2024/4/13 -愛知・刈谷あいおいホール- 前置き(中日本ボクシング観戦記) ボクシング選手名鑑ピックアップ!

2024/4/13 -愛知・刈谷あいおいホール- 前置き(中日本ボクシング観戦記) ボクシング選手名鑑ピックアップ!

 

3月~4月に集中した興行。
追われまくっていた。

後楽園ホールでは週に3本も興行があることもある。
中日本では平均すれば月に2回ほどのペース。

興行数が少ない分、手間をかけられる。
配信を行い、観戦記を書き、ラジオでしゃべる。
興行数の大小にかかわらず、ボクシングにのめり込むと時間はいっぱいになる。
3/16に中日本が開幕して以降、6月いっぱい週末の予定は詰まっている。

3/16の LUSH BOMU Vol.2 で色々とやれなかったことが見えた。
今年のボクシングも開幕したばかり、普段と比べれば、選手の情報も少し枯渇気味になる。

開幕から、新人王戦がスタートし、この時点ではデビュー戦の選手も多い。
そこからドラマが紡がれて行って、8月の決勝あたりで頂点へ。
さらに秋の興行では、新人王戦で敗退した選手が、
逆襲を演じたり、来年へ向けた戦いを演じたり。

前の試合が伏線になってくることも多い。
伏線のありなしでは、語り方も変わってくる。
春先の難しさを感じた。

自分の実況・解説を聴きながら分析して行く。
さらに、「言えたはずなのにとっさに出なかったワード」のリストを作る。

実況・解説も表現だと思うようになった。
「まだまだ日本ランカー」と「我らが日本ランカー」。
同じ日本ランカーでも、言い方によって印象は真逆になる。
どういう構図で捉えていくのか、それで面白みは変わる。


珍しい連絡があった。
自分のことを全く知らないボクシングファンだった。
新鮮ではあったが、地雷の踏み方が半端ない。

「塩試合」「引退詐欺」「たかが中日本」
僕がカチンと来るワードの連続だ。


塩試合と捉えるかどうかは受け手の問題だ。
クリンチが多く、パンチの出ない試合であっても見どころはある。

勝つために何か月も苦しんで来た選手が勝ちを目指すのは当然だ。
徹底してそれを目指し、結果スリリングな時間が短い試合を僕はカッコいいと思う。
反面、撃ち合いなどのスリリングな戦いの美学に身を投じる選手にもカッコよさを感じる。

やりたいことができないもどかしさを感じさせる選手もいる。
リングの上でもがく姿も、鮮烈なKOを描く姿も、
リアルタイムショーの中で表現されるもの。

「こうあるべきだ」を捨て去り、
自分の立ち位置を柔軟に変えることで全ての試合に魅力を感じていける。
そこに向けられる「塩試合」という表現を僕は受け入れられない。


選手は実生活を生きながら競技に身を投じる。
ボクシングなんかしていなければ、もっと楽に裕福に生きていける。
そんな生活以上に、ボクシングが好きで、ボクシングを大切にしている。

仕事をしながらボクシングをしている。
そんな選手ばかりだ。
そのうえでプロになれるくらいに競技に没頭している。
その時点で壮絶なことだと思っている。

家族ができ、仕事でも責任が増え、歳を重ねるごとにそうなっていく。
そんな中で迷い迷いの選手ばかり。
支えてもらいながら、自分が好きなことに没頭する。
そこにある感謝と罪悪感は表裏一体だ。

「辞めよう」と思ったり、「やりたい」と思ったり。
そんな選手たちの姿を見て来た人間が「引退詐欺」なんて言葉を使えるだろうか。
見て来ていないから言えること。


トレーナーたちも時間と身を削っている。
興行があれば、各ジムの有志の会員さんたちまで駆り出されてリング設営をしたりもする。
中日本で初めて世界挑戦を叶えた天熊 丸木(常滑)が、軍手をはめてマットを運ぶ。

ジム経営が苦しくなる時期もあるだろうが、それでも耐え抜いて練習の場を維持するジム。
真っ当な利益を得ても、選手のファイトマネーが安いと悪者扱いされることもある。
違う…ボクシング全体が儲かっていないんだ。
そこを、努力し、苦しみながらも、その場所を維持している。

リングサイドには水野さんがいる。
現像にかかる費用がバカにならない頃から、リングサイドで写真を撮っては
手紙を添えて、選手へその写真を送り続けている。

「水野さんがいなかったら、俺の4回戦時代の写真なんか残ってないよ」

薬師寺 保栄(松田)の言葉だ。

「水野先生の手紙には必ず返事を書きなさい」

多くのボクシングジムで、プロ選手が言われること。
感謝すること、そしてその感謝を表現すること。
水野先生の存在は、もはや「選手たちがボクシングから学ぶこと」の一部になっている。

