高山 将孝(Masataka Takayama)

高山 将孝(Masataka Takayama)(ピストン堀口)

 

本名:高山 将孝
生年月日:1945年10月30日
国籍:日本
戦績:29戦22勝(8KO)6敗1分

 

【獲得タイトル】
1961年度全日本高校選手権バンタム級優勝(アマチュア)
1963年度全日本高校選手権フェザー級優勝(アマチュア)
1966年度全日本選手権ライト級優勝(アマチュア)
1967年度全日本選手権ライト級優勝(アマチュア)
第17代日本ライト級王座
第19代日本ライト級王座

 

【戦歴】
1968/03/20 ○6R判定 3-0(30-24、30-23、30-26) 中川 昭二(船橋)
1968/05/08 ○10R判定 3-0(49-43、47-45、48-44) 伊達 健七郎(木村)
1968/07/31 ○10R判定 3-0(50-43、50-45、50-44) レイ・ミラー(比)
1968/10/16 ○4RKO 市原 功(青木)
1968/12/11 ●7RTKO ドン・ジョンソン(米)
1969/05/28 ○10R判定 3-0(採点不明) リカルド・ベルミサ(比)
1969/08/06 ○10R判定 (採点不明) 荻原 繁(東拳)
1969/10/08 ○3RKO 遠藤 憲夫(晴海)

■日本ライト級タイトルマッチ
1970/01/21 ○10R判定 3-0(49-47、50-47、48-47) 辻本 英守(大星)
※日本ライト級王座獲得

1970/03/18 ○10R判定 (採点不明) ファントム 小川(東海)
1970/05/06 ○10R判定 2-0(47-46、46-46、49-46) アルトゥーロ・ロメリ(メキシコ)

■日本ライト級タイトルマッチ
1970/07/01 ○10R判定 (採点不明) 林 一道(金子)
※日本ライト級王座防衛①

1970/09/23 ○10R判定 3-0(49-43、49-46、49-42) 椎谷 勲(石川)
1970/12/12 ○10R判定 (採点不明) ルディ・ゴンサレス(比)

■日本ライト級タイトルマッチ
1971/03/03 △10R判定 1-1(48-47、48-48、47-48) 鈴木 石松(ヨネクラ)
※日本ライト級王座防衛②

1971/06/22 ○10R判定 (採点不明) フェリーペ・トーレス(メキシコ)

■日本ライト級タイトルマッチ
1971/09/01 ○6RKO 渡辺 昌龍(船橋)
※日本ライト級王座防衛③

1971/11/30 ○2RKO メモ・カスティーヨ(メキシコ)
1972/01/11 ●8RTKO ルーベン・ナバロ(米)
1972/02/24 ●10R判定 0-2(5-6、4-6、6-6) ジミー・ロバートソン(米)
1972/05/18 ●3RTKO チャンゴ・カルモナ(メキシコ)

■日本ライト級タイトルマッチ
1972/07/29 ○6RKO 村上 広行(極東)
※日本ライト級王座防衛④

■日本ライト級タイトルマッチ
1972/11/11 ○10R判定 3-0(50-43、50-44、49-43) 渡辺 昌龍(船橋)
※日本ライト級王座防衛⑤

1973/05/21 ○3RKO 佐藤 晋一(アベ)

■日本ライト級タイトルマッチ
1973/07/02 ●10R判定 0-3(43-46、45-46、45-47) バズソー 山辺(船橋)
※日本ライト級王座陥落

■日本ライト級タイトルマッチ
1974/02/18 ○9RKO バズソー 山辺(船橋)
※日本ライト級王座獲得

■日本ライト級タイトルマッチ
1974/09/01 ○7RTKO アラブ・スガ(京浜川崎)
※日本ライト級王座防衛①

■WBA世界ライト級タイトルマッチ
1974/12/21 ●1RTKO ロベルト・デュラン(パナマ)
※WBA世界ライト級王座挑戦

■日本ライト級タイトルマッチ
1975/05/08 ○10R判定 3-0(49-45、49-45、48-45) 矢島 康士(セキ)
※日本ライト級王座防衛②(のちに返上)

 

【補足情報】
・東京都目黒区中町出身。
・アマチュア戦績:153戦136勝(72KO)17敗。アマチュア時代には中央商、早大で活躍し、
 東京五輪に出場。
・小学生のころから野口ジムのベビー・ボクシング教室に通い、同期の西城 正三(協栄)との
 手合わせは白熱したという。プロデビュー後、屈指の技巧派として鳴らしたが、
 アメリカ遠征後はテクニックのある強打者となり、KO勝ちが増えた。中でも、
 「ボクシングはケンカだ」と豪語するバズソー 山辺を
 「ケンカでなくテクニックの争いだ」と鮮やかにKOした一戦は会心の出来であった。
・プロ、アマを通して日本人にダウンを奪われたことがなかったが、全盛期の
 ロベルト・デュランにはガードの上からも含めて3度倒され、
 世界タイトル奪取はならなかった。
・引退後、1980年代初めにマルマン高山ジム、その後会社経営を経て1998年に
 T&Tボクシングジムを開設、会長を務めた。

 

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