開 行憲(Yukinori Hiraki)(勝又)
本名:開 行憲
生年月日:1947年9月26日
国籍:日本
戦績:35戦14勝(2KO)16敗5分
【獲得タイトル】
1967年度東日本スーパーライト級新人王
【戦歴】
1966/11/24 ○2RKO 広岡 力(三鷹)
1966/12/22 △4R判定 (採点不明) 渡辺 信久(東邦)
1967/04/23 ●4R判定 (採点不明) 渡部 亀男(中村)
1967/06/18 ○4R判定 (採点不明) 佐貫 勉(三鷹)
1967/07/06 ○4R判定 (採点不明) 藤田 昭夫(笹崎)
1967/07/27 △4R判定 (採点不明) 金井 明夫(三迫)
1967/08/24 ○4R判定 (採点不明) 畑中 光喜(横浜協栄)
1967/10/20 ○4R判定 (採点不明) 宮田 勲(リキ)
1967/11/25 ○4R判定 (採点不明) 松崎 猛(ヨネクラ)
■1967年度東日本スーパーライト級新人王決勝
1967/12/18 ○6R判定 (採点不明) 金田 郷(NPヨネクラ)
※東日本新人王獲得
■1967年度全日本スーパーライト級新人王決定戦
1968/01/15 ●6R判定 0-3(26-29、27-28、27-29) 玉井 譲(中外)
※全日本新人王敗退
1968/02/24 ○6R判定 (採点不明) 大迫 健(塚原)
1968/03/11 ●6R判定 (採点不明) 加藤 竹巳(帝拳)
1968/04/18 ○3RKO ゴールデン 明(三迫)
1968/05/22 △2R負傷引分 首藤 等(笹崎)
1968/06/27 ○8R判定 (採点不明) 三津山 立直(串田)
1968/09/18 ●10R判定 (採点不明) 高木 貞雄(串田)
1968/11/11 ○10R判定 (採点不明) 加藤 竹巳(帝拳)
1969/01/16 ○8R判定 (採点不明) 高木 貞雄(串田)
1969/02/19 ●10R判定 (採点不明) 浦和 洋一(東海)
1969/05/03 ●10R判定 (採点不明) イム・ビョンモ(韓)
■日本スーパーライト級タイトルマッチ
1969/08/27 △10R判定 0-0(47-47、47-47、47-47) ライオン 古山(笹崎)
※日本スーパーライト級王座挑戦
1969/09/29 ●10R判定 0-3(46-47、47-48、46-49) ジャガー 柿沢(中村)
1970/01/11 ●10R判定 (採点不明) 窪倉 和嘉(横浜協栄)
1970/02/28 ●10R判定 (採点不明) レネ・バリエントス(比)
■OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)スーパーライト級タイトルマッチ
1970/04/14 ●12R判定 (採点不明) シン・チュンギョン(韓)
※OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)スーパーライト級王座挑戦
1970/06/27 ●2RKO 辻本 英守(大星)
1970/10/08 ○10R判定 (採点不明) シン・チュンギョン(韓)
■日本スーパーライト級王座決定戦
1971/01/15 ●10R判定 0-2(46-49、48-48、45-49) イーグル 佐藤(野口)
※日本スーパーライト級王座挑戦
1971/03/27 △3R負傷引分 三津山 立直(串田)
■日本スーパーライト級タイトルマッチ
1971/05/06 ●10RKO イーグル 佐藤(野口)
※日本スーパーライト級王座挑戦
1971/09/07 ●2RKO ハーバート 康(韓)
1971/10/27 ●5RTKO 東海林 博(ヨネクラ)
1972/02/06 ●6R棄権 金田 郷(帝拳)
1972/03/28 ○6R判定 (採点不明) 菅谷 義広(横浜協栄)
【補足情報】
・本名でデビューし、ライオン 古山戦よりリングネームを阿蘇 行憲とし、
シン・チュンギョン2戦目より本名へ戻している。
・不二勝又所属としてデビュー後、三津山 立直1戦目よりジム名称が勝又ジムに変更。
・OBF東洋(OPBF東洋太平洋前身)ライト級王座在位中のジャガー 柿沢と対戦し
