王座の価値はどう測る(コラム) ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2019/05/21
あるところに二つの国がありました。
東の国と西の国です。
東の国の人が大きな石を指さして言いました。
「この石はこんなに大きい。
なんて価値のある石なんだろう。」
西の国の人が言いました。
「何を言っているんだ、ただの石じゃないか。
こっちの石の方がもっと価値がある。
ほら、こんなに輝いているでしょう。」
西の国の人は懐からダイヤモンドを取り出して言いました。
東の国の人は言います。
「何を言っているんだ、そんな小さな石ころ。」
西の国の人は言います。
「なんだと?綺麗な宝石の方が価値があるに決まっているだろう。
俺たちをバカにしているのか?」
東の国では大きな石こそ価値があるとされています。
西の国では輝く石こそ価値があるとされています。
どんなに輝いても小さければ意味のない石。
どんなに大きくても輝かなければ意味のない石。
二人はお互いが自分をだまそうと思っていると思い込み言い争いを続けます。
フリーランスボクサー 中村 優也(TOP STAR)がJBC管轄で戦うボクサーの反感を買っている。
その反感は、中村以外のフリーランスボクサー以外にも向けられているように見える。
JBC管轄のボクシングを見ているファンと、
彼らの感覚は現状では相容れることはないだろうと思っている。
東の国と西の国の石ころ論争と同じだ。
日本から見つめるボクシングにとって王座の価値とは…。
いかに獲りづらい王座なのか…強い選手同士の争いの中、生き残ったものだけが勝ち取る王座。
そんな王座にこそ価値があり、その価値観は絶対…といった人たちも多いように感じる。
だから、彼らにとっては知名度が低く、ランキングも作成されていないような王座には価値がない。
もし、仮に…である。
世界中でその感覚が正だとしたなら、日本人以外の選手がそんな王座を獲りに行くのはなぜだろう。
その王座を狙うのはフリーボクサーだけではない。
豪州の選手は世界に飛び出す前に多くのベルトをかき集める。
フィリピンも…タイも…
日本より貨幣価値の低い国のプロモーターが、そんな王座に承認料を払ってまで。
答えは簡単だ。
そこに価値があるからである。
その価値は、具体的に言えば、チャンスとファイトマネー。
日本ランキングでも、日本中にその目が届いているか…と言えばそうではないと感じる。
ランカー対決に圧勝しながらランキングが一つしか上がらない選手。
勝てば勝つほどランキングが下がっていった選手もいる。
世界となれば更にその目は届かなくなる。
国境をまたぐ地域王座も同じこと。
強い選手がそこにいたところで、名もなきただのボクサーであり、誰も知らない。
必要なのは、肩書か、戦績か。
「どうも僕はとっても強い日本人の関です。世界ランカーと戦わせてください。」
どこのプロモーターがその選手を使うだろうか。
戦績か肩書…何かが必要になる。
そこで、何かしらの王座を手に入れる必要が出てくる。
それがなければ、Bサイド…大袈裟に言ってしまえば噛ませ犬としての需要しかなくなってしまう。
戦績や試合結果が前座の選手たちまできっちり残るのは日本を含むわずかな国だけだ。
例えばタイの戦績は、タイのBoxRecのエディターが日本人だった頃は、
前座の試合もある程度残っていたが
現在の戦績管理は荒廃の一途…。
元々、ある日本人マッチメーカーが中心となって行われた戦績詐称で
ぐちゃぐちゃになっていた戦績だったが、それが落ち着いたと思ったら、
日本人エディターが離れたことで、現在はさらにぐちゃぐちゃになっている。
BoxRecを鵜呑みにし、全敗ボクサーと信じ込まれている選手が、
実は勝ち越しボクサーという例もあれば、逆の例もある。
話が逸れてしまったが、記録が管理されている日本の選手にとって
