杉田 竜平(Ryuhei Sugita)

杉田 竜平(Ryuhei Sugita)(畑中)
 
 

本名:不明
生年月日:1976年9月6日
国籍:日本
戦績:35戦30勝(22KO)3敗2分
 
 

【獲得タイトル】
1996年度全日本スーパーフェザー級新人王
日本スーパーフェザー級暫定王座
第35代日本スーパーフェザー級王座
 
 

【戦歴】
1995/04/02 ○2RKO 岡田 孝生(岡崎)
1995/07/30 ○3RKO 村竹 昭彦(中内)
1995/11/19 ○3RKO 中村 勇一(鍵本エディ)
1995/12/22 ○3RTKO 高橋 勝海(グリーンツダ)
1996/04/29 ○4R判定 (採点不明) 橋野 隆(和光)
1996/07/02 ○4R判定 (採点不明) 橋野 隆(和光)
1996/08/31 ○2RKO 岡田 孝生(岡崎)
1996/11/02 ○1RKO 菅 直之(久留米櫛間)
1996/12/09 ○2RKO 谷川 淳(陽光アダチ)

■1996年度全日本スーパーフェザー級新人王決定戦
1997/02/15 △6R判定 1-1(58-59、58-57、58-58) 舘岡 恭(新日本木村)
※全日本新人王獲得

1997/06/14 ○4RKO ジョー・ギララン(比)
1997/09/28 ○4RTKO 阿部 勇二(榎本)
1997/11/16 ○2RKO エルネスト・ウルダニサ(比)
1998/03/21 ○5RKO 朝倉 直人(京浜)

■日本スーパーフェザー級王座決定戦
1998/07/04 ○8RKO 金内 豪(帝拳)
※日本スーパーフェザー級王座獲得(のちに返上)

1998/10/18 ○5RTKO アンディ・アラヘニオ(比)
1999/12/12 ○2RKO レナート・モレーノ(比)
2000/04/23 ○10R判定 3-0(98-93、98-95、97-94) 名和 真(全日本パブリック)
2000/07/15 ○3RKO 木内 信弥(シシド)
2000/11/03 ○6RKO 水島 博(トクホン真闘)

■OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチ
2001/02/25 ●12R判定 0-2(113-117、115-115、111-117) タイガー・アリ(比)
※OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座挑戦

2001/08/26 ○5RKO セーンシ・ポーチャイワッタナ(タイ)
2001/11/04 ○2RKO ナクプーン・ネイションマン(タイ)
2002/02/17 △5R負傷判定 0-0(48-48、48-48、48-48) ハビエル・ハウレギ(メキシコ)

■日本スーパーフェザー級暫定王座決定戦
2002/06/23 ○10R判定 3-0(97-94、97-95、96-95) 篠崎 哲也(高崎)
※日本スーパーフェザー級暫定王座獲得(のちに剥奪)

2002/11/04 ○8RTKO チョ・ムヨン(韓)
2003/03/02 ○7RKO チャン・ウリョル(韓)
2003/07/27 ○2RKO ワンチャナ・チュワタナ(タイ)

■WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ
2004/02/08 ●7RTKO ヨーサナン・3Kバッテリー(タイ)
※WBA世界スーパーフェザー級王座挑戦

2004/08/14 ○10R判定 3-0(98-94、97-94、97-95) 尾関 清雅(進光)
2004/10/30 ○10R判定 3-0(98-96、97-94、96-95) ムアンファーレック・キャットビチャン(タイ)
2005/02/13 ○6RKO チョンダン・ソーロマヤノン(タイ)
2005/07/10 ○5R負傷判定 3-0(49-46、49-47、49-47) ジェフリー・オニャテ(比)
2005/11/03 ○10R判定 3-0(100-92、100-94、98-94) クラッチャナ・ジョッキージム(タイ)

■OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチ
2006/02/05 ●4RTKO ランディ・スイコ(比)
※OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座挑戦
 
 

【補足情報】
・岐阜県吉城郡古川町(現:飛騨市)出身
・小中はサッカー、高校では野球部(3か月で退部)、往復10キロの山道を自転車で通学、
 「はじめの一歩」を読んでボクシングを志す。自らサンドバッグ、グローブ、ヘッドギアを
 購入して練習に励んだ。3年の夏休みから新設された畑中ジムへ通い始め、卒業と同時に
 ジムの第1号ボクサーとしてプロデビューした。毎朝8キロのロードワークをするなど
 無類の練習熱心さで頭角を現した。
・全日本新人王決定戦はMVP同士の対決となったが、攻勢点を買われて勝者扱いとなり、
 ここでもMVPを獲得した。
・1998年11月、コウジ 有沢(草加有沢)との防衛戦を前にして網膜裂孔のため手術、
 およそ1年2カ月のブランクを余儀なくされた。
・引退後は郷里に近い岐阜県高山市に杉田ジムを開き、その後岐阜市へ移転した。
 
 

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