植村 竜郎(Tatsuro Uemura)(帝拳)
本名:李 龍植(イ・ヨンシク)
生年月日:1909年6月11日
国籍:北朝鮮
戦績:59戦20勝(13KO)25敗13分1無効試合
【獲得タイトル】
なし
【戦歴】
1928/01/01 ○判定 (ラウンド/採点不明) ダン・サクラメント(比)
1928/02/01 ○8RKO ボビー・ランド(英)
1931/01/27 ●6R判定 (採点不明) 原 靖(大日拳)
1931/02/10 ●6R判定 (採点不明) 三田 龍三(大日拳)
1931/02/16 ●1RKO ダン・サクラメント(比)
1931/02/26 ●6R判定 (採点不明) 三田 龍三(大日拳)
1931/03/12 △6R判定 (採点不明) 高橋 一男(日倶)
1931/03/30 ○4RKO 原 靖(大日拳)
1931/04/04 ○2RKO 有川 二郎(東洋)
1931/04/20 ○2RTKO 吉田 起八(日倶)
1931/05/03 △6R判定 (採点不明) 原 靖(大日拳)
1931/05/10 △8R判定 (採点不明) ダン・サクラメント(比)
1931/06/04 ●8R判定 (採点不明) 原 靖(大日拳)
1931/06/16 ○1RTKO クレオ・ポール(仏)
1931/06/29 ○3R反則 ダン・サクラメント(比)
1931/07/16 △6R判定 (採点不明) 野田 徹(東京ボーリング)
1931/07/18 △8R判定 (採点不明) ダン・サクラメント(比)
1931/08/11 ×2R無効試合 熊谷 二郎(日倶)
1931/08/20 ○2RTKO 松居 弥助(日倶)
1931/08/22 ●8R判定 (採点不明) ダン・サクラメント(比)
1931/09/03 ○2RTKO 中村 金雄(日倶)
1931/09/16 △10R判定 (採点不明) 高橋 一男(日倶)
1931/09/21 △6R判定 (採点不明) 原 靖(大日拳)
1931/10/03 ●6R判定 (採点不明) 熊谷 二郎(日倶)
1931/10/11 ●4R反則 原 靖(大日拳)
1931/11/04 △6R判定 (採点不明) フレディ・インペリアル(比)
1931/11/12 △6R判定 (採点不明) フレディ・インペリアル(比)
1931/11/17 ●8R判定 (採点不明) 原 靖(大日拳)
1931/11/26 ○7RTKO 久場 清(大日拳)
1931/12/12 △10R判定 (採点不明) 徐 廷権(日倶)
1931/12/19 ○4R判定 (採点不明) 野田 徹(東京ボーリング)
1932/01/07 ●4RTKO 中村 金雄(日倶)
1932/02/23 ○6R判定 (採点不明) ダン・サクラメント(比)
1932/03/04 ○1RTKO ボブ・ゴールドリング(英)
1932/03/15 ○5RKO 中村 金雄(日倶)
1932/03/25 ○8R判定 (採点不明) 高橋 一男(日倶)
1932/04/09 ○4RTKO 高津 五郎(葵)
1932/04/17 △6R判定 (採点不明) 松永 喜久雄(東亜)
1932/04/27 △6R判定 (採点不明) 熊谷 二郎(日倶)
1932/05/03 ●6R判定 (採点不明) 野田 徹(東京ボーリング)
1932/05/15 ○8R判定 (採点不明) 高橋 一男(日倶)
1932/07/05 ●5RTKO ファイティング・ヤバ(比)
1932/08/19 ●4RTKO ファイティング・ヤバ(比)
1932/09/20 ●8R判定 (採点不明) ベントゥラ・マルケス(メキシコ)
1932/10/28 ●10R判定 (採点不明) リトル・パンチョ(比)
1932/12/10 ●6R判定 (採点不明) ヘンリー・カレイジオ(比)
1933/02/02 ●8R判定 (採点不明) 中村 金雄(日倶)
1933/03/23 ○1RTKO ファイティング・ヤバ(比)
1933/04/03 ●2RKO ラッシュ・マヨ(比)
1933/04/27 ●6R判定 (採点不明) 高津 五郎(葵)
1933/07/20 ●2R反則 松岡 福雄(日倶)
1933/08/22 ●6R反則 ラッシュ・マヨ(比)
1933/09/14 ○6R判定 (採点不明) ラッシュ・マヨ(比)
1933/10/03 ●3RTKO 堀口 恒男(日倶)
1934/04/21 ○4R棄権 沈 相旭(朝鮮)
1935/05/23 ●5R反則 小池 実勝(大日拳)
1935/07/05 ●4R反則 服部 英明(東拳)
1935/07/15 △6R判定 (採点不明) 松岡 福雄(日倶)
1935/08/07 ●5RTKO 小池 実勝(大日拳)
【補足情報】
・朝鮮-咸鏡南道元山府出身。(現:北朝鮮)
・戦績は判明済みのもののみ記載。上海ではヤング・アンビジョンの名で戦っており、
ある程度成功を収めたとされ、記載の戦歴以上に戦績がある可能性が高い。また、戦前に活躍しており、
戦争による記録の消失も多くあると思われる。BoxRecでは58戦分が掲載。(2019/09/25時点)
・BoxRecでは生年月日が1909年6月11日となっている(2019/08/21時点)
・一撃必殺の威力ある右の大きなスイングは青龍刀と呼ばれ、人気ボクサーと
なった。特に中村 金雄との4試合は当時の黄金カードとされた。
・1934年に母国に帰ったとされるが、その後も日本で戦った記録がある。帰国後はジムを開き
自らもカムバックを図ったとされる為、朝鮮から来日して戦った可能性も考えられるが
所属ジムはいずれも帝拳となっている。その後、戦時中に北京でジムを開いたとされるが、
以降の消息は不明。
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