国内で戦う上では、WBCアジアやWBFアジア…など、そういった王座は必要ないだろう。
しかし、海外で戦うフリーボクサーはまず自分が「何者か」になる必要がある。
その何者かになることで、ファイトマネーも変われば、チャンスにも影響する。
例えば、WBFアジアのベルトを手に入れた選手は、豪州から試合のオファーが来た。
ファイトマネーは100万円以上…しかし、その選手はその試合を「安い」という理由で断っている。
中村がWBA世界バンタム級暫定王者だったレイマート・ガバロ(比)と
ノンタイトル戦ながら対戦できたのは、WBCアジアバンタム級王者の肩書があったからに他ならない。
彼らにとってタイトルはチャンスや高いファイトマネーをつかむための手段である。
マイナーと呼ばれるタイトルをつかみ、そして自分は○○チャンピオンとアピールする。
その結果、Facebookなどで海外から対戦交渉が舞い込むこともある。
試合が組まれるにあたってそんなパターンが全てではないが、
自分が何者であるか…それを声高に叫ぶのは、
彼らがより高みのリングに辿り着く為の手段の一つであることは間違いない。
「フリーは自分を売り込む力がなければ何もできない。」
中村がガバロとの試合を終えて一気に知名度を上げた頃の言葉だ。
彼のことをどれだけ悪く言う人間も、彼の自己アピール能力には舌を巻く。
しかし…それを日本国内に向けたとたんに「わけのわからない王座」を獲って
チャンピオンをアピールするな…と、反感の声がたつ。
中村はプロボクサーとしての一種の仕事をしているだけなのである。
結果、海外で売り込むのと同じく、アジア王者を名乗ったことや
SNSでの批判に反論することで、フリーに対する反感が高まったようにも感じる。
フリーと日本国内…両者の価値観を知らない相手から、理解など得られるはずがないが、
中村は「勉強するべきだ」の言葉で、詳細な説明をしきれていない。
人は自分の価値観を覆されるのを恐れるものだ。
それに…海外のローカルな部分のご事情は、資料を探すだけでも大変なもの。
手軽に勉強なんてできる環境など、日本国内にはないのだ。
中村の発言に、聞く耳を閉じていく人も多く現れているようにも感じる。
ここで一旦、日本王座について触れたい。
日本国内で価値があるとされる日本王座は
世界的に見ていったいどんなタイトルなのか。
僕自身はナショナルタイトルとしては、世界で最も管理されているタイトルだと認識している。
これほど防衛戦が繰り返され、空位の率が少ないナショナル王座は、現在どこの国を探しても存在しない。
さらに争っている日本人選手たちのレベルは高い。
2019年5月時点での日本人世界王者は7名。
軽量級に集中しているとは言え、米国、メキシコに次ぐ世界3位の数字である。
どでかい興行を打ち、スター選手を抱える英国やロシアよりも世界王者の数で言えば多いのだ。
そして、彼らはJBCのルールにより、獲れるタイトルに制限があるため、
日本、OPBF、WBO-APに集中してタイトルを獲りに行く。
中量級以降を除けば、このタイトルは世界でも最も獲りづらいローカルタイトルだろうと感じる。
強いものしか取れない崇高な王座であり、日本人はこのタイトルを誇りに思ってもいいと感じる。
しかし…日本タイトルがそれほど熾烈なものだという認知を持っている海外ファンは相当なマニアだ。
ナショナルタイトルはあくまでもナショナルタイトル。
それだけ獲りにくいにも関わらず、見合うリターンは得られない。
軽量級においては、世界ランキングが手に入ってもいいのではないかとさえ思うレベルの高さだが
世界王座管轄団体の傘下タイトルというわけでもなく、
タイトルをファイトマネーに換金しようと思えば、これほど効率の悪い王座もない。
仕方がない…世界はこのタイトルの素晴らしさを知らないのだから。
より獲りにくい王座を獲った者が素晴らしいのか…。
