横田 広明(Hiroaki Yokota)

横田 広明(Hiroaki Yokota)(横田S)
 
 

本名:不明
生年月日:1961年10月19日
国籍:日本
戦績:37戦30勝(16KO)5敗2分
 
 

【獲得タイトル】
1988年度B級トーナメントスーパーバンタム級優勝
第19代日本スーパーバンタム級王座
 
 

【戦歴】
1979/03/09 ○2RKO 笹 天明(東拳銚子)
1979/05/21 ○4R判定 (採点不明) 寺門 徳(帝拳)
1979/08/27 ○4R判定 (採点不明) 高橋 哲(角海老)
1979/09/21 ●4R判定 (採点不明) 打越 芳幸(斎田)
1987/06/06 ●4R判定 (採点不明) 打越 英樹(帝拳)
1987/08/17 ○4R判定 (採点不明) 前原 冬樹(斎田)
1987/09/24 ○4R判定 (採点不明) 土谷 直樹(角海老宝石)
1987/11/12 ○4R判定 (採点不明) 石川 正人(トーア・ファイティング)

■東日本スーパーバンタム級新人王決勝
1987/12/23 △6R判定 (採点不明) 打越 英樹(帝拳)
※東日本新人王敗退(規定により打越の勝者扱い)

1988/03/22 ●8R判定 0-2(75-79、77-78、78-78) 尾崎 恵一(オサム)
1988/06/07 ○5R負傷判定 2-0(49-49、50-47、49-46) 池田 紘一(ヨネクラ)

■1988年度B級トーナメントスーパーバンタム級決勝
1988/10/12 ○5RTKO 土谷 直樹(角海老宝石)
※B級トーナメント優勝

1988/12/19 ○6RKO 渋谷 和重(金子)
1989/02/13 ○10R判定 3-0(100-96、99-97、100-96) 岡部 繁(セキ)
1989/05/08 ○7RTKO ライオン 前田(ビクトリー)
1989/06/19 ○10R判定 3-0(100-92、100-95、100-93) ヤン・ミョンホ(韓)
1989/09/11 ○4RTKO 荻原 昇(金子)

■1989年度KSD杯争奪A級ボクサー賞金トーナメントバンタム級決勝
1989/11/13 ●8R判定 0-3(78-79、78-79、78-79) 岡部 繁(セキ)
※A級トーナメント敗退

1990/06/18 ○5RTKO チェ・ヨングク(韓)

■日本スーパーバンタム級タイトルマッチ
1990/10/08 ○8RKO 西條 学(東拳)
※日本スーパーバンタム級王座獲得

■日本スーパーバンタム級タイトルマッチ
1991/03/18 ○7RKO 西條 学(東拳)
※日本スーパーバンタム級王座防衛①

■日本スーパーバンタム級タイトルマッチ
1991/07/15 ○10RTKO 佐伯 一馬(全日本パブリック)
※日本スーパーバンタム級王座防衛②

■日本スーパーバンタム級タイトルマッチ
1991/11/18 ○10R判定 3-0(99-94、100-95、99-96) ノーリー・ジョッキージム(タイ)
※日本スーパーバンタム級王座防衛③

1992/02/10 ○7RTKO 小泉 秀司(角海老宝石)
1992/05/11 ○4RKO リトル・バンゴヤン(比)
1992/11/13 ○7RKO リカルテ・カニエラ(比)
1993/02/01 ○4RTKO 宗 誠一(ハッピー)
1993/07/15 ○2RKO ルベン・デ・ラ・クルス(比)

■WBA世界スーパーバンタム級タイトルマッチ
1993/11/18 ●12R判定 0-3(113-115、112-116、112-116) ウィルフレド・バスケス(プエルトリコ)
※WBA世界スーパーバンタム級王座挑戦

1994/03/04 ○7RKO サミュエル・デュラン(比)
1994/12/13 ○10R判定 3-0(98-94、98-95、99-94) アーニー・ウルダニサ(比)
1995/05/30 ○10R判定 3-0(99-93、99-95、99-95) 新井 泰(角海老宝石)
1998/10/13 △10R判定 1-1(98-95、99-97、96-96) 木内 信弥(シシド)
2004/11/24 ○6R判定 3-0(59-57、59-57、59-56) チャートスック・ツインズジム(タイ)
2005/11/12 ○6R判定 3-0(60-55、59-56、58-57) 河井 純一郎(ピストン堀口)
2006/04/30 ○8R判定 2-0(79-75、79-75、77-77) 古川 和広(コーエイ工業小田原)
2007/06/15 ○5RTKO ジェーンロップ・スーンギラーノーイナイ(タイ)
 
 

【補足情報】
・千葉県銚子市出身。
・BoxRecでは岡部 繁2戦目が10回戦となっているが、正しくは8回戦。(2019/09/13時点)
・16歳で上京し、車窓から大川ジムの看板を見て入門。デビュー後3連勝、しかし4戦目に敗れ
 約8年のブランクを作る。その間紆余曲折を重ねてから理容師として仕事に励む。1年ほど経って
 アートネーチャーに入社。同時に大川ジムへの復帰を会長に願い出た。池袋店長、池袋ブロック長、
 多摩ブロック長と昇進、しかしロードワークの時間が取れずスタミナ不足が何戦かの敗戦の原因と言う。
・二度にわたる高橋 ナオト(アベ)との激戦で知られるノーリー・ジョッキージムを破り、
 世界ランク入り。ウィルフレド・バスケスとの世界タイトル戦は5Rにダウンを喫しながら後半追い上げ
 小差の判定負けとなった。現役の日本王者、新井 泰を破りながらリングを降り、1996年11月に
 横田スポーツジムを開いた。「今が一番強い。ウィルフレド・バスケスに勝てる」と語っている。その後、
 いったん兄にオーナーライセンスを預けて現役復帰した。
・37歳の年齢制限ため木内 信弥戦をもって3度目の引退。しかしJBCに働きかけ、
 2003年条件付きながら年齢制限の改定を認めさせた。ウィルフレド・バスケスへの
 世界挑戦、チャートスック・ツインズジム戦の勝利、ジェーンロップ・スーンギラーノーイナイ戦の
 KO勝利はいずれも当時の日本人最年長記録。
 
 

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