渡辺 勇次郎(Yujiro Watanabe)(日倶)
本名:渡辺 勇次郎
生年月日:1889年11月11日
国籍:日本
戦績:33戦18勝(8KO)11敗2分1無効試合1結果不明
【獲得タイトル】
米-カリフォルニア州ライト級王座
【戦歴】
1908/(月日不明) ○判定 (採点不明) 対戦相手不明
■米-カリフォルニア州ライト級タイトルマッチ
1910/1/(日不明) ●判定 (採点不明) ウィリー・ハップ(米)
※米-カリフォルニア州ライト級王座挑戦
■米-カリフォルニア州ライト級タイトルマッチ
1910/7/(日不明) ○判定 (採点不明) ウィリー・ハップ(米)
※米-カリフォルニア州ライト級王座獲得(のちに返上)
1911/03/22 ●4RKO C・マルギダ(米)
1911/04/19 ○4RKO ウィリー・ベン(米)
1911/05/12 ○1RKO モ・チョソ(米)
1911/05/16 ○判定 (ラウンド/採点不明) フランク・パフ(米)
1911/06/13 △3R判定 (採点不明) ジャック・レノン(米)
1911/06/16 ○4R判定 (採点不明) タングルフット・マクガバン(米)
1911/07/14 ○4R判定 (採点不明) ボビー・エバンス(米)
1911/07/21 ×無効試合(ラウンド不明) ルイ・サビーヌ(米)
1911/08/11 ○4R判定 (採点不明) ジョー・ヒル(米)
1911/08/25 ●4R判定 (採点不明) キッド・ウェイン(米)
1911/10/14 ○判定 (ラウンド/採点不明) ヤング・ロメロ(米)
1911/10/20 ●4R判定 (採点不明) ジョー・リバモア(米)
1911/10/31 ●4R判定 (採点不明) ジョー・リバモア(米)
1911/11/03 ○1RKO フランキー・レーガン(米)
1911/12/08 △4R判定 (採点不明) エディ・ドゥアルテ(比)
1912/03/08 ○4RTKO バトリング・ジョージ・ケリー(米)
1912/03/22 ○4R判定 (採点不明) ボブ・ノーワース(米)
1912/04/12 ●4R判定 (採点不明) ウィリー・ハップ(米)
1912/05/11 ●3RTKO ウィリー・ハップ(米)
1913/(月日不明) ○1RKO ウィリー・ハップ(米)
1913/09/26 ●4R判定 (採点不明) マーク・ブラウン(米)
1914/09/18 ○2RKO ジョー・キャロル(米)
1914/10/09 ●4R判定 (採点不明) ジャック・クレーン(豪)
1916/12/08 ●4R判定 (採点不明) ティリー・ハーマン(米)
1916/12/15 ○4R判定 (採点不明) マイク・ソラリ(米)
1916/12/29 ●4R判定 (採点不明) ヤング・ジョー・ガンズ(米)
1922/05/20 ×結果不明 ヤング・ケッチェル(米)
1922/06/08 ○6R判定 (採点不明) パット・ヘンリー(米)
1922/07/08 ○KO(ラウンド不明) パット・ヘンリー(米)
1923/02/18 ○8RKO ルイカー(ロシア)
【補足情報】
・栃木県塩谷郡片岡村出身。(現:矢板市)
・戦績/戦歴は判明分のみ記載。米西海岸で戦い、現地では当時4回戦しか認められていない中
50戦余りを戦った。デビュー戦より16連勝を飾ったとされるが記録は不明。敗戦は唯一、
世界王座挑戦権を賭けて行われたウィリー・ハップ1戦目のみと最強を誇り、4回戦キングと
呼ばれたとされているが本人の談によるもので、真偽は不明。日本側での記録は帰国後
のものしかなく、米国側の記録では敗戦が複数ある。
・BoxRecでは25戦分が掲載されている(2019/07/30時点)
・英語を学ぶ目的で渡米したが、喧嘩で負けたことを機に現地でボクシングを学ぶ。16年の
滞在を経て帰国後、日本初のボクシングジムとなる日倶を開き、日本初の
ボクシング単独興行(純拳闘試合)を執り行った。さらにボクシングの様々な組織設立に参加し、
日本ボクシングの父と呼ばれる。
・1956/06/28、胃癌により逝去。
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