誓い 小林 タカヤス(川島)① ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2016/03/23
後楽園の語り草…そんな試合が年に何試合かある。
足しげく、日本ボクシングの聖地に通うファンにとって、その主役になるのが敗者の姿であることも多い。
そんな敗者は必ずと言っていいほど、どんなに追い込まれても前に足を進める。
その選手が走っているかどうか…
それはある程度ボクシングを見ているとそれなりに解ったりもする。
その選手の努力はスポットライトの当たらない場所で繰り返されるもの。
ファンの目には触れることがないはずである。
それでもやはり、リングでそういったものがさらけ出されることはある。
ダッシュの数が足りなければ、頻繁な連打は撃てない。
回転のいい連打が出る…それは走っている証でもあったりする。
「ボクサーなら走るのは当然」
言ってしまえばそうなのかもしれない…しかし、ちょっと自分を振り返ってみてほしい。
このブログを読んでいるほとんどの方が、何かしらの仕事をされていると想像すると…。
その分野で収入を得るということは、大概の人間がその分野のプロフェッショナルである…と僕は思う。
自分がプロとなるその場所で…自分がそれにふさわしい努力ができているのか?
周りを見渡して、いったい何人がその肩書にふさわしい努力ができているのか?
僕は自分がそんな質問を投げられたりすれば…少し伏し目がちになってしまう。
煙草を吸う選手もいるだろう。
スーパーフライ級(当時ジュニアバンタム級)で伝説となったヒルベルト・ローマン(メキシコ)や
カオサイ・ギャラクシー(タイ)なんていう名選手が喫煙者だったのは有名な話だ。
真実かどうかは定かではないが、ある日本王者はタイトルを獲得して世界を意識するまで
まともにロードワークをしたことが無かったらしい。
カシアス内藤(船橋)は、走りさえすれば世界を獲れた…とはエディ・タウンゼントの談。
ボクサー全員が毎日走ることができるか…彼らも人間であり、
モチベーションは上がったり下がったりするもの。
毎日走る…簡単なように見えて、それは実はとてつもなく難しいことでもあったりする。
全てをさらけ出すような熱戦…そういった試合では、
選手の背景がリングの上にハッキリと映し出されることも少なくない。
そしてそのうえで称賛されるボクサーはやはり、
地道に走り続けたプロフェッショナルだったりするのである。
第31回チャンピオンカーニバル 日本フライ級タイトルマッチ
清水 智信(金子) vs 小林 タカヤス(川島)
既に2度の世界挑戦を実現し、3度目の挑戦を目指す日本王者の清水。
そこに挑んだ挑戦者は直近の試合で世界ランカーを倒し、日本王座への挑戦権をつかんだ小林。
世界ランカー対決となったこの試合。
同郷でありながら対称的なキャリア、スタイルを持つ二人がぶつかり合った試合で、
カットを背負いながら必死に抵抗するも、最後は連打をもらってのレフリーストップ。
レフリーにしがみついてそのストップを拒否する小林…その姿は今でもありありと思い出す。
今回のピックアップは“気持ち”のボクサー 小林 タカヤス。
…と、ちょっとね、本編に進んでいく前に、googleで「小林 タカヤス」って検索してみてほしい。
彼を応援する人たちが、ブログやら、mixiやらで彼の名前を上げて、
彼を応援している文章がたくさん上がってきます。
他のボクサーたちもやっぱり上がって来るのは来るんですけど、
ちょっと異質に感じるのは、「左フックが…」「フットワークが…」とか、そんなんじゃないんですよ。
彼の身近な人たち…リングを見ている人間ではなくて、
彼自身を見ている人だろうと思われる人たちが彼を紹介している。
彼らは強さとかそういった物ではなく、人を評価している。
素晴らしい人として。
「小林 タカヤス」ももちろんですが、それ以上に「小林 孝康」を愛している。
そんな前置きも踏まえて…本編へ。
—-
ボクシングを始めたきっかけは小学校の先輩。
真面目な好青年だった先輩がアマチュアボクシングで活躍。
その活躍は北信越大会で優勝し新聞に取り上げられるほど。
憧れた自身も高校のボクシング部に入部します。
しかし、順調には進まずこのボクシング部を退部。
