ミドル級日本王座連続防衛回数ランキング(記録関連) ボクシング選手名鑑ピックアップ! 2019/01/23
長らく日本ボクシングの最重量級だったミドル級。
近年はミドル級以上にも階級は創設されたが、いまだにミドル級以上の試合はなかなか開催されず。
現状も国内戦線では最重量との位置づけが根強い階級。
世界に目を移せば、ビッグマネーが飛び交う階級となっており、世界挑戦のチャンスもなかなかない階級。
竹原 慎二(沖)と村田 諒太(帝拳)の二人だけが世界のベルトを巻いている。
とは言え、国内の歴史も古く、戦前の1930年には初代王者が誕生している。
そんなミドル級の日本王座連続防衛ランキング。
ミドル級日本王座連続防衛回数トップ10
第1位 13度防衛 第9代日本ミドル級王者
辰巳 八郎(新和)(3期目)
1950年代中量級を代表する名選手。
日本王座初挑戦はウェルター級。
河田 一郎(オール)から王座を奪うとノンタイトルを挟みながら防衛を重ねる。
ウェルター級3度の防衛を叶えると、日本ミドル級王座を新井 正吉(IBC)から奪って同時に保持。
両王座の防衛戦を並行して行うが、ウェルター級は5度目の防衛戦で椎名 勇夫(高千穂)に敗れて陥落。
椎名とのリマッチで再度日本ウェルター級に返り咲こうとするが、返り討ちの判定負けとなった。
その後、ウェルター級では羽後 武夫(AO)に勝利してやっと返り咲き。
この間もミドル級の防衛戦を挟みながらだったが、
こちらはウェルター級に専念するために5度の防衛を叶えたあと返上。
日本ウェルター級王座を保持しながら、
ソムデス・ヨントラキット(タイ)のOBF東洋ウェルター級王座に挑むも判定で戴冠ならず。
この後、日本ウェルター級王座のベルトを手放し、肩書のない状態でもう一度ソムデスに挑むが
こちらも叶わず…日本二階級同時制覇王者は無冠となる。
しかし、2戦後には横山 守(国民)に挑んで日本ミドル級王座を再獲得。
さらに、次戦でOBF東洋ミドル級王座を獲得し、日本と東洋を同時に守っていく。
この東洋王座に、辰巳のOBF東洋ウェルター級王座獲得を二度に渡って阻んでいたソムデスが挑んでくる。
辰巳はソムデスに三度目の敗北…OBF東洋ミドル級王座を手放すこととなる。
残った日本ミドル級王座を1度防衛した後、OBF東洋ミドル級王座決定戦に出場し、
セーマ・クラスク(比)に勝利。
東洋のベルトを取り返すと、日本と東洋の両王座をかけて大貫 照雄(帝拳)と対戦。
判定で敗れて2つの王座を持ち去られてしまう。
次戦はリマッチ…大貫と再度2つの王座をかけて再戦し、両王座を取り返す。
東洋ミドル級、日本ミドル級、どちらも三度目の獲得となった。
ここから、辰巳の長期防衛ロードが開始。
途中、ダウソン・シンガバロップ(タイ)に東洋のベルトは奪われるものの
約5年に渡って13度の防衛を重ねた。
日本ミドル級王座を11度防衛したあと、4度目の東洋ミドル級王座獲得を目指して海津 文雄(笹崎)と対戦。
9歳年下の若い海津に叶わず、判定で敗れている。
その後は日本ミドル級王座、14度目の防衛戦で前溝 隆男(不二)に敗退。
6年に渡って保持し続けた王座を失い、リングを去った。
2002年、脳梗塞にて逝去している、
第2位 9度防衛 第48代日本ミドル級王者
デビュー直後は2勝2敗の戦績。
迎えた1998年の全日本ミドル級新人王で優勝を飾って一気にランカーに駆け上がる。
新人王明けの試合で3度目の敗北を喫するも、リベンジを叶えてその後は連勝。
のちに世界挑戦も叶える保住 直孝(ヨネクラ)の日本ミドル級王座に挑み、初挑戦で見事戴冠。
そこから3年以上に渡って王座を保持。
重ねた防衛は9度を数えた。
9度の防衛後に王座獲得後初めてのノンタイトルを挟んだ後、10度目の防衛戦で荒木 慶大(泉北)に敗北。
次戦ではOPBF東洋太平洋ミドル級王座に挑むも獲得ならず。
そこから約1年半後、日本ミドル級王座決定戦のチャンスを得て、中村 頴司(大阪帝拳)に勝利。
二度目の日本ミドル級王座獲得となったが、初防衛戦で板垣 俊彦(木更津グリーンベイ)を相手に陥落。
