三保の海 篤 弘將(三津山)⑦ ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2017/08/31
篤 弘將(三津山)のピックアップ7日目。
前回は大激戦となった松本 一也(松田)戦で、負傷判定の結果…松本が勝利者コールを受けたところまで。
その日一番の歓声を受ける両者。
大喜びの観客とジムの仲間…。
しかし、敗者には喜びなど微塵もなく…。
翌日、ジムに行くと嘘ぶいた篤が向かったのは…三保の海。
その翌日も、そのまた翌日も…。
ボクシングを辞めたと言い出せず、その日から繰り返し海を眺めに行く日々。
車の中で引きこもり、ただ泣いていたという。
友達とも遊ばず、ずっと積み上げてきたものが無くなってしまった。
途中で辞めた後悔、逃げ出した情けなさ…。
それでも、松本との試合で「死んでもいい」と思ってしまった篤は…。
未練を引きずりながらもリングに戻ることはなくなる。
「…死んでもいいなんて思って、ボクシングなんかやるもんじゃない」
それから10年。
新しい仕事を見つけ、情熱を注ぐ篤。
仕事が大好き…
でもボクシングは…それと同じか同等以上に好き。
今でも、毎日頭からボクシングのことが離れず…。
立ち直ったのかどうかは、自分でもわからないという。
僕が以前、松本 一也に投げかけた質問。
「もう一度やりたいとは思いませんか?」
「今はもう無理です」
そう言った後、未練がないと言いかけて、
「ボクシングは麻薬って言われるんです」と口走った松本。
彼の悔しさを隠しきれない表情が忘れられない。
きっと篤に同じ質問をすれば…同じ表情をするんじゃないかと想像してしまう。
篤の言葉…
「現役時代は、人生で最も苦しくて、疲れていて、大変で、悩んだけど、1番自分自身が輝いていたと思うし、
あの時の篤 弘將が、僕自身1番好きだったって思います。」
一つの試合を戦った二人の選手は、引退後、同じような思いを抱えていたりする。
この試合から3年後、後楽園で松本 一也を見つけた僕は…
さらに時を経て、地元である名古屋のボクシングに引き戻される。
後楽園以外見に行かないと意固地になった僕の決意を、松本がその拳で討ち砕いたのである。
僕は篤の試合を見たことがない。
しかし…どうやら、この選手がいたからこそ、松本のスタイルは固まり…。
僕を後楽園から名古屋に引き戻し、地方ボクシングの魅力を思い知らせ…。
のちに松本が語っている。
「あの試合、どっちにポイントがついてもおかしくない場面で、
アウェイでも判定で勝つことができた。
だから、後楽園でも諦めずに戦うことができた。」
「のちに世界を獲った木村 悠(帝拳)と戦った試合より
自分の中に残っている相手。」
僕の知らないところで行われた、現地のファンしか知らない試合。
きっとこの試合は、僕の人生に大きく影響があったのだろうと感じる。
うちのかみさんの愚痴…
「あんたはいっつもボクシング!!!」
そうなってしまった責任の一端は、間違いなく篤というボクサーにある。
今回は篤 弘將のお話。
4回戦で勝ち負けを繰り返し、C級ライセンスのままリングに別れを告げた男である。
「C級ライセンス」「4回戦ボクサー」…ボクシングの実力社会の大きなピラミッドの中の最下層である。
戦績の列を見ただけでは、ただの弱いボクサーに見えてしまうかもしれない。
そんな男が、注目の薄い4回戦のリングで、見る者を熱狂させる大熱戦を演じたのである。
ボクシングの奥深さを語るのに、こんな痛快な話はないと感じる。
今はもう見ることのできない試合。
毎週、毎週そんな試合があちこちで開催されている。
現地に足を運べば…いつか松本や篤のようなボクサーに出会えるかもしれない。
僕はそう思って、次のチケットを買う。
ボクシングの魅力は世界タイトルマッチだけじゃない。
【あとがき】
