友利 正(Tadashi Tomori)(三迫)
本名:友利 正
生年月日:1959年12月28日
国籍:日本
戦績:26戦19勝(5KO)7敗
【獲得タイトル】
1977年度全日本高校モスキート級王座(アマチュア)
第2代日本ライトフライ級王座
第5代日本ライトフライ級王座
第9代WBC世界ライトフライ級王座
【戦歴】
1978/05/25 ○4R判定 (採点不明) 高橋 金美(京浜)
1978/06/22 ○4R判定 (採点不明) 佐藤 清美(内野)
1978/07/27 ○1RKO 富樫 晃一(トーア・ファイティング)
1978/08/25 ○4R判定 (採点不明) 佐藤 清美(内野)
1978/09/28 ○4R判定 (採点不明) 小川 康文(セキ)
1978/11/13 ○4R判定 (採点不明) 佐藤 清美(内野)
1978/12/18 ○6R判定 (採点不明) 比嘉 俊和(上福岡)
■1978年度全日本ライトフライ級新人王決定戦
1979/03/03 ○6R判定 (採点不明) 宮岡 嗣弘(京拳)
※1978年度全日本ライトフライ級新人王獲得
1979/04/20 ○6R判定 (採点不明) ハン・ジョンイル(韓)
1979/05/24 ●8R判定 0-2(36-38、37-38、38-38) ピューマ 光矢(興真)
1979/07/15 ○8R判定 (採点不明) ハンマー 吉田(オサム)
1979/09/27 ○7RKO フェニックス 谷口(平和)
■日本ライトフライ級タイトルマッチ
1979/11/19 ●10R判定 0-3(94-99、95-99、95-99) 天龍 数典(内野)
※日本ライトフライ級王座挑戦
1979/12/24 ○2RKO 湯口 恵介(角海老)
■日本ライトフライ級タイトルマッチ
1980/02/28 ○1RKO 天龍 数典(内野)
※日本ライトフライ級王座獲得
1980/04/20 ○10R判定 3-0(99-93、100-93、98-93) ピューマ 光矢(興真)
■日本ライトフライ級タイトルマッチ
1980/05/30 ○10R判定 3-0(99-97、99-96、98-97) 船木 和義(内野)
※日本ライトフライ級王座防衛①
■日本ライトフライ級タイトルマッチ
1980/08/29 ●10R判定 0-2(97-98、96-99、98-98) 穂積 秀一(帝拳)
※日本ライトフライ級王座陥落
■日本ライトフライ級王座決定戦
1980/11/27 ●10R判定 0-3(97-99、97-99、96-98) 伊波 政春(協栄河合)
※日本ライトフライ級王座挑戦
1981/04/30 ○4RKO 一の宮 竜司(平石)
1981/08/23 ●10R判定 0-3(採点不明) キム・ヨンヒュン(韓)
■日本ライトフライ級王座決定戦
1981/10/12 ○10R判定 (採点不明) 多田 浩幸(協栄)
※日本ライトフライ級王座獲得
■日本ライトフライ級タイトルマッチ
1982/02/26 ○10R判定 3-0(採点不明) 神田 吉昭(トーア・ファイティング)
※日本ライトフライ級王座防衛①
■WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ
1982/04/13 ○15R判定 2-0(145-142、145-145、148-145) アマド・ウルスア(メキシコ)
※WBC世界ライトフライ級王座獲得
■WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ
1982/07/20 ●15R判定 1-2(144-143、141-144、143-144) イラリオ・サパタ(パナマ)
※WBC世界ライトフライ級王座陥落
■WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ
1982/11/30 ●8RTKO イラリオ・サパタ(パナマ)
※WBC世界ライトフライ級王座挑戦
【補足情報】
・沖縄県那覇市出身。
・トレーナーはデビュー当初は三迫 将弘(三迫)、世界戦の直前からエディ・タウンゼント(米)。
・愛称は「具志堅二世」
・日本ライトフライ級王座決定戦は王者だった穂積 秀一がOPBF東洋太平洋王座を目指して、
王座を返上したことに伴うもの。
・引退後は白井・具志堅スポーツジムでトレーナーを務めている。
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