様々な人が様々なものを捧げて創り上げて来た地方ボクシングを「たかが」と言えるのか。


見ている景色が違うと感じた。
知っていれば、言えない言葉だらけだ。

ネットでは誹謗中傷や、正義を気取った批判。
「知らないから言える」ことのオンパレード。
本人はそれを誹謗中傷と思っていないから尚更イタイ。
エンタメと言い放ってしまう。言葉は拳より鋭利な狂気だ。
動物虐殺動画や流出レイプ動画をエンタメと言う人間と同じに思える。

そういった言葉はその人の言葉を軽くもする。

そしてその軽い言葉で「ボクシング界はこうすべきだ!」と論じて、悦に入る。
行動して見ればいい、ぶつかればわかる。

理想はある、だけどその前にそうできない理由が存在している。
そこを解決しない限り先には進まない。

根っこを解決するための小さな努力がどれだけ必要か。
どれだけ時間がかかるか、助けてくれる人たちがどれだけ必要か。
言葉の重みがどれだけ重要か。

「ファイトマネーが安すぎる」
そんなことは70年前から言われている。
この70年、誰一人として解決できる人間が現れなかった問題だ。

努力している人達は山ほどいる。
ボクシングジムを指し、「ボクシング屋さん」と言うことがある。
彼らにとって業界の情勢は死活問題であり、職業である以上、生活がかかっている。

ボクシングが無くなっても生活に困らない自分たちとは土俵が違う。
関係者たちは自分達よりはるか上の土俵で努力している。

その外側にいる人達も、自分にできる範囲でアプローチを繰り返している。

ボクシングチケットドットコムがどれだけ様々なことに貢献しているだろうか。

僕の身近なところでも、完全自腹で日本中を飛び回り
アマチュアボクシングを配信して来たsakanaさんがいる。
僕自身もブロガーとして、中日本のボクシングを何年も書き続け発信し続けた。
その土台の上で、色々な人たちが助けてくれて、生配信もできている。

人の背景を見た方がいい。
なぜそうなっているのか、なぜできないのか、なぜできるのか。
考慮が足りない、行動もしない、だから言いっ放しになる。


「あなたが何を成したというのですか?」


怒りに任せて、僕はそう返答した。
その人は僕に幻滅して、僕の愛するものを攻撃するかもしれない。

だけど、結局その人を近くに置いてしまったら、
その配慮の無い言葉で、たくさんの人を不快にする。

もしかしたらその人が買ってくれていたはずのチケットが1枚減るかもしれない。
だけど、その人がいることで、他のチケットが2枚減るかもしれない。

飲食店で「まずいまずい」と言いながら飯を食う人がいたら、隣で食べる飯はまずくなる。


ハッキリと言った。
普段怒りは出さない人間だし、人様に説教なんてほとんどしないが、ハッキリと言った。

不思議と関係は続いている。
受け入れてくれたとは思えない、ふわっと誤魔化して話題を変えられた。
ただ、恐らく僕の前でもうそういった言葉は出てこない…。

まぁ、他の地雷を踏んで来るようにも思えるが。


バカ忙しい中、そんなやりとりもありつつ、配信の準備に入る。
恐らく見てくれないだろうなと…見る人なら、そういう言葉は出ないだろうなと思いながら。
まぁ、見ないからと言ってボクシング愛がないとは思わない。

それこそ動画配信時代、全てを見るなんてできやしない。

自分の見たいものだけ選んで見れる時代だ。
下世話なボクシングスキャンダルだけ見て遊んでいる人もいる。
そんな人に、僕の言葉は刺さらない。


選手がアンチの相手なんかしていられない…そしてそれが無意味なのと同じこと。

 

さて、ここでいつもの前置き。

自分はファンではあるが、熱狂的なマニア程の肥えた目を持ってはいない。
自分より凄いと思えるファンはそこらじゅうに転がっている。
ここに書く内容に誤りが多分に含まれることもある。

先に言い訳をしておきたいわけではなく、そういうものだと言っておきたい。
同じ試合を見ていても、違う感想を持つファンもいるわけで…。
ここに書いたことが正解ではないと…。
それだけは認識したうえで、読み進めていただきたい

 

切り替える。
僕は僕が一番楽しむ。
誰よりも、目の前の試合を楽しむ。
感受性をMAXまで解放して、目や耳に飛び込んで来る全てのものを楽しむ。

選手は命を懸けて戦う。
そうして提供されるものを自分が受け取れる限り受け取る。
そんな思いで、サブ配信のカメラの前に立った。

 

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