自他共に認める、撃ち合い大好物ボクサーの松本 一也(松田)が激戦だと言った試合…。
本当に興味本位からこの記事を書き始めました。
しかし…この話の取材を松本氏、篤氏にお願いしてから今日を迎えるまで、
1年近くの歳月を要しました。
最初に連絡を取り合ったとき、
篤さんからは「自分はジムをバックレた」「途中で辞めた後悔…」そんなワードが多数。
篤さんという一人の人生からすれば、たった1ページに過ぎないかもしれないボクサーだった期間。
やりとりの中で、僕は次第にその重たさを痛烈に感じていくことになります。
誇張しすぎた部分や、事実から逸脱した部分に何度も修正を入れ…。
何度も繰り返すメールでのやり取りの中で、次第に僕は篤さんの揺れ動く部分を感じ始めます。
ボクシングを諦めた篤さんは、ボクシングに未練を残しながら、向き合うことを避けてきたのではないか。
次第にそんな印象を持つようになっていきました。
自分のかつて歩いたボクサーズロードを他人の僕が文字に起こしていく。
その過程で、目を背けていた部分と強制的に向き合うこととなる。
正直、このままこのやり取りを続けていいのかと悩んだ時期もありました。
そうして続いていくメールでのやり取りの中で、
篤さんのボクシングから逃げ出した後悔が噴出した瞬間があります。
10年間連絡をとっていなかった昔の仲間と連絡を取り合い、現役復帰への憧れも語り…。
現在、菓子職人としての仕事に勤しむ日々。
結局現役復帰への思いは断ち切るものの、もう一度、ボクサーだった自分と向き合うこととなった篤さん。
自分が輝いた瞬間を取り上げて欲しい…自分はそれには見合わない…
揺れ動く篤さんの気持ちの中には、ボクシングに真剣に向き合った自分と、
逃げ出した後ろめたい自分が交錯しているように思えました。
そうして、やり取りが長引く間に、僕の方に第3子が、篤さんに第2子が誕生し、やりとりが途切れ始める。
気がつけば最初のメールから丸1年近く。
ようやく仕上がった文章を読んで、いたずらに篤さんの傷をえぐってしまったのか、
「逃げた」という思いにケジメをつける為に貢献できたのか、そこはまったく解りません。
一つ言えるのは、真剣に取り組んでいないものに対して、人は深く思い悩んだりしない。
真剣だったからこそ、ボクシングを諦めた自分に失望し、悲しみ、後悔し、苦しんだ。
もしかすると、篤弘將のボクサー人生は、リングを降りて10年、延々続いていたのかもしれない。
苦しい練習を乗り越え、強い相手とぶつかりあう…
それをボクシングの魅力を感じるのならば、彼がリングを降りて以降の10年間は
とても魅力的な長い戦いだっただろうと感じます。
自分自身とずっと戦っていたんだから。
そしてこれから、まだまだいろいろなことにぶつかりながら、
菓子職人としての成功を目指していくだろう篤さんを知り、彼の後悔に対して思う。
現役のリングに帰ることも必要ない。
「逃げ出した」なんて後悔する必要もない。
篤弘將は、きっと未だボクサーのままだと、僕は思う。
人と人が戦う訳ではなくても、男が社会で戦う相手はいくらでもある。
戦う気持ちまで捨てる必要なんかない。
篤弘將はボクサーのままでいい。
リングを降りながら、未だボクサーである彼のこれから何十年にも及ぶ戦いを、
ボクシングファンとして心から応援したい。
そんな思いにさせられました。
松本との激戦の後、松本とすれ違ったレフリーが小さな声で囁いた。
「ナイスファイト」
この言葉を篤さんに聞かせたい。
この1年間、本当に勉強になりました。
わずか12分のリングに、ボクサーが何を賭けているのか。
これまでの努力、そしてこれからの人生。
戦績の○●は、大袈裟に思えるボクシング漫画以上に、重たいものでした。
取材協力いただいたお二人、本当にありがとうございました。
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