2017/11/19 じゅうろくプラザ-引退式(中日本ボクシング観戦記) ボクシング選手名鑑ピックアップ!
セミファイナルが終わり、メインの前に執り行われた引退式。
ついこの間の興行まで、メインを張った華井 玄樹(岐阜ヨコゼキ)と宇佐美 太志(岐阜ヨコゼキ)。
先に華井がマイクを握る。
国内アマチュアの最高峰の大学1部リーグで活躍。
在学中3連覇を果たした東農大で主将を務めた、まさにトップアマ。
華井が岐阜ヨコゼキからデビューする…胸を躍らせたファンも多いことだろう。
期待通り7連勝で日本ミニマム級1位へと駆け上がり、タイトルマッチのリングに上がる。
当時のチャンピオンは福原 辰弥(本田フィットネス)。
手痛い負けや引分けを何度も経験しながら上り詰めたベテランである。
3Rにはダウンの応酬となった試合だったが、王者の格を見せつけられるように連打にさらされた。
粘りに粘った華井は…最後の望みのようにカウンターを狙うも、レフリーが割って入り敗者となる。
その3カ月後、若いホープを圧倒した福原は、第17代WBO世界ミニマム級王者となり
地方から出た世界王者として、その名をボクシング史に刻みつける。
かたや華井は、再起戦でノーランカーだった松井 謙太(三河)に敗北。
ランクを松井に譲る形でリングを降りた。
華井 玄樹
引退式での挨拶 全文
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沢山のファンたちと出会うことができて、沢山中間に応援されて、
それがほんとに今までの自分の中の財産になると思っています。
プロとなって引退を決めた理由は3年で日本王者になると決めて、
2年ちょっとで巡ってきた日本タイトルマッチで負けてしまって
それから復帰戦でも負けて、それからボクシングに対する熱がなくなってしまったのが引退のきっかけです。
これからは仕事を続けながら、自分のジムを開いて
アマチュアの選手を育てたいと言う目標があるので、それを考えていきたいと思います。
今まで本当にありがとうございました。
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東農大主将…彼を東京で欲しがるジムは沢山あっただろう。
中日本だって、名古屋には世界王者を擁するジムもあるし、何人も世界王者を出した老舗もある。
しかし、彼は地元岐阜で戦うことを選んだ。
華井が岐阜ヨコゼキから…と知った瞬間は胸が熱くなった。
多分、日本王座よりもっともっと上を期待されただろうと思う。僕もそうだった。
結局日本王座には届かなかったけれど、岐阜の看板として充分楽しませてくれたと思う。
接戦になった諸 一宇(尼崎)との試合や、ラストマッチとなった松井との試合。
苦戦する華井ばかり思い出してしまうけれど、あの二試合…面白かったよなぁ。
圧倒的に勝ちまくって駆け上がるようなアマエリートではなかった。
時に苦戦し、時にダウンし…終わってみれば、この選手、凄く泥臭かったように思う。
そう言えば、アマの頃も、準優勝ばかりだった気がする。
プロで手に入れた肩書は、元日本1位。
チャンピオンになって欲しかった。
素直に、寂しい。
引退後はずっと彼をサポートしていた日野自動車で今後も務めていくとのこと。
続いて宇佐美。
デビューから1つの引分けを挟んで11連勝。
アマチュアで国体準優勝の実績を残してプロの世界にやってきた岐阜のホープは、
新人王トーナメントには参加することなく、中日本のリングで戦い続けた。
初めての負けを味わった後も、しっかりと再起し、OPBF東洋太平洋ライト級王座に挑戦。
現在も王座に君臨し続ける中谷 正義(井岡)と対戦。
ペースを奪うことができず、大差判定でチャンスを逃す。
ここから1年半、宇佐美はリングから離れている。
予想しなかったブランクに復活を待ちわびていた頃、ようやく宇佐美の復帰戦が組まれる。
2016年3月6日…。
僕がこのブログで、中日本ボクシング観戦記を初めて書いた日。
中堅どころだった伊波・フアン・カスティーヨ(真正)をワンツーで倒し、最後はボディで仕留めた完璧な内容。
カスティーヨはこの試合を最後にリングを去った…思い出深い一戦。
この試合後、日本14位にランキングされると宮崎 辰也(マナベ)を2Rで下し、
東京の大舞台に乗り込んでいく。
2016年12月30日 ディファ有明。
メインは井上 尚弥(大橋)vs河野 公平(ワタナベ)のWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ。
セミには八重樫 東(大橋)vsサマートレック・ゴーキャットジム(タイ)のIBF世界ライトフライ級タイトルマッチ。
村田 諒太(帝拳)、清水 聡(大橋)の二人のメダリストが前座として同じリングにたつ、超豪華な年末興行。
井上兄弟の従兄として、またアマ実績豊かなホープとしてその名を響かせる井上 浩樹(大橋)が
初めて戦う日本人として、その対角コーナーに宇佐美がいた。
話題のスーパーホープのランカー挑戦。
大勢の大衆が望むとおり、華々しく鮮やかに井上はランカーを圧倒。
そして、少数派だったろう、中日本のホープの勝利を信じるファンにとって、あまりにも残酷に宇佐美は敗者となった。
それから1年後、宇佐美が立ったリングは、地元岐阜で執り行われた「引退式」。
宇佐美 太志
引退式での挨拶 全文
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まず、会長さんも、関係者の皆さんもこのような時間をありがとうございます。
試合より緊張して何しゃべっていいかわかんないですけど、正直こういった試合見て、まだやりたいっすね。
悔いはありますね。
でも、やっぱ中途半端にはやりたくないんで、引退することにしました。
応援してくれるファンの皆様、各選手と接して厳しいスポーツだと解ってもらえると思うんですけど
選手の方が中途半端な状態じゃ、みんなもついてこれないと思うんで、僕もここで引退することにしました。
ボクシングやって、今の自分を超えることに向き合うと言うか、それが体に染みついて
ボクシングを経験したことによって、こうやって成長できたのでよかったと思います。
それと一番は、ボクシングを初めてから出会った皆さん、たくさんの方とお会いできて、
人に感謝するってことを覚えることができたのでよかったです。
こういうときなので、親に一言言いたいんで、すいません…。
高校の時から、減量やなんやって迷惑かけたし、実家暮らしでサポートしてもらわんかったら
やっぱ、ここまで俺はボクシング続けることができへんかったもんで
ほんとにありがとうございました。
やり残したこととかそういうのがあって、色々悔いはありますけど
本当にいいボクシング人生でした。
ありがとうございました。
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うん…本当にいいボクシング人生だったと思う。
強かったし、強い相手に挑むこともできた。
それが叶わない選手もいるし、人知れず消えるボクサーの方が多い。
宇佐美の名前を、これから先も覚えているだろうファンは多いと思う。
悔いなく辞めれるボクサーなんかいない。
最後は後悔だらけで辞めていく、どんなに綺麗なことを言っても
真剣だったなら、真剣だった分だけ、後悔でいっぱいになる。
そんなことを言っていた元ボクサーがいる。
宇佐美 太志…お疲れさん。
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