玉崎 義和(Yoshikazu Tamasaki)(進光)
本名:不明
生年月日:1968年3月29日
国籍:日本
戦績:29戦19勝(9KO)6敗4分
【獲得タイトル】
1988年度西日本バンタム級新人王
【戦歴】
1985/06/27 △4R判定 (採点不明) 山本 尚司(グリーンツダ)
1985/08/29 ○3RTKO 吉田 正美(風間)
1985/11/27 ●4R判定 (採点不明) 山田 龍也(グリーンツダ)
1986/03/06 ○1RKO 桜庭 直之(大阪帝拳)
1986/08/21 △4R判定 (採点不明) 服部 保(神林)
1988/04/25 ○4R判定 (採点不明) 下城 満明(泉北)
1988/07/27 ○4R判定 (採点不明) 北田 俊弘(東郷)
■1988年度西日本バンタム級新人王決勝戦
1988/08/29 ○6R判定 (採点不明) 嘉手苅 忠輝(大阪帝拳)
■1988年度西日本・西部日本バンタム級新人王対抗戦
1988/10/14 ○6R判定 (採点不明) 石本 真一(三栄)
■1988年度全日本バンタム級新人王西軍代表決定戦
1988/12/18 ○6R判定 (採点不明) 吉田 隆(中日)
■1988年度全日本バンタム級新人王決勝
1989/02/27 ●6R判定 (採点不明) 松尾 隆(新和川上)
※全日本新人王敗退
1989/07/06 △6R判定 0-1(57-57、57-57、57-58) 森下 隆司(塚原)
1989/09/29 △6R判定 (採点不明) 高橋 義春(尼崎)
1990/02/24 ○4RKO 服部 保(神林)
1990/04/13 ○8R判定 3-0(採点不明) 蔭山 孝人(神戸)
1990/09/25 ○8R判定 3-0(77-76、79-73、78-74) 園 寿和(京拳)
1990/12/18 ○10R判定 3-0(96-94、96-93、98-92) 玉置 厚司(東郷)
1991/04/25 ○7RTKO 小薗 一美(ヨネクラ)
1991/09/19 ○10R判定 2-0(77-77、79-75、79-74) ジョー・ヒヤス(比)
1991/11/06 ○7RTKO 今西 哲也(千里馬神戸)
■日本フェザー級王座決定戦
1992/02/11 ●10R判定 0-3(96-97、96-97、96-97) 松本 好二(ヨネクラ)
※日本フェザー級王座挑戦
1992/07/06 ○5RTKO 平瀬 昇(千里馬神戸)
1992/10/23 ○5RTKO 中出 岳(京拳)
■日本フェザー級タイトルマッチ
1993/03/02 ●10R判定 0-3(95-98、95-98、95-97) 松本 好二(ヨネクラ)
※日本フェザー級王座挑戦
1993/07/03 ●10R判定 0-3(95-98、95-98、95-99) 打越 昌弘(帝拳)
1993/10/06 ○6RTKO 阿久井 一彦(守安)
1993/11/23 ○10R判定 (採点不明) 福本 博章(木下)
1994/03/05 ○8RTKO 金内 豪(ビクトリー)
■日本フェザー級タイトルマッチ
1994/05/29 ●10R判定 0-3(95-97、95-97、93-97) 平仲 信敏(筑豊)
※日本フェザー級王座挑戦
【補足情報】
・京都府相楽郡出身。
・BoxRecでは28戦分の掲載となっている。(2021/08/01時点)
・のちにA級トーナメントフェザー級で優勝する玉置 厚司と対戦し、判定で勝利している。
・のちにOPBF東洋太平洋フェザー級王者となる松本 好二と二度対戦し
いずれも判定で敗れている。
・のちに日本フェザー級王者となる園 寿和と対戦し、判定で勝利している。
※当ブログでは情報を求めています。
誤った情報、追記すべき内容等ありましたら精査の上反映させていただきますので
コメントいただけますと幸いです。
コメント
こちら。辰吉丈一郎と共に、下記の嘉手苅選手と、青木寿一選手の3選手は、同時期で階級も近く、全員同じ大阪帝拳所属の注目格でした。
■1988年度西日本バンタム級新人王決勝戦
1988/08/29 ○6R判定 (採点不明) 嘉手苅 忠輝(大阪帝拳)
この嘉手苅・青木寿一の両選手の戦績をおねがいしたいです。
期待の俊英 野間口が、マーク堀越との空位日本王座決定戦で敗れてあっさり引退して間もないこの頃の大阪帝拳は、彼等3名が渡辺・六車に続く次世代を担う存在でした。
しかし、嘉手苅と青木は共に好戦績のなかで忽然と消えてしまいました(※専門誌は当時から6回戦クラスの選手の引退やその理由まで記事にして掲載しません)。
そんななかでアマ時代から注目されていた辰吉が登場。のちのブレイクは周知の事実ですが、一方、嘉手苅と青木は、辰吉の活躍が増す程に一層忘れられていく存在になって行った印象です。
