コング 斎藤(Kong Saito)

コング 斎藤(Kong Saito)(リキ)

 

本名:斎藤 明
生年月日:1954年12月3日
国籍:日本
戦績:13戦9勝(9KO)4敗

 

【獲得タイトル】
なし

 

【戦歴】
1975/04/01 ●3RTKO ペイク・デュドイト(米)
1975/04/15 ●1RKO ウィリアム・ベア(米)
1977/04/19 ○1RKO トミー・ハーギス(米)
1977/04/21 ○1RKO ピート・ナイト(米)
1977/05/03 ○2RKO ジャッキー・スミス(米)
1977/05/17 ○1RKO ティム・ロビンソン(米)
1977/06/07 ○1RKO フランキー・テイラー(米)
1977/09/04 ○2RKO ストーニー・ランド(米)
1977/11/15 ○2RKO チェスター・グッズ(米)
1978/02/11 ○3RTKO マーク・ホワイト(米)
1978/06/19 ●2RKO 長岡 俊彦(金子)
1978/10/10 〇1RKO ビッグ 丸山(TBMG)
1978/11/04 ●3RKO 長岡 俊彦(金子)

 

【補足情報】
・千葉県柏市酒井根出身。
・中学時代はバレーボール部のエースアタッカーとして活躍。溝口 宗男(リキ)に弟子入りし、
 1974年6月に渡米、トレーナーのパット・オグレディ氏宅に寄宿し腕を磨いた。
・デビュー戦、第2戦は斎藤 あきらの名で、トミー・ハーギス戦より斎藤 明、
 ストーニー・ランド戦よりコング 斎藤となった。
・所属ジム名は当初マックスジム、ストーニー・ランド戦よりジャパン・ボクシングジム(J・B)、
 マーク・ホワイト戦よりリキジムと変わった。会長はいずれも溝口 宗男。
・いわば日本凱旋となったストーニー・ランド(カリフォルニア州ヘビー級2位)戦に向け
 帰国した8/22の羽田空港では、世界王者並みの騒ぎとなり翌日のスポーツ紙は7段、8段抜きで
 大きく報道した。

 

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 誤った情報、追記すべき内容等ありましたら精査の上反映させていただきますので
 コメントいただけますと幸いです。

 

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コメント

  1. ファンです より:

    chamuyo さん
    sekiさん
    長岡選手&コング選手、ありがとうございます

    色々確認することが出来ました。
    感謝しています。

    長岡選手&コング選手、その全試合の契約体重を確認すると、当時クルーザー級は無かったですが、共にクルーザー級が適正の選手ですね(200P=約90.7㎏)。
     長岡の最重量戦が約86.4㎏
     コングの最重量戦約91.9㎏
    生粋のヘビー級(100kg超)にはかなり遠い体型でした。

    ・コングはこの最重量の試合が最後の試合であり、無理に増量して弛んだ体型で出て来て呆気なくKOされたと言うオチとなってしまいました。

    ・長岡選手も、常時相手不在のなか、全12戦中6戦が大戸 健(高崎)が相手。
    しかもデビュー戦から5試合連続大戸戦と言う凄まじさ。
     試合をする為 無理に絞ってリングに上がった江刺戦(ミドル超過)とネッシー戦(LH以下)はKO負という、こちらは無理に減量してKOされたというオチとなってしまいましたね。

    当時、クルーザー級もスーパーミドル級も新設される前の時代ですから、ミドル級の上は2つのみ(ライトヘビー、ヘビー)。
     それに加えて、日本王座もOPBF王座もこの2つ(ライトヘビー、ヘビー)のタイトル自体が未だ無い時代。
     よって、その階級に該当する選手(長岡、コングら)にとっては、云わば迷走の時代。

    その混迷の中で、
     長岡は繰り返される同じ相手の試合や非適性階級の試合などによりキャリアの大半を消化、
     一方、コングはまだ4~6回戦レベルだったにも関わらず、ジム側の無謀な宣伝やそれに伴うゴシップ記事等に踊らされ過度な期待のなかで潰されたと言う印象です。

    ありがとうございました。

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