吉永 正美(Masami Yoshinaga)(平石)
本名:不明
生年月日:1951年8月13日
国籍:日本
戦績:39戦7勝(5KO)31敗1分
【獲得タイトル】
1970年度中日本ミドル級新人王
【戦歴】
■1970年度関西・中部日本ミドル級新人王対抗戦
1970/12/23 ○2RKO 小西 直樹(塚原)
■1970年度全日本ミドル級新人王決定戦
1971/02/07 ●6R判定 (採点不明) 沼辺 道由(田辺)
※全日本新人王敗退
1971/03/27 ○6R判定 (採点不明) 宮越 勇治(大阪帝拳)
1971/06/17 ●6R判定 (採点不明) 宮越 勇治(大阪帝拳)
■中部日本ミドル級王座決定戦
1971/08/27 ●8RKO 加島 雷三(常滑)
※中部日本ミドル級王座挑戦
1971/09/30 ●4RKO 堀口 和弘(オギノ)
1972/02/15 ○6R判定 (採点不明) 宮越 勇治(大阪帝拳)
1972/03/18 ●4RKO 柳川 昭一(中日)
■中部日本ミドル級タイトルマッチ
1972/05/24 ●8R判定 (採点不明) 加島 雷三(常滑)
※中部日本ミドル級王座挑戦
1972/09/30 ●5RKO 柳川 昭一(中日)
1973/05/26 ○4R棄権 赤坂 博(不二)
1973/07/05 △6R判定 (採点不明) 渡辺 均(クロス)
1973/07/27 ●3RKO 赤坂 博(不二)
1973/09/29 ●8R判定 (採点不明) 渡辺 均(クロス)
1973/10/26 ●4RTKO フィル・ロビンソン(比)
1974/03/02 ●8R判定 (採点不明) 宮越 勇治(大阪帝拳)
1974/04/27 ○5RKO 近藤 勇(オザキ)
1974/05/23 ●1RKO 下脇田 節男(松田)
1974/07/21 ●5RKO 柴田 賢治(堀内)
1974/09/23 ●2RKO 辻本 章次(BVD)
1974/10/23 ●4RKO 近藤 勇(オザキ)
1975/05/03 ●2RKO 棟方 浩一(オザキ)
1975/08/18 ●5RKO 泉 猛(緑)
1975/11/11 ○2RKO 金平 仁(平沼)
1975/12/14 ●1RKO 甲斐 澄男(三迫)
1976/01/25 ●3RKO カン・フンウォン(韓)
1976/04/15 ●4RKO 辻本 英守(大星)
1976/05/08 ●4RKO イム・ジェグン(韓)
1976/07/09 ●3RKO 宮越 勇治(大阪帝拳)
1976/08/21 ●1RKO 堀畑 道弘(山神)
1976/10/22 ●1RKO 長岡 俊彦(金子)
1977/07/19 ●2RKO 堀畑 道弘(山神)
1977/10/22 ○3RKO 金平 仁(岡山平沼)
1977/12/17 ●4RKO 中右 英一郎(松田)
1978/08/27 ●2RKO 小野 稔(新日本宇都宮)
1980/05/05 ●1RKO シーザー 佐々木(JRJ国際)
1980/08/12 ●2RKO 小野 稔(新日本宇都宮)
1981/02/26 ●3RKO 北村 雅英(進光)
1983/07/16 ●2RKO ハッタリ 小畑(北陸石丸)
【補足情報】
・静岡県静岡市葵区千代田出身。
・1970年度中日本ミドル級新人王は不戦での獲得となっている。
・堀内所属としてデビューし、堀口 和広戦より平石所属となっている。
・のちに日本スーパーウェルター級王者となる加島 雷三と2度対戦し、
いずれも敗れている。
・のちに日本スーパーウェルター級王者となる堀畑 道弘と2度対戦し、
いずれもKOで敗れている。
※当ブログでは情報を求めています。
誤った情報、追記すべき内容等ありましたら精査の上反映させていただきますので
コメントいただけますと幸いです。
コメント
こちら長岡選手。
1976/10/22 ●1RKO 長岡 俊彦(金子)
この選手は、ミドル級ながら、
ヘビー級の米国逆輸入コング斉藤(リキ)の化けの皮を剥いだ選手でしたね。
コング斉藤は”和製ロッキー”との鳴り物入りで帰国直後「アリに挑戦」などの見出しも出るなど大いに賑わし、朝日や読売はコングを取材する為アメリカに特派員まで出す程でした。
しかし、ミドル級長岡選手に東京と名古屋で2度KO負を喫したことで実力が晒されるや、これを最後に引退。 一方、長岡選手もコングとの再戦KOを最後にタイトル挑戦など無い侭、引退していますね。
※下記、両選手のBOXREC、不完全かもしれませんが?貼っておきます。
両選手の全戦績、及び、最高位ランクなど、補足情報、等
お分かりいただければ作成願いたいですm(__)m
コング斉藤(リキ) 本名:斉藤 明
https://boxrec.com/en/proboxer/99054
長岡俊彦(金子)
https://boxrec.com/en/proboxer/99053
ファンですさん
boxrecに記録があるからと思いましたが、調べてみました。まず長岡俊彦ですが、日本ボクサー辞典に「日本のミドル級選手に連続KO負け」とあるように、長岡はミドル級ということにされていますが、実際は当時のヘビー級でしたね。愛知県体育館で行われた斎藤vs長岡第2戦を観戦しましたが、上質紙で46ページもあるプログラムでした。斎藤のプロフィールなどはまた後ほど。
長岡 俊彦(Toshihik Nagaoka)(金子)
本名:不明
生年月日:1951年6月2日
国籍:日本
戦績:12勝8勝(6KO)3敗1分
【獲得タイトル】
なし
【戦歴】
1975/12/08 ○1RKO 大戸 健(高崎) 187p
