2023/5/21 -愛知・パロマ瑞穂アリーナ- 前置き(中日本ボクシング観戦記) ボクシング選手名鑑ピックアップ!
引きこもり少年だった中学時代、何もかもが暗かった。
当時、「キレる17歳」というワードがワイドショーで繰り返されていた。
不登校の少年たちが起こす猟奇的な殺人事件。
「あそこの子はちょっとおかしい」
同じく不登校の自分にもそんな目が向けられていた。
大人たちのそんな目に、何か “そうならなければならない” ような気がしていた。
自分もいつか猟奇的な事件を起こして刑務所に入るだろう。
きっとそうに違いない。
人生をどこかあきらめたような日々が続く。
午前4時、真冬の深夜を出歩く。
何もない田舎、外に出る時は一旦立ち止まって星明りに目がなじんでからでないと何も見えない。
僕の田舎は街灯もない山中だ。
庭に山葵が自生したこともある。
友人がいた。
いつも学校帰りにうちに寄っては常識外れのイタズラを仕掛けていく。
寝ていて起きないからという理由で、部屋の中で煙玉を焚かれた。
部屋中が煙玉の赤色に包まれる中で目を覚ましパニックに陥った。
白い壁は煙玉の赤色に染まった、未だに実家の自分の部屋の壁はピンクがかっている。
阪神ファンだった友人が、阪神の優勝した日、勝手に部屋に入り込み、
興奮のままにマジックで部屋中に「阪神優勝おめでとうメッセージ」を書きまくった。
「実家はヒノキ風呂桧山!」と書かれている。
桧山の応援歌のフレーズだ。
母を丸め込み、「外の世界を見せる」という趣旨で、カナダに放り込まれた。
前年にホームステイしていた友人、自分を同じ場所に行かせたいと思ったようだ。
様々な理由を並べ立てていたが、思い出の共有ができる相手がおらず、
自分を同じ場所に行かせることで、カナダトークをしたかったんだと思う。
祖父は町長、市町村合併して市になった代の父は市議会議員。
地元の名門家の出身だが、やることはぶっとんでいた。
憧れていた。
周りの大人に「あの家はあのバカ息子の代で終わりだ」と言われながら、
面白いと思ったら何でもやってしまう。
大目玉を喰らったとしても意にも介さない。
周りの静止でいったんは止まっても、気が付けばまた別のメチャクチャを巻き起こしている。
迷惑をかけられるのは周り、だけど彼は愛されていた。
30歳を越えてからの話。
「ハッサク欲しい?」と言う言葉に「欲しい」と答えた別の友人は、
ハッサク400個を玄関前に詰まれ、「スーパーの棚卸か!!」と激怒していた。
仕事から疲れて帰ったら段ボールで家に入れない。
ぎっしりハッサクの詰まった段ボールを、荷ほどきさせられる災難を被った。
それでも、それは笑い話になってしまう。
アイツだからしょうがないかと。
彼の発想を具現化するのが僕の役割だった。
悪事の片棒を担がされ、へとへとに疲弊させられ、自分が怒られたりもする。
それでも面白かった。
パンクした自転車で山の頂上まで林道を登らされたり、
ママチャリで愛知県を横断するハメになったり、
切り立った崖を命綱なしで登ったこともある。
毒蛇を素手で捕獲したり、毒草を食わされて死にかけたことも…。
当時、電波少年と言う、無名の若手芸人が無茶をさせられる番組が流行っていたことが影響していた。
友人はTプロデューサー、僕は無名若手芸人の関係性。
いつか自分が猟奇的な殺人鬼になってしまうのではないかという暗く重たい時間。
ぶっ飛んだことをやらされながら大笑いしている時間。
二つの両極端な時間があった。
僕は多分、幸せだった。
結局、大笑いしている時間の方を向いていたからだと思う。
どんな苦しみや辛い時間も、ほんの僅かでも楽しいことがあれば、それを見つめればいいだけ。
最近、よく当時のことを思い出す。
しんどいことがやたらと増えた。
相も変わらず、時間には追われ続けている。
でも、自分が見るのは楽しい時間。
頑張っているボクサーたちを見ているだけで救われる。
幸い、興行ラッシュの忙殺の中に体を埋没したことで、
気が付けば一番しんどい時期は過ぎていた。
この日も、少しうつうつとした気分が腫れぬまま、会場に入る。
よく知った観戦仲間に出くわし、その瞬間に気持ちが晴れる。
ボクシング観戦には、自分の心のコンディションも重要だとはよく言ってきたが
もう事前の気持ちの作り込みなんかも必要もなさそうだ。
何年も繰り返してきたことで、自然とそのコンディションも整うようになった。
「やっとできるようになってきた…」
周りを見渡せば、この日の大きな舞台によく知った選手の姿がちらほら。
自分達の配信がある日は、関係者パスをもらって会場に入る。
配信がないこの日は、ただのファンとして会場に入る。
いつも「ありがとう」を伝えに来てくれる選手たち。
その距離感にもすっかり慣れて来た気がするが、
観戦するだけの日は、配信を始める前の距離感に戻れる。
ただのファンとして4回戦ボクサー達を自分のスターとして見ている感覚。
すれ違うたびに、ドキドキして委縮する感じ。
役割を与えてもらって、距離が近付いたようにも思えるが、本来はこの形だよねと。
声をかけるのもなんだかおこがましい気がしてしまう。
それが何だか居心地がいい。
いつか、色んな配信媒体が乗り出して来てくれて
自分達が配信する以上に、多くの人たちに様々な選手の活躍が届けばいいなと。
さて、ここでいつもの前置き。
自分はファンではあるが、熱狂的なマニア程の肥えた目を持ってはいない。
自分より凄いと思えるファンはそこらじゅうに転がっている。
そして、TVで観戦するのとは違い、1つの角度しか見れず、スロー再生もない。
レフリーで隠れたタイミングでパンチが入っても気付けないし、かなり離れた自由席での観戦。
ここに書く内容に誤りが多分に含まれることもある。
先に言い訳をしておきたいわけではなく、そういうものだと言っておきたい。
同じ試合を見ていても、違う感想を持つファンもいるわけで…。
ここに書いたことが正解ではないと…。
それだけは認識した上で、読み進めていただきたい。
ボクシングがあれば、僕は幸せでいれる。
ボクシングを見ておけばいい。
【カテゴリ別】
2023年中日本ボクシング観戦記一覧に戻る
中日本ボクシング観戦記一覧一覧に戻る
カテゴリ別記事一覧に戻る
【日付別】
【記事一覧】2023年6月に戻る
コメント