…交錯まで 篤 弘將(三津山)⑤ ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2017/08/27
篤 弘將(三津山)のピックアップ5日目。
篤が初の敗北を喫したところまで。
それから4ヶ月…。
2005年の中日本新人王が始まる。
この新人王戦には篤の名前は無いものの、松本 一也(松田)がエントリー。
一回戦で武藤 正人(天熊丸木)と対戦する。
デビュー戦をスタミナを武器に生き残っていた松本。
さらにそのスタミナに磨きをかけ、1Rから一気に襲い掛かる。
切れ目のない手数で相手に何もさせず、最初の3分間は200発近いパンチを繰り出しながら
一発のパンチももらわずに終了する。
さらにインターバル中、力を抜くよう指示を受けると…
2R早々に力みの消えた左ストレートを武藤の顎にメリ込ませて試合を終了させる。
圧倒的な内容でプロ2勝目を飾り勢いに乗る。
その一週間後、篤は澤田 知広(中日)との試合に挑んでいた。
階級を一つ下げ、フライ級リミットでの試合。
5か月前に澤田が同ジムの池ヶ谷 尚男(三津山)と拳を交えていたこともあり、情報は豊富。
篤にとっては池ヶ谷の仇討の意味合いも込もった試合。
澤田の強烈なパンチはどれも強く、ジャブをもらうだけで目の前が白くなる…。
絶対にもらえない…でも、スピードでは自分が勝っている。
試合は拮抗したものの、スピード差で勝ったと思った試合。
傍目には澤田の巧さが上回ったように見えたか、勝利はこぼれ落ちる。
三者三様の0-3(37-39、37-39、38-39)。
その夜、猛烈な腹痛と血尿に襲われた篤。
効いた素振りを見せぬよう耐えきったものの…体に刻んだダメージはかなりのもの。
その後、澤田はA級ボクサーへ駆け上がり、
日本ランクを手に入れていた清水 裕司(松田)に勝ってランクを強奪。
その試合を最後にグローブを壁に吊るす…名古屋のファンの記憶に残る強豪へとなっていく。
さて、1回戦を勝ちぬけた松本の中日本新人王戦は…と言うと、棄権。
スパーリングで肋骨を骨折。
この頃の松本は、名古屋の名門、松田ジムのサウスポーとして
中日本の強豪選手が困った時のスパーリング相手としての役割をこなしていた。
時にはOPBF王者を相手に押し込むこともあるなど、
強豪たちに揉まれながら着々と実力を磨く日々。
しかし、そんな日々の中で、格上選手の一撃で、新人王戦をリタイアすることに…。
復帰には半年の時間を要することとなった。
松本の次戦に控えていたのは大橋 卓矢(駿河)。
高校生時代にアマチュアのリングで篤を下し、国体ベスト4まで駆け上がった男である。
それでも、自信はあった…とは松本の弁。
大橋はこの年の中日本新人王を獲得。
全日本新人王の舞台で惜しくも敗れるも、その後、日本ランクも獲得している。
この骨折がなかったら…もしかするともっと大勢の人が松本の魅力に気付いていたかもしれない。
実力差を見せられて敗北…なんて想像もできるが、決して相手に楽はさせない。
そして散りっぷりも勝ちっぷりも見ている者を惹き付ける。
松本 一也はそんなボクサーである。
それはさておき、この半年の間に、松本はボクサースタイルにチャレンジする。
復帰戦では土方 諭(中日)を相手に新しいスタイルで試合を展開…しかし…
実はお調子者の松本…バイト先で3RKO宣言をしており…3Rから一気に撃って出る。
試合は激しい撃ち合いとなり、最終的には宣言より1R遅い4RTKO。
この試合では会長もトレーナーも「撃ち合える松本」を認識することとなり、
これが徹底的に撃ち合う松本を作りだした一つの要因にもなっていく…。
話を篤に戻す。
前戦に敗北し、連敗で戦績をイーブンとしてしまった篤。
次戦では階級を一旦戻し、スーパーフライ級のウェイトで高橋 慎弥(岐阜ヨコゼキ)と対戦。
この試合がデビュー戦となった高橋、
のちに2007年度の中日本スーパーフライ級新人王を獲得する選手である。
この試合では、撃ち合いを強いられながらも、主導権を渡すことなく
3-0(39-37 39-37 39-38)の判定勝利。
高橋はこの後しばらく怒涛の連勝街道を走ることとなる。
そんな選手にほろ苦いデビューを味あわせた試合。
そしていよいよ次戦、2006年の中日本新人王で、
この物語の二人の主役の運命が交錯することとなる。
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