現在BOXRECは、
・嘉手苅は、この玉崎戦の1戦(1敗)のみ。
https://boxrec.com/en/proboxer/133964
・青木寿一は、6戦6勝4KOで掲載されています。
https://boxrec.com/en/proboxer/215297
・嘉手苅 忠輝 Katekari Tadateru
沖縄出身のパンチャーで、勝利は全てKOと記憶される強打者ぶりを披露していました。
西日本バンタム級決勝でのちの日本フェザー級1位玉崎に敗れますが、翌年1階級上げての再参戦で西日本Sバンタム級新人王獲得。
この時点5勝5KO1敗?辺りの戦績でしたが、次戦の西日本×中日本対抗戦を辞退。その侭 引退したようなイメージです。眼疾との噂も聞きましたが、詳細不明です。
・青木 寿一
嘉手苅選手以上に関西では知る人ぞ知る人物であり、嘉手苅以上に出色ホープだったのが、この青木選手です。
BOXRECは6戦6勝4KOですが、
ネットで「6戦6勝5KOで引退」との記事を複数 目にしました。
嘉手苅が玉崎に西日本B級新人王決勝で敗れた年度(1988)の西日本SB級新人王で、次戦の西日本vs西部対抗戦もKO勝利。この時点で4連続KO中の6戦全勝でしたが、次戦の西軍決勝を棄権(近藤茂登(緑)が不戦勝で全日本決勝進出)。そのまま引退したようです。こちらも引退理由の詳細は不明です。
青木寿一(大阪帝拳)の追加情報
2008年頃、守口東郷ジム
2015年頃、大星森垣ジムで其々トレーナーに就いていたことをネットで確認。
消えた天才の様な存在でしたが、引退後 暫くボクシング界で活躍されてましたね。
ファンですさん
取り急ぎ調べてみました。このところ混乱気味でポカがありそうですがご容赦を…
嘉手苅 忠輝(Tadateru Katekari)(大阪帝拳)
本名:不明
生年月日:1967年4月16日
国籍:日本
戦績:8戦7勝(7KO)1敗
【獲得タイトル】
1989年度西日本スーパーバンタム級新人王
【戦歴】
1988/01/17 ○1RKO 秋岡 充(新日本大阪)
1988/04/10 ○3RKO 西村 博之(グリーンツダ)
1988/05/01 ○2RKO 上田 昌彦(大鵬)
1988/07/03 ○3RTKO 高橋 義春(尼崎)
■1988年度西日本バンタム級新人王決勝戦
1988/08/29 ●6R判定 (採点不明) 玉崎 義和(進光)
※西日本新人王敗退
1989/05/09 ○2RTKO 下城 満明(泉北)
1989/07/08 ○1RTKO 高垣 典哉(東郷)
■1989年度西日本スーパーバンタム級新人王決勝戦
1989/09/13 ○3RTKO 白井 拳次(進光)
※西日本新人王獲得(次戦棄権)
【補足情報】
・沖縄県中頭郡嘉手納町出身。
・BoxRecでは1戦分の掲載となっている。
・1989年度西日本新人王を獲得しながら、網膜剥離が判明したため中日本との対抗戦を棄権した。
青木 寿一(Toshikazu Aoki)(大阪帝拳)
本名:不明
生年月日:1966年7月20日
国籍:日本
戦績:6戦6勝(5KO)
【獲得タイトル】
1988年度西日本スーパーバンタム級新人王
【戦歴】
1983/12/05 ○4R判定 (採点不明) 川西 志朗(尼崎)
1988/01/17 ○3RKO 吉本 幸一(レンゴー)
1988/04/10 ○3RTKO 高垣 典哉(東郷)
1988/05/15 ○1RKO 足立 秀勝(グリーンツダ)
1988/07/03 ○3RTKO 白井 拳次(進光)
■1988年度西日本・西部日本スーパーバンタム級新人王対抗戦
1988/10/14 ○2RKO 谷口 時雄(宮崎ワールド)
【補足情報】
・大阪府高槻市出身。
・BoxRecでは6戦分の掲載となっている。
・不戦勝により1988年度西日本スーパーバンタム級新人王を獲得した。
・1988年度全日本スーパーバンタム級新人王西軍代表決定戦〈近藤 茂登(緑)との対戦〉を棄権した。
chamuyoさん
ファンですさん
ありがとうございます。
先ほどページを作成しました。
青木 寿一(大阪帝拳)
https://boxinglib.com/boxingmeikan/archive/39792/0
嘉手苅 忠輝(大阪帝拳)
https://boxinglib.com/boxingmeikan/archive/39801/0
今回もありがとうございます。
期待選手が途中でキャリアを閉ざすこと…
頭部にダメージを与えるスポーツですし、
仕事なしでは成り立たない選手が多いこともあり、
今も昔もよくあることではありますが、寂しいですよね。
何より、その後の人生を豊かに送られていることを願います。