滑川 明石(Akashi Namekawa)(帝拳)
本名:滑川 明石
生年月日:1942年11月3日
国籍:日本
戦績:38戦29勝(8KO)8敗1分
【獲得タイトル】
第15代日本フライ級王座
【戦歴】
1961/12/04 ○4R判定 (採点不明) 山根 正博(AO)
1962/01/01 ○4R判定 (採点不明) 後藤 幸康(雪ヶ谷)
1962/03/05 ○4R判定 (採点不明) 植木 敏夫(鈴木)
1962/03/19 ○1RKO 高倉 文夫(鵜沢)
1962/04/16 ○1RKO 望月 泰明(革新)
1962/05/07 ○4R判定 (採点不明) 山田 史士(野口)
1962/06/11 ○4R判定 (採点不明) 佐久間 勉(AO)
1962/07/16 ○3RKO 高倉 文夫(鵜沢)
1962/08/31 ○4R判定 (採点不明) 吉田 文明(暁)
1962/10/22 ○4R判定 (採点不明) 平野 忠治(興伸)
■1962年度東日本フライ級新人王予選
1962/11/21 ●4R判定 (採点不明) 溝井 英雄(中村)
※東日本新人王敗退
1962/12/24 ○4R判定 (採点不明) 山田 勇四郎(水戸)
1963/01/08 ○6R判定 (採点不明) 溝井 英雄(中村)
1963/02/04 ○6R判定 (採点不明) 斎藤 清爽(中村)
1963/03/04 ○6R判定 (採点不明) 安田 正義(興伸)
1963/04/08 ○6R判定 (採点不明) 成富 伸夫(青木)
1963/05/05 ○4RKO 岩谷 永四郎(笹崎)
1963/06/17 ○5RKO 荒木 武雄(松田)
1963/07/14 ○6R判定 (採点不明) 大阪 秀樹(松田)
1963/09/18 ●8R判定 (採点不明) 谷地沼 勝男(笹崎)
1963/11/04 △10R判定 (採点不明) 岩谷 永四郎(笹崎)
1963/12/09 ○6RKO ウチポン・チェムラシット(タイ)
1964/03/09 ○10R判定 3-0(47-46、48-47、48-46) 谷地沼 勝男(笹崎)
1964/05/25 ○10R判定 3-0(47-46、49-48、48-47) リック・マグラモ(比)
1964/07/06 ○10R判定 3-0(48-46、49-45、49-45) 吉田 洋(野口)
1964/08/17 ●10R判定 0-3(45-49、46-50、46-49) ジェット・パーカー(比)
■日本フライ級タイトルマッチ
1964/11/19 ○10R判定 3-0(50-44、50-44、50-45) 飯田 健一(三鷹)
※日本フライ級王座獲得
1965/01/11 ●10R判定 1-2(46-47、47-46、45-48) 田辺 清(田辺)
■日本フライ級タイトルマッチ
1965/03/08 ○10R判定 3-0(47-46、48-46、47-46) 飯田 健一(三鷹)
※日本フライ級王座防衛①
1965/05/17 ○5RKO 塚本 敏信(東海)
1965/06/28 ○10R判定 3-0(50-42、50-40、50-40) オ・ウンモ(韓)
1965/09/13 ○10R判定 3-0(49-44、49-45、49-46) ビリー・ブラウン(比)
■日本フライ級タイトルマッチ
1965/10/25 ●10R判定 0-3(46-48、45-50、46-48) 田辺 清(田辺)
※日本フライ級王座陥落
1965/12/26 ●10R判定 (採点不明) 塚本 敏信(東海)
■日本フライ級タイトルマッチ
1966/03/28 ●2RKO 田辺 清(田辺)
※日本フライ級王座挑戦
1966/09/29 ○7RTKO 飯田 俊夫(中村)
1966/10/23 ○8R判定 (採点不明) 木村 美男(神戸)
1966/11/28 ●8R判定 (採点不明) 川上 好博(中村)
【補足情報】
・埼玉県草加市神明町出身。
・小学校一年生の時に父が亡くなったが、母が働きながら4人兄弟(明石は3男)を育てた。中卒後東京で
働きながら、友人に誘われ帝拳ジムへ入門した。帝拳には矛盾した二つのジンクス(1.初挑戦者は
王者になれる。2.軽量級選手は王者になれない。)があるといわれる中で飯田 健一を破って
花田 陽一郎以来16年ぶりにフライ級王座を獲得した。
・左ボクサー。色白でハンサム、女性の人気が高かった。
・引退後、王子に「明石寿司」を開いた。
・1985年発刊の「日本ボクサー辞典」にて有力ボクサー500選に選出されている。
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