トレーナーとボクサーについて(コラム) ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2016/03/03

トレーナーとボクサーについて(コラム) ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2016/03/03
 
 

アルツロ・クーヨ・エルナンデス。
言わずと知れたメキシコの名伯楽。

クーヨ門下と言われた名ボクサー…。
代表的なのはリカルド・ロペス(メキシコ)アレクシス・アルゲリョ(メキシコ)あたりか。
その他にも数多くの名世界王者を輩出している。

15年以上前に他界した彼だが、未だ彼のボクシングはメキシコに根付いている。
彼の弟子として代表的な存在がイグナシオ・ベリスタイン(メキシコ)。通称ナチョ。

ナチョ門下…当然ながら、多数のボクサーを抱えるナチョ門下において、
ナチョ一人ですべての選手を指導するわけではない。

ナチョの弟子として様々な名トレーナーが脇を固めるが、特徴的なのが、現役時代たいした実績のないこと。
ボクサーとしての実績がない者までいる。

そんな彼らを従え、自身のナチョイズムと言うべきボクシングを選手に叩き込んでいく。

いったい誰がナチョ門下で、どのトレーナーがついていたのか…。
調べることが大好きなボクシングヲタクの為にこのあたりは記載しないでおく。

とかカッコつけといて、実はトレーナーの情報ってそれほど表に残らず、凄く難しいので自信がない…
 
 

アブネル・マレス(メキシコ)
彼はナチョ門下の優等生としてベリスタインが愛情込めて育てた選手。
しかし彼はナチョ門下を離れることに決めた。

そして迎えたジョニー・ゴンサレス(メキシコ)戦。
この試合でゴンサレスのセコンドにいたのはナチョだった。
 

自らが育てたマレスを、自分の育てたゴンサレスが打ち破る。
このドラマは「トレーナーと選手」という目線で見るボクシングヲタクにとって強烈なものだったはずだ。
 

日本でも名伯楽として名高い、イスマエル・サラス、エディ・タウンゼント、松本 清司…。
このあたりの名前は、多少知っている人なら聞いたことがあるだろう。
 

もう少し深入りしてみよう。
トレーナーの色が色濃く出ている選手たちがいる。
 

日本のボクシングはとても解りやすい。

ジムごとにある程度トレーナーが特定されているからだ。
当然トレーナーが複数いるわけなので、はっきりと区別できるわけではない。
しかし、その選手のトレーナーがいついつまで誰々で…と
調べていかないとならない海外のボクサーに比べると、比較的楽なのである。
 
 

…というわけで、選手をジム毎に区切って選手を見ていく。

そこであることに気付く。
いくつかの特定のジムではそのジム独特の布系がある。
 

例えば以前も書いたかと思うが、川島ジム。
会長である川島 郭志(ヨネクラ)の異名“ディフェンスマスター”の血が
このジムのボクサーには流れているように思う。

川島が直接教えた選手が指導する側に回り、その布系を広げていく…。
実際の指導を見たことがあるわけではないので、空想ではあるものの…実に楽しい。
 

伴流ジムの選手たちが合気道ボクシングと呼ばれることもここに当てはまると思う。
 
 

こんな話をしていたら、「おいおい待てよ」と…
ボクヲタ関西の雄と呼んでいる友人に話を止められた。

彼が押すのは倉敷守安ジム。
 
 

ここから2行は彼の談。

倉敷守安ジムの選手が追い込まれたとき、
負け越し日本王者 守安 竜也(岡山平沼)の息遣いが見える。
 

守安 竜也…。
骨太過ぎるほど骨太なマッチメイクで、負け越し王者ながら当時のファンを虜にした。
全く下がらない手数とタフネスのボクシング。

エリートに立ち向かっていく雑草を思わせた選手であり、
その熱闘は引退して30年以上経つ今も未だに時折名前が挙がる。
名日本王者である。

試合を見たこともない僕でさえその名前を知り、戦いぶりの話を知っているほどである。
 

なるほど、数戦ではあるものの倉敷守安ジムの選手を知る自分としては腑に落ちた。
名ボクサーとしてこのジムの選手を何人かあげる関西のファンは数多い。
前へ…前へ…。
 

…と、そんな話をしていて思い出した。
 

名古屋にも前へ前へ進んで散った、熱きノーランカーがいたということを。
 
 

次回からはそんな彼のピックアップ。
 
 

明後日、乞うご期待。
 
 

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