引地 博(Hiroshi Hikichi)(新日本木村)
本名:引地 博
生年月日:1950年8月19日
国籍:日本
戦績:35戦16勝(10KO)16敗3分
【獲得タイトル】
第10代日本スーパーウェルター級王座
【戦歴】
1969/06/02 ○3RKO 時田 明次(滝野川)
1969/07/07 ○2RKO 江頭 信俊(晴海)
1969/08/25 ○4R判定 (採点不明) 清水 和夫(不二)
1969/10/24 ○1RKO 牛尾 孝治(アベ)
■1969年度東日本ライト級新人王準決勝
1969/11/30 △4R判定 (採点不明) タイガー 岡村(タナカ)
※東日本新人王敗退(規定により岡村の勝者扱い)
1970/01/25 ●6R判定 (採点不明) 椎谷 勲(石川)
1970/03/15 ○3RKO 中村 研輔(勝又)
1970/04/26 ○6R判定 (採点不明) 宝 拳児(協栄)
1970/05/31 ○3RKO 的野 金光(タツミ)
1970/06/21 ●4RKO 椎谷 勲(石川)
1970/12/21 ○4RTKO オフェロ・ティナイ(比)
1971/03/04 ○6RKO 清水 和夫(不二)
1971/05/03 ●6RKO 佐藤 晋一(アベ)
1971/06/13 ●6R判定 (採点不明) 佐藤 晋一(アベ)
1971/07/29 ○6R判定 (採点不明) 五戸 定博(田辺)
1971/10/23 ○8R判定 (採点不明) 大源 鉄夫(田辺)
1972/02/20 ○10RKO 椎谷 勲(石川)
1973/03/04 ●6RKO チョ・ヨンチョル(韓)
1973/05/06 ●10R判定 1-2(48-47、47-48、47-48) 渡辺 昌龍(船橋)
1973/06/10 ●10R判定 (採点不明) チョ・ミン(韓)
1973/07/27 ●10R判定 (採点不明) フラッシュ・ガリェーゴ(比)
1973/10/15 ●10R判定 0-3(44-49、44-50、45-50) 佐藤 晋一(アベ)
1974/02/01 ○5RKO 棟方 浩一(オザキ)
1974/03/29 ●10R判定 (採点不明) アルベルト・ビセラ(比)
1974/09/05 ○8R判定 (採点不明) 中川 仁士(帝拳宇都宮)
1974/10/27 ○6RKO 柳川 昭一(中日)
■日本スーパーウェルター級タイトルマッチ
1975/01/27 △10R判定 0-0(48-48、48-48、48-48) 柴田 賢治(堀内)
※日本スーパーウェルター級王座挑戦
1975/05/12 ●12R判定 (採点不明) イム・チェグン(韓)
1975/07/15 ●10R判定 (採点不明) 三迫 将弘(三迫)
■日本スーパーウェルター級タイトルマッチ
1975/10/08 ○10R判定 2-0(49-47、49-49、48-46) 柴田 賢治(堀内)
※日本スーパーウェルター級王座獲得
■日本スーパーウェルター級タイトルマッチ
1976/02/19 △10R判定 0-1(46-46、45-47、47-47) 肥後 三四郎(熊本)
※日本スーパーウェルター級王座防衛①
1976/06/06 ●10R判定 (採点不明) パク・ナミョン(韓)
■日本スーパーウェルター級タイトルマッチ
1976/07/27 ●10R判定 0-3(46-50、48-49、47-50) 柴田 賢治(堀内)
※日本スーパーウェルター級王座陥落
1976/11/25 ●3RTKO ノリ・ガリチャ(比)
■日本スーパーライト級タイトルマッチ
1977/01/24 ●8RTKO 古山 哲夫(笹崎)
※日本スーパーライト級王座挑戦
【補足情報】
・宮城県名取市小塚原出身。
・中学から仙台育英高校にかけて手が付けられない暴れん坊、退学処分になるところを
ボクシング部の部長(先生)に弁護されて免れた。処分されていたらヤクザの道に
堕ちていたと後年語っている。
・中村ジムよりデビュー、牛尾 孝治戦よりSB中村ジムと名称が変わった。
チョ・ヨンチョル戦より木村ジムへ移籍、棟方 浩一戦よりジムの名称が新日本ジム、
更に柴田 賢治第2戦より新日本木村ジムとなった。
・椎谷 勲第2戦の後、中村会長と衝突、単身アメリカロサンゼルスへ。現地での試合が
実現しかけたが結局できず、たまたま渡米していた木村会長と出会い、木村ジムへの
移籍となった。
・中村ジム時代からSB食品の社員となったが、ジムの移籍で退職。1973年に
再入社。1500人の社員の中で「出戻り社員はお前だけだ」と言われたいう。引退後も
営業マンとして活躍した。
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