1976/01/26 ○1RKO 大戸 健(高崎) 190.75
1976/04/28 △6R判定 (採点不明) 大戸 健(高崎) 185.25
1976/05/09 ●4RKO 大戸 健(高崎) 184.75
1976/07/08 〇6R判定 (採点不明) 大戸 健(高崎) 190.25
1976/10/22 ○1RKO 吉永 正美(平石) 177.5
1977/07/05 ○5RKO ビッグ 丸山(タナカ) 181
1977/10/22 〇10R判定 3-0(49-44、50-45、49-44) 大戸 健(高崎) 186.25
1978/03/28 ●2RKO 江刺 勝雄(協栄河合) 160.5
1978/06/19 ○2RKO コング 斎藤(リキ) 184.25
1978/09/25 ●2RKO ネッシー 堀口(野口) 172.25
1978/11/04 ○3RKO コング 斎藤(リキ) 187.75
【補足情報】
・山形県山形市城西町出身
・当時の階級では12戦中10試合がヘビー級(175ポンド以上)1試合がライトヘビー―級、江刺 勝雄戦のみがほぼミドル級であり、ミドル級の選手ではない。にもかかわらず、日本ランキングではミドル級にランクされた。
・日本ランク最高位 ミドル級3位(1978年6月~8月、1979年3月~5月)
※右の数字は試合のウェイト
chamuyoさん
ファンですさん
ありがとうございます。
取り急ぎ、長岡 俊彦のページを作成いたしました。
https://boxinglib.com/boxingmeikan/archive/39552/0
いつもいつもになりますが、本当にありがとうございます。
吉永選手の補足情報:
生年月日:1951年8月13日
出身地:静岡市千代田
1971~1974年までの日本ボクシング年鑑では、吉永選手の本名が「堀内一男」ってなっていますけど、これって堀内ジムの会長さんのお名前ですよねえ。
何かの手違いでそういう記載になっちゃったのか、本当に「堀内一男」さんなのか追加調査が必要ですね。
そうか、ハッタリ小畑戦がラストファイトだったのか。トミーズ雅戦がラストだと思ってました(^x^)
ひめもなかさん
ありがとうございます。
とりあえずいただいた情報を反映しました。
本名の件、今月末当たりに一度確認してみますね。
ファンですさん
sekiさん
コング 斎藤について調べてみました。当時の新聞記事があれば、いろいろの情報がわかると思いますが…。中学を卒業後、溝口さんのジムに入るまでの経緯がよくわかりません。また引退後の消息も不明ですね。
キャリア最終戦の斎藤vs長岡戦は他に、岡橋勲vsホセ・カバ、フェニックス谷口s七社虎行の10回戦もあり豪華版でした。2日後には中京テレビの放映もありました。
コング 斎藤(Kong Saito)(金子)
本名:斎藤 明
生年月日:1954年12月3日
国籍:日本
戦績:13勝9勝(9KO)4敗
【獲得タイトル】
なし
【戦歴】
1975/04/01 ●3RTKO ペイク・デュドイト(米国)
1975/04/15 ●1RKO ウィリアム・ベア(米国)
1977/04/19 ○1RKO トミー・ハーギス(米国)
1977/04/21 ○1RKO ピート・ナイト(米国)
1977/05/03 ○2RKO ジャッキー・スミス(米国)
1977/05/17 ○1RKO ティム・ロビンソン(米国)
1977/06/07 ○1RKO フランキー・テイラー(米国)
1977/09/04 ○2RKO ストーニー・ランド(米国)
1977/11/15 ○2RKO チェスター・グッズ(米国)
1978/02/11 ○3RTKO マーク・ホワイト(米国)
1978/06/19 ●2RKO 長岡 俊彦(金子)
1978/10/10 〇1RKO ビッグ 丸山(TBMG)
1978/11/04 ●3RKO 長岡 俊彦(金子)
【補足情報】
・千葉県柏市酒井根出身
・中学時代はバレーボール部のエースアタッカーとして活躍。リキジム会長(当時はマックスジム)の溝口宗男氏に弟子入り、1974年6月に渡米、パット・オグレディ(トレーナー)氏宅に寄宿し腕を磨いた。
・デビュー戦、第2戦は斎藤 あきらの名で、トミー・ハーギス戦より斎藤 明、ストーニー・ランド戦よりコング 斎藤となった。
・所属ジム名はマックスジム、ストーニー・ランド戦よりジャパン・ボクシングジム(J・B)、マーク・ホワイト戦よりリキジムと変わった。会長はいずれも元日本、東洋スーパーウェルター級王者の溝口 宗男氏。
・いわば日本凱旋となったストーニー・ランド(カリフォルニア州ヘビー級2位)戦に向け帰国した8月22日の羽田空港では、世界王者並みの騒ぎとなり翌日のスポーツ紙は7段、8段抜きで大きく報道した。
※対戦者名 Tommy Hargis ボクシング年鑑等ではトム・ハージンとしているが、ハーギスとした。
※リングネーム(本名を含む)、ジムの名称の変更の時期についてはボクシング広報、郡司氏のランキング等を参考にしたが、必ずしも正確ではない。
またやらかしましたね。
コング 斎藤(Kong Saito)(金子) → コング 斎藤(Kong Saito)(リキ)
でした。
chamuyoさん
ファンですさん
ありがとうございます。
コング 斎藤のページを作成いたしました。
https://boxinglib.com/boxingmeikan/archive/39662/0
無冠選手が世界王者級の扱いとは凄いですね。
いつの時代も、選手不足に悩む中重量級ですが
現代では但馬ミツロがデビューを控えています。
彼が活躍してくれれば…と強く思っています。