その拳でよりファイトマネーを稼ぎ出した者が素晴らしいのか…。
まるで「ボクシングはショーかスポーツか」の答えが出ない論争のようだ。
結論はそのボクサーが目指すもの…に委ねられる。
和氣 慎吾(FLARE山上)と久我 勇作(ワタナベ)が戦った日本タイトルマッチは
後楽園ホールが満員になった。
その試合に対し、フリーとしてWBO世界フェザー級王座への挑戦まで叶えた山口 賢一(大阪天神)は
「何らかの世界王座かけたれや。それくらいの上がりあるやろ。」と発言してる。
この意味を理解できた国内ファンが、関係者が、選手が…どれだけいるだろうか。
なんでわざわざ価値のないタイトルを?と思った人たちがほとんどではないだろうか。
マイナーと呼ばれるタイトルでも、海外で戦うボクサーにとっては、大きな大きな価値を持つ。
タイトルにグレードは確かにあるが、チャンピオンはチャンピオン、タイトルはタイトルなのだ。
「マイナー王座に価値がない」
これは世界という大きなくくりの中の、一部地域の価値観だということも踏まえなければ、
勝手な誤解でフリーボクサーを批判の対象としてしまうことを認識しておいた方がいいと感じる。
世界中で価値観は様々…。
アフリカでは金銭的に手の届かない主要4団体の王座よりもIBOを求める風潮も強い。
アフリカから主要4団体を獲りに行く選手は、大国のプロモーターに見初められての選手がほとんどだ。
さらに、「世界王者?なにそれ?」状態の国もある。
プロボクシングの文化が無く、プロになるルートさえない。
しかし…オリンピックではメダリストを輩出しまくっていたりする。
彼らにとっては世界王者の価値などよりも、五輪金メダルの方が遥かに価値がある。
世界は広く、様々な価値観が入り乱れる。
海外選手と共有する国際的なタイトルを日本の価値観で測るのは無理がある。
日本人にとってわけのわからない王座を獲りに行ったところで、
何ら情けない話でもなければ、何かから逃げたわけでもないのだ。
中村の言葉が、態度が気に食わないのならば、それはそれで感覚の問題なので好きにすればいい。
ただ、フリーボクサーは彼だけではない。
今後もチャンスやファイトマネー(すなわち中村にとっての「自分のプロボクサーとしての価値」)を
求めてマイナー王座に挑む選手は出てくるだろう。
その時に、彼らが何かから逃げてそのリングに立つわけではないことが理解されてほしいと感じる。
ここにはファイトマネーを自分の価値の一つと考えるフリーボクサーを対象として、
その価値観を書いたつもりだ。
「価値」という言葉の意味の違いを説明するのに都合がよかったからである。
フリーとして生きること…であったり、人と違うことをしたいという欲求、
更には、ただ面白がって…、本当はJBC管轄でボクシングがしたいが事情があって…
最後にもう1試合やりたいが年齢制限が…。
フリーのボクサーも様々な理由で、またはその理由が複雑に絡んで、そのリングに上がっている。
国々で価値観が様々であるのと同様、価値観は個々でも様々だ。
彼らの道のりは、僕は面白いと思っている。
少しでも興味が沸けば、気に入る選手を選んで見ていくのをお勧めしたい。
知らなかった世界、初めて触れる価値観…刺激だらけだ。
どこまでもどこまでも深く広く、ボクシングの面白みは広がっている。
どんなマニアでも全てを見れる者など存在しない。
自分の知っている世界が全てではない。
それは、僕にとっても…。
まだまだ面白がれる深みが待っていると思っている。
元全日本新人王の森定 哲也(天勝)
ボクシングの名門、興国高出身の橋屋 諒(ウィング)
17歳ながらメキシコを主戦場とする花田 歩夢(フリー)
WBFアジア王者を破った総合格闘家、平澤 宏樹(チーム侍)
フリーの世界に面白い奴らは、いくらでもいる。
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