スーパーライト級日本王座連続防衛回数ランキング(記録関連) ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2019/01/17

スーパーライト級日本王座連続防衛回数ランキング(記録関連) ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2019/01/17
 
 
 

国内ボクシングでは8オンスグローブの中での最重量級がこの階級。
一つ上の階級になると、グローブが10オンスとなり、分厚くなる。

このグローブの差に関しては選手によって「大して変わらない」や「全く違う」など様々。
しかし、鮮烈な一撃KOの記憶が色濃く残る階級であることは事実。
日本が産んだ世界王者は藤 猛(リキ)浜田 剛史(帝拳)平仲 明信(沖縄)の三名。
いずれもKOパンチャーばかりである。

初代日本王者が誕生してから54年。
日本王座の歴史を連続防衛記録から覗いてみます。
 
 

 

スーパーライト級日本王座連続防衛回数トップ10
 
 

 

第1位 13度防衛 第31代日本スーパーライト級王者

木村 登勇(横浜光)

青森で生まれ、アマチュア時代には八戸帝拳ジムで腕を磨く。プロデビューは仙台ジムから。
デビュー4連勝を飾るも、東日本ライト級新人王準決勝でその年の東日本新人王である宮上 将志(新日本木村)に初めての敗北。
B級昇格の権利を手にしながらも、昇格を見送って翌年の新人王にエントリーすると、
途中、アマ時代に所属した八戸帝拳への移籍を挟みながらも勝ち上がり、見事に全日本新人王に駆け上がる。

その後、2戦を挟んで日本王座に初挑戦。
相手は日本王座を15度防衛していたリック 吉村(石川)
かつて同じ八戸帝拳に所属した、当時の日本王座における絶対王者に挑むも、ほぼフルマークで戴冠叶わず。

その後は引分けを挟んで3連敗。
この間に東北を出て、同郷の先輩である畑山 隆則(横浜光)が所属する横浜光ジムへ移籍している。

日本王座初挑戦から2年後、A級トーナメントを制して二度目の日本王座挑戦。
こちらもまた、リックと同じく日本ボクシング史に名を残す、湯場 忠志(都城レオS)
のちに日本五階級制覇を達成する名王者である。

かつてノンタイトルで敗北した相手への挑戦だったが…結果は5R負傷判定でのドロー。
2度目の挑戦も叶わず…しかし、その10か月後、湯場が返上した王座を小野 淳一(新日本木村)と争い
3度目の挑戦にしてようやく日本王者へと輝いた。

しかし、この時は初防衛戦で嶋田 雄大(ヨネクラ)に惜しい判定を逃して陥落。
それから2年後、日本スーパーライト級王者の江口 慎吾(大橋)から王座を奪い、2階級制覇を達成。
デビューから8年が経とうとしていた頃…ここから木村の長期防衛ロードが始まる。

4年間に渡って、日本王座を12度防衛。
ここまで防衛を伸ばし、世界のチャンスが巡ってこないこの階級でようやく世界挑戦のチャンスをつかむ。
相手はアンドレアス・コテルニク(ウクライナ)
アマチュアのジュニア世界王者からプロの世界王者へと駆け上がった選手。
コテルニクの初防衛戦の相手に選ばれた木村だったが、敵地ウクライナで
ほとんどのラウンドを奪われ、世界王座獲得ならず。

日本王座を保持したままの挑戦だったため、国内戦線に戻り防衛数を1つ追加。
しかし次戦で小野寺 洋介山(オサム)に王座を奪われ、日本王座連続防衛記録は13で陥落。
そのままリングを降りることとなった。

「木村術」と呼ばれたトリッキーなボクシング。
2000年代の後楽園ホールのファンに愛された名選手の一人である。
 
 

第2位 10度防衛 第24代日本スーパーライト級王者

桑田 弘(進光)

2000年代のスーパーライトを制したのが木村なら、その一昔前…
1990年代のスーパーライトを制したのが桑田だった。

デビューから9連勝で駆け上がっての日本王座初挑戦…相手は
ペレストロイカ政策で来日した五輪金メダリストのスラフ・ヤノフスキー(協栄)
誰もがその力を認めながらも、世界挑戦さえ叶わずにリングを去った強豪に初挑戦は失敗。

しかし、ヤノフスキーが帰国したことで空いた王座を山本 義広(ヨネクラ)と争って戴冠。
この王座を4年半に渡り10度、新井 久雄(陽光アダチ)に敗れるまで守り続けた。