判定で敗れている。
・WBC世界スーパーフェザー級王座在位中のレネ・バリエントスと対戦し、判定で敗れている。
・引退後にはロッキージム会長となっている。
※当ブログでは情報を求めています。
誤った情報、追記すべき内容等ありましたら精査の上反映させていただきますので
コメントいただけますと幸いです。
コメント
補足情報に出身地の記載は無いですが、一時期 阿蘇行憲のRNでも活躍したように、熊本県菊池市出身ですね。
あと、こちら。
1967/07/26 △4R判定 (採点不明) 金井 明夫(三迫)
この金井明夫は、ランドボクシングジム会長ですね(千葉・西船橋)。全日本新人王平野安夫らを輩出。
現役時代は、輪島功一の1年ほど前に同じ三迫ジムからデビューしたほぼ同期の間柄で、ランドジムは三迫一門会のジムの一つでもありますね。
現役時代のその戦績はBOXRECも同様に、この開行憲との1戦のみです。
https://boxrec.com/en/proboxer/241346
のちに日本王座挑戦試合でライオン古山と優勢気味に引き分けた実績を持つ開 会長と引分実績ある金井会長の全戦績、可能ならばよろしくおねがいします。
※尚、3年ほど前の2018年頃から入院生活との状況であるとのことで、玉城(たましろ)トレーナーが以後3年、ランドジム会長代行としてジムを切り盛りしていると聞いています。お元気であって戴ければと祈念しております。
ファンです様
捕獲可能な金井明夫選手の戦績です。
1966/07/11 2R1分45秒KO〇 小川一美(新興) 宮城県営SC
1966/10/23 不戦〇 渡辺信太郎(ヨネクラ) 後楽園H 東日本新人王予選
1966/12/02 1R2分40秒KO〇 平野雅寛(協栄) 後楽園H 東日本新人王準決勝
1966/12/26 3R1分57秒KO● 権田正巳(池山) 後楽園H 東日本新人王決勝
1967/02/16 4R判定〇 岩瀬卓史(リキ) 後楽園H
1967/06/01 4R引分け 岩瀬卓史(リキ) 新潟県立体育館
1967/07/27 4R引分け 開行憲(不二勝又) 後楽園H
1967/10/14 3R2分59秒KO〇 狩野忠義(京浜川崎) 川崎市民会館
1967/11/01 6R判定● 権田正巳(池山) 栃木県体育館
1967/11/30 1R1分54秒KO〇 滝川日出夫(ミカド) 後楽園H
1967/12/27 6R判定〇 権田正巳(池山) 後楽園H
1967/10/14の狩野忠義戦は「京浜川崎ジム創立二周年記念試合」。
1966、1967年は「ボクシング年鑑」の発行がなく、専門誌記載のデータのみによるものなのでいくつかの試合が欠落している可能性は否定できませんが…。
もなかひめ さん
ファンです さん
金井明夫の戦歴の追加です。1968年1月に「ゴールデン 明」と改名して2戦
1968/02/08 〇6R 判定 岩瀬 卓史(リキ)
1968/04/18 ●3R KO 開 行憲(不二勝又)
【補足情報】
1946年6月9日 生まれ 韓国忠清南道 出身
デビューが 1966年5月19日 と年鑑にありますが、その日の浅草公会堂の試合の中に
金井明夫の名はなく、三迫所属として、大和寿文、甲斐金一という二人のフェザー選手が出ています。このどちらかの可能性も否定できませんが…。
12戦7勝(4KO)3敗2分 という戦績も上のデビュー戦を含めない方が合致しますね。
chamuyo様
ありがとうございます。
なるほど、改名がありましたか。すっかり見落としておりました。感謝です。
大和寿文、甲斐金一の両選手が浅草公会堂に出場したのは、1966年5月19日ではなく、1961年5月19日ですね。
1966年5月19日の後楽園ホールでの試合には三迫ジムの選手は出場していないようです。この日をデビューとする「1968年度版日本ボクシング年鑑」は何と勘違いしたんだろ?
chamuyoさん
ファンですさん
もなかひめさん
ありがとうございます。
いただいた情報を元に金井明夫のページを作成しました。
https://boxinglib.com/boxingmeikan/archive/39935/0