2019/06/30 -パールガーデン TopStar興行Ⅴ- (中日本ボクシング観戦記番外編) ボクシング選手名鑑ピックアップ!

2019/06/30 -パールガーデン TopStar興行Ⅴ- (中日本ボクシング観戦記番外編) ボクシング選手名鑑ピックアップ!
 
 

長い興行が終わり、森定 哲也(天勝)におめでとうを伝える。
終電の時間がすぐそこ…近鉄のアーバンライナーで帰るには難波発の21:00に乗り込まないといけない。
挨拶もそこそこに、急いで会場を飛び出す。
 

会場では中日本のボクシングファンや、Twitterでたまにやり取りのあるK-1ファンの方と遭遇。
色々お話もさせてもらった。
 

大阪難波駅への道のりを歩きながら、親父ファイトの光景が頭を巡る。
リングに上がるその人の人柄や背景を知るほどに、胸中は揺さぶられる。
無事にリングを降りてほしい、負けないで欲しい。

そしてその人の勝利に、飛び上がるほどの感情が爆発する。
身内だから面白いのかもしれない。
外から見たら、身内だけが面白いのかもしれない。

でも、身内の気持ちに近づくことは可能だ。
この日、森定が勝った…。

森定がボクシングが好きで好きで、教えてくれる人がいない中を必死で学び練習し、
全日本新人王という結果を残し…でもプロのリングを奪われて…。
そんな背景を知っているからこそ、森定がリングで流した涙の意味が解る。
一緒に泣いてしまう。

それを間近に見ていた人間は尚のことだろう。
自分はただ知っているだけ…それだけでも、大人が涙を流すほどに感動するのだ。
 

その選手を知ることは身内に近づくこと。
身内しか楽しめないなら、身内になってしまえばいい。
選手の背景を、実像を、外側に向かって発信することが必要だと思う。
 

TopStarの興行では、試合と試合の間がかなり長かった。
その間の時間は、その試合を振り返り、一つ一つの余韻を楽しむ時間にもなった。
オープニングではデビュー戦の選手からスモークの中から登場した。

選手一人一人の魅力が大事にされているようにも感じる。
 
 

超満員となったキャパシティに関しては、場所を変えてもいいだろうし、
試合数を減らして数を打つこともできると感じる。
もちろんこのままで、「TopStarとはこういうもの」としていってもいいだろう。

メインイベンターを務められる選手は何人もいる。
脇を固められるだろう強烈なキャラクターも何人もいる。

アジア人を噛ませとして扱わない恵良 敏彦(TOP STAR)の世界観があれば、幅も広がるだろう。
 

WBKアジアフライ級王者 恵良 敏彦(TOP STAR)
WBKバンタム級王者 山口 楽人(TOP STAR)
WBKアジアスーパーバンタム級王者 中村 優也(TOP STAR)
WBKアジアウェルター級王者 森定 哲也(天勝)

新設王座に4人の王者が就いた。
彼らの今後の動向が、そのままこの王座の行く末を決める…この物語も楽しませてくれそうだ。
 

興行に対する改善してほしい点はいくつかある。
誰がスタッフなのか見わけがつかず、何か聞きたいとき、
顔のわかる中村に声をかけなければならない状況だったこと。
中村は積極的に対応し、精力的に動いていたが、当日試合を控える選手が忙しそうにしている状態で
声をかけるのはさすがにこちらも気を遣う。
 

もう一つはレフリング。
ストップのタイミングは、JBCと遜色ないように感じたが…それではマズいと感じた。
JBC水準では何度も、開頭手術に至る例が発生している。

新興団体は、事故があれば終わってしまう可能性が高い。
もし、同じことがこのリングで起こればどうなるだろうか…。
JBC側は自分たちを棚にあげて、安全性の欠如を訴え掛けるだろう。
それはこのシリーズ冒頭に記載した声明を見ても明らかだ。

死んでもなんとかなって来たJBCとは土台が違う。
そして、JBCだって起こっているじゃないかで済まないなのが、事故なのだ。
JBCよりも高い緊張感が、この先のリングを守る上で必ず必要なことだと感じる。

JBCを基準に見れば満たされているとは思う、しかし、それ以上である必要がある。
 
 

改善点があれば、それを改善すればいい。
計画→実行→評価→改善のPDCAサイクルをしっかり回すことができれば、よりよいものが創られていく。
それは、すべての仕事の基本だ。
 

草創期のボクシングは初の興行で大失敗。
それに比べれば、超満員となったこの興行は上出来。

ただし、初の興行で大失敗をこいたボクシング(純拳闘試合)は時勢の力も借りて
その2年後には2万人の観衆を集めている。
 
 

未来は誰にも解らない。
思えば初めて中村に出会ったのもパールガーデンだった。
あれから2年、現在の状況は全く予想できなかった。

彼らTopStarの方向がこれからどうなって行くのか。
選手一人ひとりの物語、WBK王座の物語、そしてTopStarの物語。

紡がれていくであろう魅力的な物語が幾重にも交差する。
期待感と不安感、入り混じる中、既存のボクシングとは
全く違う世界観がそこにあることだけは間違いない。
 

全国数万人くらいのボクシングファンに訴求する努力が行われる中、
その外側への3億人への訴求が足りないのもボクシング。

Abemaに対する反応を見てもその数万人向けの世界観を必死で守ろうとしている人達が
外側3億へのアピールを必死になって貶している。
 

願わくば、フリーの道のりが、
外部世界と孤立してしまったボクシング村にかかる橋になって欲しいと感じている。
世界観を塗り替えれるのは、別の世界を知るものだ。
 

かつて日本で初めて純拳闘試合を執り行った男は、
海外でボクシングを覚え、カリフォルニア州王座を手にして帰国した。
そして、柔道家とボクサーが戦うことが主流だった世界に、純拳闘という異世界を持ち込んだ。

当時、王道が柔道vsボクシングであり、色物が少数派の純拳闘試合だったことは、
初回興行の失敗や、ジム設立の際に入門者がほとんど訪れなかったことからも読み取れる。

当時、異端者だったはずの渡辺 勇次郎(日倶)。
現在は日本ボクシングの父と呼ばれる。
 
 

人は新しいものに対してまずは拒否反応を示す。
だからこそ、現在の拒否反応がある。

フリーの世界が得体の知れないものから得体の知れるものになる数年後、
世間の評はきっと変わっているはずだ。
だから、彼らは迷わず進めばいい。
 

荻野 貞行(日倶)
渡辺 勇次郎(日倶)
スパイダー・ローチ(豪)
ヤング・ケッチェル(米)
郡山 幸吉(日具)
横山 金三郎(日倶)
滝沢 吉助(日倶)
田中 禎之助(日倶)
 

日本で最初の純拳闘試合を戦った面々の名は、約1世紀を迎えようとする今日にも残っている。
今日この日、TopStar初の興行のリングに立った選手の名が、100年後、残るよう願っている。
 
 

フリーの可能性…それは、フリーズしたボクシングを現代に引き戻す…
まさに世界観を変える可能性を持つ男たちが集う。
そんな風に感じた。
 

いつもよりどっと疲れて辿り着いた名古屋駅。
ここから家までの道のりがさらに重たく感じる。
いい試合をたくさん見た…今飲んだら旨いだろうな…。

閉まってしまった馴染みの居酒屋を尻目に家路を急ぐ。
 

競い合えボクシング。
より良いものを産み出すには、それが必要だ。
嵐がひと段落した空は雲が切れ、わずかに星が見えた。
 
 

 

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