途中、1階級下の元日本王者だった坂本 博之(角海老宝石)とノンタイトルを戦い、10RTKOで敗北。
既にのちに4度世界に挑む坂本の名前を一つ引き上げたのがこの試合だった。

平仲 明信(沖縄)が保持していたこの階級の日本王座連続防衛記録を1つ上回って、当時の最多記録を樹立。
ノンタイトルを1試合挟んで、次の防衛戦で陥落した。

その後はウェルター級も含めて日本王座に3度挑戦するものの、いずれも挑戦は失敗に終わる。
王座陥落から5年…12試合分のレコードを追加して、35歳で長い競技人生を終えている。
 
 

第3位 9度防衛 第19代日本スーパーライト級王者

平仲 明信(沖縄)

ボクシングを始めて数ヶ月で高校王者となった平仲。
一気に国内トップ選手に駆け上がり、その4年後にはロサンゼルス五輪の日本代表ともなっている。
アマチュアから鳴り物入りでプロ転向し、特例のA級デビュー。
日本王座獲得はデビューから4戦目のこと、日本タイ記録のスピード記録となっている。

沖縄と東京を行き来しながら防衛戦を重ね、当時の日本スーパーライト級王座連続防衛記録の9度連続防衛。
9勝のうち8つのKO勝ちを刻み、ハードパンチャーの名を欲しいままにした。

この王座を返上し、世界挑戦に向けて踏み出した平仲。
英語を使って自信で対戦交渉を行い、返上から半年後にイタリアで世界挑戦。
合計で3度、WBA世界スーパーライト級王座を獲得することとなるフアン・マルティン・コッジ(亜)
1期目の王座の3度目の防衛戦。

3Rの2度のダウンを奪って、あわや王座奪取かの激戦を魅せるモノの判定で敗北。
ここから苦難の試合枯れに陥る。

世界初挑戦からちょうど、3年後。
間に挟んだ試合はわずかに2試合で、2度目の世界挑戦のチャンスにメキシコに飛んだ平仲。
エドウィン・ロサリオ(プエルトリコ)を試合開始のゴングとともに仕掛けた猛ラッシュで世界王座を奪取した。

凱旋となった初防衛戦ではモーリス・イースト(比)に敗北。
試合後に脳内出血が見つかり、リングを降りることとなった。

現在は平仲BS会長として、西部日本から魅力的なボクサーたちを輩出している。
 
 

第4位 8度防衛 第7代日本スーパーライト級王者 古山 哲夫(笹崎)(2期目)
第5位 6度防衛 第23代日本スーパーライト級王者 スラフ・ヤノフスキー(協栄)
第5位 6度防衛 第38代日本スーパーライト級王者 岡田 博喜(角海老宝石)
第7位 5度防衛 第25代日本スーパーライト級王者 新井 久雄(陽光アダチ)
第7位 5度防衛 第26代日本スーパーライト級王者 小野 淳一(新日本木村)
第9位 4度防衛 第3代日本スーパーライト級王者 荻原 繁(東拳)
第9位 4度防衛 第4代日本スーパーライト級王者 古山 哲夫(笹崎)
第9位 4度防衛 第15代日本スーパーライト級王者 亀田 昭雄(バトルホーク風間)
第9位 4度防衛 第27代日本スーパーライト級王者 前田 宏行(角海老宝石)
 
 
 

各年代に、その時代を代表するような名王者が誕生しているスーパーライト級。
60年代の古山 哲夫(ライオン 古山)、荻原。
70年代は再び古山が王座に君臨し、80年代は亀田や平仲。
90年代はスラフ・ヤノフスキー、桑田、新井、小野のわずか4名で王座を守った。
2000年代にも木村 登勇が、2010年代には岡田…。

満遍なく散らばる名王者たちは、この階級が絶えず魅力的な日本王者を
産み出してきたことを指し示している。

さて、現在王座に君臨するのは細川 バレンタイン(角海老宝石)
ナイジェリアと日本のハーフで、若き日にはナイジェリアでの極貧生活を経験し、
現在は外資系銀行員としての顔も持つバレンさん。

「日本王座を防衛していければ満足」なんていう趣旨のセリフも飛び出しているが…
果たしてどこまで防衛テープを伸ばしていくのか。
3度目の防衛戦は4月6日。

チャンピオンカーニバルとして井上 浩樹(大橋)との大注目カードが組まれています。
 
 

 
 

※記録は2019/01/17時点
 
 

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