吹打 龍(Ryu Fukita)

吹打 龍(Ryu Fukita)(ヨネクラ)
 
 

本名:原田 達実
生年月日:1950年11月8日
国籍:日本
戦績:39戦22勝(13KO)15敗2分
 
 

【獲得タイトル】
1973年度全日本フェザー級新人王
第15代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座
 
 

【戦歴】
1973/04/20 ○1RKO 権田 能啓(大阪帝拳)
1973/06/02 ●3RKO 宮下 正行(笹崎)
1973/07/27 △4R判定 (採点不明) 中井 敏正(高橋)
1973/09/26 ○1RKO 重木 誠(大阪帝拳)
1973/10/12 ○1RKO 梶本 武男(クラトキ)
1973/10/27 ○2RKO 太田 成龍(親和)
1973/11/12 ○6R判定 (採点不明) 太田 喜久夫(大星)
1973/12/19 ○6R判定 (採点不明) 吉村 義夫(静岡池田)

■1973年度全日本フェザー級新人王決定戦
1974/02/20 ○6R判定 (採点不明) 菅原 秀丸(京浜川崎)
※全日本新人王獲得

1974/05/10 ○6R判定 (採点不明) 中村 栄(平石)
1974/09/05 ●4RKO ロイヤル 小林(国際)
1975/01/13 ●6RKO 大久保 淳一(大阪帝拳)
1975/04/18 ●10R判定 (採点不明) ジャンボ 中塚(山口協栄)
1975/07/15 ●2RTKO ビルヒリオ・アマノ(比)
1975/08/19 △4R判定 (採点不明) キッド・パバンラグ(米)
1975/09/23 ○1RKO キッド・パバンラグ(米)
1975/10/14 ○5RKO ルディ・トロンガリ(比)
1976/07/23 ○4R判定 (採点不明) ロジャー・モレノ(比)
1976/10/06 ○5RKO ビルヒリオ・レガスピ(比)
1977/04/02 ○4RTKO 宮下 正行(笹崎)
1977/06/21 ○5RKO 望月 広文(帝拳)
1977/08/23 ○10R判定 (採点不明) リュ・チョルソン(韓)
1977/11/30 ○10R判定 2-0(49-48、48-46、48-48) イ・イダノ(韓)
1978/01/24 ●4RKO チェ・ムンソク(韓)

■日本スーパーフェザー級タイトルマッチ
1978/04/28 ●7RKO 上原 康恒(協栄)
※日本スーパーフェザー級王座挑戦

1978/08/29 ○6RKO 国重 講司(野口)

■OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチ
1979/01/14 ●11RKO チェ・ムンソク(韓)
※OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座挑戦

1979/06/22 ●12R判定 (採点不明) ジョニー・サト(比)

■OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチ
1979/11/06 ○1RKO チェ・ムンソク(韓)
※OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座獲得

■OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチ
1980/04/15 ○12R判定 3-0(116-114、118-115、118-116) ヤン・イル(韓)
※OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座防衛①

1980/08/09 ●10R判定 (採点不明) イ・イルボク(韓)

■OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチ
1980/10/28 ○12R判定 2-1(117-116、117-114、115-117) レイ・タム(比)
※OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座防衛②

■OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチ
1981/01/27 ●6R棄権 オ・ヨンセ(韓)
※OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座陥落

■OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチ
1981/07/21 ●12R判定 0-2(112-119、116-117、117-117) オ・ヨンセ(韓)
※OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座挑戦

1981/12/18 ○10RKO フレディ・メイスン(神林)

■OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチ
1982/05/23 ●6R負傷判定 (採点不明) ムン・テジン(韓)
※OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座挑戦

1983/02/10 ○3RKO トミー・ブラウン(米)
1983/04/23 ●10R判定 1-2(91-95、93-96、95-94) ロベルト・リオス(メキシコ)
1984/03/06 ●3RTKO レネ・ベトマン(米)
 
 

 
 

【補足情報】
・鳥取県倉吉市出身。近大ボクシング部OB。アマチュア戦績:6勝(6KO)1敗。
・兄はハラダジム会長だった原田 実雄で、吹打の新進ジム時代には吹打のトレーナーを
 務めていた。また、第28代OPBF東洋太平洋フェザー級王者の原田 剛志(ハラダ)は甥。
・新進ジムよりデビューし、ロジャー・モレノ、ビルヒリオ・レガスピ戦を
 JBC外で実施。帰国後、ヨネクラジムへ移籍。ジム移籍時にリングネームを
 原田 達から吹打 龍へ変更している。リングネームの由来は出身地の打吹山、
 打吹公園の「打吹」(うつぶき)を逆にして「吹打」(ふきた)にしたもの。資料によっては
 吹打 竜と掲載されている。
・ロジャー・モレノ、ビルヒリオ・レガスピ戦はJBCへの報告がなく、公式記録から
 漏れている。BoxRecではこの2試合がアタック 原田(クラトキ)の戦歴に
 加わっている。(2019/08/15時点)
・世界ランキングの最高位は世界2位。引退後はハワイで土産屋を営んでいた。
 
 

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