2023/09/10 -静岡・ふじさんめっせ- 前置き(中日本ボクシング観戦記) ボクシング選手名鑑ピックアップ!
仕事が終わると即座に車に飛び込んだ26歳。
金山総合駅南口に行けば誰かに会える。
これ以上、時間を無駄にしたくない。
音楽を辞める時、理由は一つではなかった。
でもその中の一番大きな理由は誰にも言わなかった。
介護だった。
自由気ままに、自分勝手に生きている。
当時周りに抱かれていた、そんなイメージを崩したくなかった。
いつもお金がなくて、移動は原付かヒッチハイク。
コンクリートの上で平気で寝てしまう。
子汚いぼろ犬のような恰好でうろつきながら、ギターを弾いている人を見れば
「セッションしましょっか」ですぐに仲良くなってしまう。
ライブをやらせれば、それなりのステージはこなす。
チケットはしっかりと売れる。
客寄せとして、大きなバンドの前座をやることも多かった。
自分たちは間違いなくあの頃のbreathで若手バンドたちのエースだった。
学校や会社に拘束されず、
ヒッチハイクで行きたい所に自由に行き、やりたいことだけやって生きている。
そして、決める所はバシッと決める。
モスキートファイターズのせきちゃんは人気者だった。
自分自身、そんなせきちゃんが好きだった。
お金がない苦しさにボロボロ泣いたこともあったし、
ステージや楽曲を作る作業は地味な準備を積み重ねてこそだった。
苦しくて苦しくてたまらなかったけど、それと同じくらいに楽しかった。
みんなが大好きなせきちゃんのまま、去りたかった。
一人だけ、打ち明けた人がいた。
夜も!!最高気温!!のパーソナリティを務めるぱんくまぁさんだった。
当時、まぁさんのバンド、Brashはメジャーバンドと合同でツアーを敢行し、
主催イベントは僕らの1.5倍くらいの規模。
僕らが若手のエースなら、彼らはシーンのエースだった。
この人に負けたくない…若さゆえ剥き出しだった思いを、口にしたことはなかった。
「お前らくらいだったよな、ぶっ倒すくらいでかかって来たの」
後年笑い話でそう言っていたぱんくまぁさん、全部バレていた。
バンドの解散を宣言し、音楽がらみの仲間の誰とも連絡を絶って半年くらいたったとき、
突然、名古屋にぱんくまぁさんが現れて、居酒屋で二人で飲んだ。
まぁさんは僕を連れ戻しに来ていた。
「○○さんがさぁ、他に似てるミュージシャンがいないから、
せきちゃんは絶対売れるって言ってたよ。」
僕らからすれば、超ビッグアーティストの言葉だった。
一瞬だけ、ぐらっと来た。
自分が面白いと思うものを突き詰めたかった。
誰かがいいと思うものじゃなく、自分がいいと思うものがやりたかった。
伝わってるという実感が、自分を奮い立たせた。
でも、すぐに冷めた…もう無理だ。
事情を洗いざらい説明した。
まぁさんは、あきらめて岐阜に帰って行った。
深々と頭を下げて見送ったあの日、僕の音楽は完全に終わった。
そこから3年間、介護漬けの日々。
自分の時間はどこにもなかった。
誰にも見つかりたくない…そんな思いの日々だった。
そんな世界から連れ出してくれたのは、自分と同じようなぶっ飛んだ仲間たちだった。
とにかく馬鹿な遊びばかりしていた。
いつも腹をかかえて笑い転げていた。
仕事を終えるとすぐに金山へ向かい、朝まで遊んでそのまま仕事に向かう。
合間合間、1時間程度の睡眠を2,3回とればなんとかなる。
ヘトヘトに疲弊していたはずが、眠らずに遊んだほうが不思議と体が軽くなった。
20代の楽める時間を捨ててしまった…少しでも時間を無駄にしたくない。
少しでも沢山笑いたい。
ただひたすらに「自分の面白い」に向かって走った日々だった。
今、また彼らが集まって来て、僕を外へ外へ連れ出そうとしてくれる。
ボクシングの生配信をきっかけに音楽番組にアシスタント出演するようになり、
また少しだけ、音楽に触れるようになった。
番組の絡みでライブイベントの司会までやらせてもらった。
色々なものが戻ってくる。
時を経て、あの楽しかった時間が少しずつ少しずつ。
仕事も、ボクシング絡みのことも忙しい。
でも、眠らなければいい。
楽しいことは睡眠以上に自分を回復してくれる。
介護漬けの期間も、ボクシングだけはずっと見ていた。
音楽も昔の仲間たちも、ボクシングが連れ戻して来てくれた。
SNSやインターネットで自分の名前が出ることが、きっかけを与えてくれた。
いい時代も悪い時代も、ずっとボクシングと一緒にあった。
そして本当のピンチに陥ったときには、ボクシングが色々なものを与えてくれる。
いろんなファンや、元選手、関係者の話を聞いていると
よく似た話が浮かび上がったりする。
僕だけじゃない、ボクシングに救われる人たちが多くいる。
ただの偶然かもしれないし、なぜか?も都市伝説級に解明不能だが、
ボクシングはそういうものらしい。
ボクサー達が、体と脳を傷めつけながら、
ボクサー自身を含めた様々な人たちの人生を救っていく。
さて、ここでいつもの前置き。
自分はファンではあるが、熱狂的なマニア程の肥えた目を持ってはいない。
自分より凄いと思えるファンはそこらじゅうに転がっている。
同じ試合を見ていても、違う感想を持つファンもいるわけで…。
ここに書いたことが正解ではないと…。
それだけは認識した上で、読み進めていただきたい。
この日は静岡での駿河男児の興行。
大なり小なりの間違いを犯しながらも、ボクシングに居場所を与えられた選手が何人もいる。
元不良から、多くの地元民に応援されるボクシングジムを作った前島会長自身がその代表格。
その居場所を全力で楽しむ彼らの姿は、ボクシングの存在価値を改めて思い知らされる。
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