地元じゃ名前の通った進学校だったらしいんですが、学校自体も退学してしまいます。
ボクシングを失った小林は、活躍をプロの場に求めようと関西のボクシングジムへ。
しかし、視力が低かった彼は、ジムに受け入れてもらえず…。
夢半ばに挫折し、地元へ帰ります。
そこからはしばらくバイトをしながら遊び歩く日々…。
そんな中で迎えた成人式。
ここで出会った同級生達を見て、小林はあることに気付きます。
それは、“頑張っている奴”と“そうでない奴”の差。
この頃、まだ“そうでない奴”だった小林。
信頼するバイト先の先輩に胸の中を吐露したところ、ある言葉をもらいます。
「まだ遅くないよ。」
20歳の頃にもらった一回り年齢の離れた先輩の言葉。
のちのインタビューでは「その先輩だったから胸に入った」と答えています。
様々なボクシングジムへ問い合わせたところ、親身に相談に乗ってくれた相手が、
川島ジムの会長、川島 郭志(ヨネクラ)。
決意を固めた小林は必死にバイトし、当時まだまだ高額だったレーシック手術で視力を回復。
彼は固めた決意を拳に刻みます。
「OATH」
何事にも中途半端だった自分への”誓い”の意味。
この誓いが、小林を支え続けます。
ちょっと余談ですが、この決意に関連したエピソード。
いつか川島会長が明かした小林の減量。
取材に対してしゃべることもままならない小林の代わりに、川島会長が受け答えをしているんですが…。
「小林の減量はいつもこういった感じになる。心配ない。」
言い切る姿には、小林の“自分に勝つ力”への信頼を感じます。
ここまでだいぶ端的に書きました…が、実は成人式での決意からここまでの歳月は3年ほど。
様々な場所で取り上げられた内容なので、特にここで書かずともいい話かなと思うんです…が、
彼が並々ならぬ思いでプロボクサーとなり…そのままの気持ちを持って引退のテンカウントまで突き進んだ。
そんな彼を、愛したファンがたくさんいたってことを強調しておきたいです。
—
自由が丘にある焼き肉屋、「牛鉄 炎菜辛(カプサイシン)」。
アルバイトの応募に問い合わせが入る。
電話口の向こうには強い福井訛りの青年。
…スタッフの間でその電話が話題に上がる。
「明日バイト面接来るやつ、外人かもしれない!」
一人プロボクサーを目指して上京した小林の支えになったのは、このバイト先の面々。
試合でも大弾幕を作ってもらったりしたそうで。
“よっぽどひねくれた人でない限り上も下も好きになる”
そんな小林の人物評…この後もずっと行く先々で人を虜にしていくんですね。
「絶対に勝つ」
紆余曲折辿り着いたプロボクシングのリング。
志した時の決意そのままに、デビュー戦を迎えます。
しかし…結果は引き分け。
勝つか、負けるか…と意気込んだ結果、“引き分け”があるということを忘れていたそうで。
感想は…
「引き分けって何も面白くない!」
2戦目からリングネームを本名の「小林 孝康」から「小林 タカヤス」へ変更。
小林…よくある名字だから、名前がカタカナならインパクトがあるかな?…と心機一転。
角度のいいパンチをカウンターで撃ち抜き4RTKOで初勝利。
次戦で東日本新人王戦へエントリーすると…
1回戦を判定で勝ち抜け、2回戦へコマを進めます。
勝ちあがってきたのは山中 力(帝拳)。
のちに家住 勝彦(レイS)とOPBF東洋太平洋ライトフライ級暫定王座決定戦で
猛烈な名勝負を見せることとなる選手。
かたや小林ものちに2度日本王座に挑戦する選手。
新人王を振り返る面白さはこういったところで、
過去には渡辺 二郎(大阪帝拳)vs小林 光二(角海老宝石)なんていう
のちの世界王者対決なんていうのもありました。
しかしこの試合、会場の階段を降りたところで小林は異変を感じます。
この頃から毎試合、減量と戦い続けることとなる小林。
この減量苦が祟ってしまいます。
パンチをもらったときに、相手が7人に見えた…。
結局、2RTKOで初黒星…。
東日本新人王戦敗退となります。
その後、フルマークで順調に再起した小林は、判定勝利をもう一つ重ねB級昇格。
6回戦へと進んでいきます。
さて、ここから初の日本王座挑戦まで…。
壁を乗り越えて怒涛の活躍を見せる小林ですが…それはまた次回。
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