ここでボクシングのキャリアを終えている。
この3カ月後にK-1転向を発表。
日本王座獲得者としてK-1等への転向は複数人いるが、数戦でキャリアを負える選手ばかり。
鈴木の場合はその後、8年に渡ってリングに立ち続け23試合をこなし、
シュートボクシングの日本王座も獲得した様子。
第3位 8度防衛 第28代日本ミドル級王者
元々はアマチュアレスリングの選手だった工藤。
ミュンヘン五輪の代表から外れたことでボクシングへ転向した。
アマチュアボクシングで全日本社会人選手権を制覇するとプロ転向。
全戦全勝で1973年度全日本ミドル級新人王獲得。
次戦では新人王明けでいきなり元OBF東洋ミドル級王者のカシアス 内藤(船橋)と対戦し、判定で勝利。
ちょうどその頃、当時の日本ミドル級王者だった米兵ボクサーの
フラッシャー 石橋(石橋)が帰国することとなり、王座を返上。
一気にランキングを上げた工藤は、伴って開催された日本ミドル級王座決定戦への出場をつかみ取る。
この試合を尾崎 信義(青木)と争い判定で王座を獲得。
以降、5度のノンタイトルを挟みながら、日本王座を8度防衛。
ここで、工藤にとって千載一遇の世界挑戦のチャンスが舞い込む。
階級は1階級下のスーパーウェルター級。
エディ・ガソ(ニカラグア)の4度目の防衛戦として秋田市立体育館で対戦。
2-1と割れた判定を制して、世界スーパーウェルター級では日本人二人目の世界王者となった。
その後、世界のベルトを3度守り、4度目の防衛戦でアユブ・カルレ(ウガンダ)に陥落。
全戦全勝で走り続けた工藤は、この初めての敗北でリングを去った。
引退後は妻の故郷である茨城県で、ボクシングジムを開設している。
第4位 5度防衛 第5代日本ミドル級王者 辰巳 八郎(新和)
第4位 5度防衛 第34代日本ミドル級王者 千里馬 啓徳(神戸)
第4位 5度防衛 第37代日本ミドル級王者 大和田 正春(角海老宝石)
第4位 5度防衛 第40代日本ミドル級王者 西條 岳人(サカエ)
第4位 5度防衛 第52代日本ミドル級王者 江口 啓二(姫路木下)
第9位 4度防衛 第14代日本ミドル級王者 海津 文雄(笹崎)
第9位 4度防衛 第22代日本ミドル級王者 カシアス 内藤(金子)
第9位 4度防衛 第41代日本ミドル級王者 竹原 慎二(沖)
第9位 4度防衛 第54代日本ミドル級王者 淵上 誠(八王子中屋)
連続防衛回数13度の辰巳は3度この王座を獲得しており、
そのうち二度の連続防衛回数がトップテンにランクイン。
通算では20度の防衛を達成しており、こちらもアンタッチャブルレコードになっている。
2010年代に入ってからのトップテン入りは淵上が達成した4度連続防衛のみ。
2011年12月に淵上が王座を返上して以降、8人の日本ミドル級王者が誕生しているが
最高でも2度の防衛にとどまっている。
現在の日本ミドル級王者、竹迫 司登(ワールドS)は
王座獲得直後は日本ランカーとのタイトルマッチが上手く組めずにマッチメイクに苦戦した。
ただでさえ人材の少ないミドル級、王座獲得直後の試合はノンタイトルマッチとなっている。
日本ランキングが10人に満たず、それだけ少なければ当然、
うまく条件が合致する選手も減るだろうと感じる。
現在、他格闘技との並行が認められていないボクシング。
競技参画への敷居を押し上げ、中量級の人材不足の一因になっているようにも見える。
ここが改善されれば、状況も少しは好転するのだろうが…果たしてあり得るのだろうか。
とは言え、中日本からは丸木 和也(天熊丸木)がミドル級転向を表明。
チャンスを求めるならば、ミドル級参戦も選択肢。
今後、竹迫の防衛ロードか、それとも他の選手が戴冠するのか…。
次戦は3月2日、チャンピオンカーニバルとして加藤 収二(中野サイトウ)との
2度目の防衛戦が予定されている。
※記録は2019/01/23時点
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