2026/6/19 -愛知・名古屋市エディオン久屋広場特設会場- 前置き(中日本ボクシング観戦記) ボクシング選手名鑑ピックアップ!

2026/6/19 -愛知・名古屋市エディオン久屋広場特設会場- 前置き(中日本ボクシング観戦記) ボクシング選手名鑑ピックアップ!

 

日本ボクシング史の始まりは、
渡辺 勇次郎(日倶)が「日本拳闘倶楽部」を開設した1921年とされる。

当時、アジアのボクシング大国といえばフィリピンだった。
日本のボクサーや興行師が現地に渡り、試合や興行を行っていたことが、
戦前の日本側の記録がほとんど残っていない現在でも、
フィリピン側の資料から確認できる。

1941年、太平洋戦争が開戦。
終戦後、日本国内でボクシング興行は再開されたものの、
日比のボクシングが再び交わるまでには、しばらく時間を要した。

戦争末期のマニラでは、十万人規模の民間人が犠牲になったとされる
「マニラ大虐殺」が起きた。
そのほかにも各地で多数の犠牲が出たとされ、
家族を失った人々の記憶はあまりにも生々しかった。
フィリピンの人々が日本に抱いた感情は、
想像を絶するほど深いものだっただろう。

日本人が訪れれば命の保証はない。
そんな空気すら残っていたフィリピン。
その国交回復の一端を担ったのが、ボクシングだった。

1954年の4月30日に三迫 仁志(野口)がフィリピンに渡り、
現地のフィリピン王座を争った。

1954年10月27日、日本・フィリピン・タイの三か国によって
東洋ボクシング連盟(OBF)が設立される。
経て、70年前の1956年には国交が正常化したが、感情までは消えるものではない。

ただその後も東洋王座を軸に、両国のボクサー、関係者、そしてファンが接触し、
それはやがて“交流”へと変わっていった。

国交正常化から70年。
その節目に、名古屋で記念興行が開催される。
アジアでは野外興行も多い。
その雰囲気を再現するように、特設リングが設けられる。

ここでいつもの前置き。

自分はファンではあるが、熱狂的なマニア程の肥えた目を持ってはいない。
自分より凄いと思えるファンはそこらじゅうに転がっている。
ここに書く内容に誤りが多分に含まれることもある。

先に言い訳をしておきたいわけではなく、そういうものだと言っておきたい。
同じ試合を見ていても、違う感想を持つファンもいるわけで…。
ここに書いたことが正解ではないと…。
それだけは認識した上で、読み進めていただきたい。

日本に居住するフィリピン人ボクサーも多くなった。
フィリピンに拠点を置いて戦う日本人ボクサーもいる。
この日は、そうした両国をまたぐ選手たちが中心となる。

ボクシングがスポーツの枠を越える瞬間がある。
かつてモハメド・アリ(米)が示したように、
スケールは違えど、その“同じ種類のもの”が
目の前で繰り広げられようとしている。

どこか誇らしい気持ちで、この日の第1試合を迎えた。

 

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