フライ級王座に挑むサクサマイ・シンサマン(タイ)を
破ったポーンモンコル・チョビクル(タイ)など、
アジア圏の3選手との試合を挟んで…思惑通り、約1年半後、再挑戦のチャンスを手に入れます。
さてさて、ちょっと長くなってきたのでここからはまた明日。
世界獲得から陥落、引退まで…書ければいいな。
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