ジョー・イーグル(Joe Eagle)(比)
本名:不明
生年月日:不明
国籍:比
戦績:70戦28勝(11KO)34敗7分1無効試合
【獲得タイトル】
なし
【戦歴】
1931/05/02 ●8R判定 (採点不明) ジョー・グランデ(比)
1932/02/27 ○8R判定 (採点不明) ジョー・グランデ(比)
1932/04/05 ○10R判定 (採点不明) ジョー・グランデ(比)
1932/09/03 ○10R判定 (採点不明) ジョー・グランデ(比)
1933/04/22 ○12R判定 (採点不明) ベンチュラ・マルケス(メキシコ)
1933/05/06 ●12R判定 (採点不明) ベンチュラ・マルケス(メキシコ)
1933/09/23 ○10R判定 (採点不明) ジョーグランデ(比)
1933/10/07 ●8R判定 (採点不明) ブエナ・デ・グスマン(比)
1933/10/21 ○12R判定 (採点不明) ベンチュラ・マルケス(メキシコ)
1934/12/01 ○10R判定 (採点不明) ジョー・グランデ(比)
■東洋フェザー級王座決定戦
1935/03/09 ●12R判定 (採点不明) ブエナ・デ・グスマン(比)
※東洋フェザー級王座挑戦
1935/07/06 ●12R判定 (採点不明) リトル・パンチョ(比)
1935/08/17 △12R判定 (採点不明) スター・フリスコ(比)
1936/01/05 ●12R判定 (採点不明) ヴェンチュラ・マルケス(比)
1936/02/06 ○12RTKO フランキー・ウェーバー(マレーシア)
1936/02/22 ●10R判定 (採点不明) ベンチュラ・マルケス(メキシコ)
1936/03/05 ●12R判定 (採点不明) ベンチュラ・マルケス(メキシコ)
1936/04/03 △12R判定 (採点不明) ベンチュラ・マルケス(メキシコ)
1936/06/12 ○10R判定 (採点不明) ヤング・タリー(比)
1936/09/18 ●12R判定 (採点不明) ヤング・タイガー・フラワーズ(米)
1936/09/24 ●12R判定 (採点不明) クレバー・ヘンリー(比)
1936/10/24 ○9R棄権 松岡 福雄(瑞穂)
1936/11/02 ○4R棄権 高津 五郎(オリンピック)
1936/11/15 ○12R判定 (採点不明) 小池 実勝(大日拳)
1936/11/30 △10R判定 (採点不明) 玄 海男(帝拳)
1937/01/05 ○8R判定 (採点不明) 真田 金太郎(港)
1937/01/12 ○8RTKO 高津 五郎(オリンピック)
1937/01/27 ○12R判定 (採点不明) 堀口 恒男(不二)
1937/04/09 ●10R判定 (採点不明) 椎名 勇夫(東海)
1937/05/26 ●12R判定 (採点不明) 堀口 恒男(不二)
1937/06/26 △10R判定 (採点不明) 玄 海男(帝拳)
1937/07/15 ○6RKO 神山 正国(国際)
1937/07/24 ○2RKO 椎名 勇夫(東海)
1937/08/08 ●10R判定 (採点不明) 玄 海男(帝拳)
1938/03/18 ●10R判定 (採点不明) バトリング・シマ(シンガポール)
1938/05/06 ○8RTKO ヤング・タリー(比)
1938/05/27 △10R判定 (採点不明) ベンチュラ・マルケス(メキシコ)
1938/07/01 ○10R判定 3-0(採点不明) マ・ナイブン(タイ)
1938/07/31 △12R判定 (採点不明) ベンチュラ・マルケス(メキシコ)
1938/08/05 ○5R反則 ベイビー・グスマン(比)
1938/08/19 ○4RTKO ヤン・ファン・デル・ゴーズ(インドネシア)
1938/09/02 ○TKO(ラウンド不明) ジミー・キックス(インドネシア)
1938/10/14 ×4R無効試合 ファイティング・ミック(インドネシア)
1938/11/06 ●7R反則 ファイティング・ミック(インドネシア)
1938/12/16 ○10R判定 (採点不明) トミー・アルケロ(シンガポール)
1939/03/17 ●TKO(ラウンド不明) ベンチュラ・マルケス(メキシコ)
1939/02/25 ○10R判定 2-1(採点不明) ニール・ヘミット(マレーシア)
1940/02/19 ●3RKO 堀口 恒男(フリー)
1940/04/17 △10R判定 (採点不明) 青木 敏郎(不二)
1940/05/18 ●10R判定 (採点不明) 相澤 太郎(関西)
1940/06/14 ○10R判定 (採点不明) 青木 敏郎(不二)
1940/07/07 ○10R判定 (採点不明) 相澤 太郎(関西)
1940/11/25 ●10R判定 (採点不明) 笹崎 僙(日倶)
1941/01/31 ●8R判定 (採点不明) 沈 相旭(拳道会)
1941/03/16 ●10R判定 (採点不明) 椎名 勇夫(高千穂)
1941/06/05 ○6R棄権 左右田 基光(港)
1941/06/15 ●10R判定 (採点不明) 左右田 基光(港)
1941/09/13 ●8R判定 (採点不明) 相澤 太郎(大統)
1941/09/21 ●10R判定 (採点不明) 高津 五郎(泰天)
1941/11/07 ●10R判定 (採点不明) 堀口 恒男(ピストン堀口)
1942/03/20 ●10R判定 (採点不明) 笹崎 僙(日倶)
1942/04/29 ●8R判定 (採点不明) 二葉 朝二(拳道会)
1942/05/03 ●8R判定 (採点不明) 堀口 恒男(ピストン堀口)
1942/07/26 ●6R棄権 相澤 太郎(大統)
1942/10/03 ●8R判定 (採点不明) 左右田 基光(国民)
1942/12/31 ●5R棄権 海童 猛(東拳)
1943/01/04 ●5R棄権 藤原 秀雄(協和)
1943/01/31 ●10R判定 (採点不明) 二葉 朝二(拳道会)
1946/09/11 ○7RKO 熱海 謙三(熱海)
1946/11/16 ●4RTKO 笹崎 僙(日倶)
【補足情報】
・戦績は判明済みのもののみ記載。
・ハワイで活躍したとされているがBoxRecにハワイで試合を行った記録は見つからない。
・当時日本ボクシングのトップ選手だった堀口 恒男に勝った試合では、判定に納得できない
山口組組長の田岡一雄がレフリーに詰め寄って拘束されるなど、大きな衝撃を残した。
・1935年に開催された東洋選手権では堀口 恒男vsジョー・イーグルが望まれたが、
堀口の怪我とイーグルが来日しなかったことで、フェザー級自体が開催されなかった。
・戦時中も帰国せずに日本に残り、戦後初のボクシング興行を手掛けるなどした。引退後、
日本と比国をつなぐマッチメイカーとして、戦争によって関係が悪化した両国選手の試合を
組むなどしている。
※当ブログでは情報を求めています。
誤った情報追記すべき内容等ありましたら精査の上反映させていただきますので
コメントいただけますと幸いです。
コメント
東洋フェザー級チャンピオンになったという情報もあります
虎正規様
現時点ではちょっと調べきれないかなと思っています。
手が回って確認ができるようなら反映したいと思います。
お知らせいただきありがとうございます。